歳をとっても旅が好き

海外ひとり旅の記録?いや記憶かな

ミャンマーひとり旅(2017年) <20> まだまだ4日目 モウラミャインでSIMをゲット!!

モウラミャインに着いたらと、2つのことを頼んでみた。1つは腕時計の電池の交換、2つ目はiPhoneに入れるミャンマーのSIMカードの取得だ。実は日本にいる間に、iPhoneのSIMロックを解除していたのだ。

ミャンマーひとり旅(2017年) <19> まだ4日目 ミャンマーへ陸路で入国の夢

陸続きの国なら、なるべく陸路で国境を越えたいと思っていた.。それがある時、タイから陸路での入国が可能だと知ってから、俄然行ってみたくなったのだ。この国境が外国人にも開かれた背景には、テイン・セイン政権時代の民政化による改革の他に、実は2012年…

ミャンマーひとり旅(2017年) <18> 日本軍の英領ビルマへの進攻

1942年(昭和17年)陸軍の第33師団(弓・仙台)、第55師団を基幹とする第15軍主力が1月20日にタイのメーソートから国境を越えた。ビルマ独立義勇軍(BIA)も日本軍に同行し、共に前進した。BIAの参謀だったアウン・サンはAung San)は、この時26歳だった。

ミャンマーひとり旅(2017年) <17> 対英米蘭戦開戦、フィリピン作戦と蘭印作戦

「南方作戦」の最終目標であった蘭印資源地帯への作戦は、以下の様に始まった。陸軍第16軍(主力は第2師団、坂口支隊)と、のちに支那派遣軍の第23軍から1942年1月4日に第16軍の戦闘序列に入った第38師団(沼・名古屋)と、第14軍から第16軍の戦闘序列に入っ…

ミャンマーひとり旅(2017年) <16> 対英米蘭戦開戦、マレー作戦とハワイ空襲

第二次大戦(対英米戦)において日本軍の最初の攻撃は、実は「真珠湾攻撃」ではなく「南方作戦」(「あ」号作戦)のうち、「E作戦」(マレー作戦)からだった。1941年12月8日,午前1:35、第18師団隷下の侘美支隊5,500名が英領マレー半島のコタバル(Kota Bh…

ミャンマーひとり旅(2017年) <15> 「援蒋ルート」とビルマ独立義勇軍(BIA)

1941年(昭和16年)12月18日「三十人の志士」たちを中心に、タイ在住のビルマ人約200名で「ビルマ独立義勇軍 BIA (Burma Independence Army)」を結成する。ここには南機関員や義勇兵など日本人74名も参加。日本軍から支給された小火器で武装していた。

ミャンマーひとり旅(2017年) <14> 日本軍進攻前夜の英領ビルマ

1930年(昭和10年)5月には、反英組織「われらビルマ人(ドバマ)協会」(タキン党 Thakin)が結成された。これはメンバーが、ビルマ人がビルマの本当の主人だとの意味から、お互いを「タキン(主人)」と呼び合っていたためらしい。

ミャンマーひとり旅(2017年) <13> しばらくまだ4日目 南方作戦「あ号作戦」

「南方作戦」の概要を、「第一復員局」の「南方軍作戦記録(比島、緬甸、濠北、ボルネオ)」で見ると、以下のようだ。作戦方針は、「南方軍は聯合艦隊と協同し、比律賓(フィリピン)及び英領馬來(マレー)に対する先制急襲を以て、同時に作戦を開始し、勉…

ミャンマーひとり旅(2017年) <12> まだまだ4日目 中国大陸での戦火と対英米戦争前夜

1940年(昭和15年)7月26日、米英は日本資産の凍結。8月1日、アメリカの対日石油禁輸措置。オランダ領東インド(植民地)政府も日本との石油協定を破棄した。当時の日本の石油の対アメリカ依存度は、全体の約77%。その他はオランダ領東インド(現インドネシ…

ミャンマーひとり旅(2017年) <11> まだまだ4日目 満州事変と昭和恐慌からの脱出

1931年(昭和6年)9月18日夜10:30、奉天(現在の瀋陽)郊外の柳条湖で南満州鉄道の線路が爆破された。関東軍は張学良の「東北辺防軍」による破壊工作と発表し、直ちに軍事行動に移った。

ミャンマーひとり旅(2017年) <10> まだまだ4日目 ミャンマーでいろいろ考えて昭和恐慌(昭和4年)

しかし、何故日本軍はビルマに進攻したのだろう。泰緬連接鉄道建設を始め、余りに多くの犠牲を出しながら、何故ビルマを占領しようと考えたのだろう。のちに日本軍がイギリス(英)領ビルマ(British Burma)に進攻するまでの経緯を考えてみる。

ミャンマーひとり旅(2017年) <9> まだ4日目 タンビュッザヤで泰緬鉄道の跡を訪ねる

日本軍が鉄道建設で亡くなった人の為に作ったパゴダに行く。ミャンマーの鉄路の側の草地の中に、ひっそりと「泰麺連接鐵道麺側建設殉難者ノ碑」と書かれた碑が立っている。その脇には余り大きく無い金色のパゴダが立っていた。

ミャンマーひとり旅(2017年) <8> 4日目 タクシーで南部のタンビュッザヤを目指す

追い越すのは何も此方だけではない。対向車線側でも同じように、前走車に追い越しをかけてセンターラインを越えて来る車があって、間一髪ですれ違う。一番怖いのは、右側通行なのに右ハンドルの日本車なので、常にほとんどセンターラインを越えている状態の…

ミャンマーひとり旅(2017年) <7> まだまだ3日目 タンルウィン河の畔の町、モウラミャインに着いた!!

部屋の窓からは、丘の上に、麓から屋根に覆われた参道が続くチャイタンラン・パヤー(Kyaik Tan Lan Paya)の黄金の塔が見える。この独特の寺院の姿見ると、改めてミャンマーに来たんだという感慨が湧いてくる。

ミャンマーひとり旅(2017年) <6> まだ3日目 「Welcome to Myanmar!!」

私を見た先ほど対応してくれた長身の職員が、その人はもう終わったとビルマ語(ミャンマー語)で伝えると、連れて来た職員は「Welcome to Myanmar !!」と言ってくれたので、私も「Thank you!! 」と言って握手した。

ミャンマーひとり旅(2017年) <5> 3日目 タイのメーソートからミャンマー国境まで

500mほどの橋の途中で、記念写真を撮る観光客のそばに、小さな子供連れの物乞いが何組も座って居る。タイで溜まった小銭を、小さな手の上に乗せてやる。そうやって橋の上の5組の物乞いの親子の缶の中に、残った小銭を全部入れて来た。

ミャンマーひとり旅(2017年) <4> 2日目 バンコクのモーチェットから夜行バスで出発

日本でネット「Thai Ticket Major」で予約していた便の予約表を出して、バスチケットを入手。そこまでは颯爽と手続きしていたが、カウンターのおじさんが、チケットに書かれたバスの出るプラットホームの番号を教えてくれたが、文字が小さくて見えず、大きく…

ミャンマーひとり旅(2017年) <3> 1日目 旅の出発 成田空港からタイ・バンコクへ

空港のセキュリティチェックは従来と異なり、衣類のポケットは全て空にして、金属探知機の前で、両手を上にあげてグルリと1回転。まるで悪者が捕まって、ホールドアップの図だ。

ミャンマーひとり旅(2017年) <2> まだ旅の準備中 再度e-Visaに挑戦

昨日申請したe-VISAが気懸りで、メールの「status」は「approved」(承認された)となっている!!Oh、良いね。早くレターが来ないかと思っていたら、なんと「status」の下にレターが添付されていた。 レターは「Tourist Visa Approved letter to Myanmar」…

ミャンマーひとり旅(2017年) <1> 旅の準備 ビザ申請で悪戦苦闘

大使館に入ってビザ申請の窓口に行くと、すぐ受付けしてくれたが、ミャンマー人の女性が書類を見て、流暢な日本語で、ミヤワディ(Myawaddy)に入国してから、ヤンゴン(Yangon)へはどう行くのですか?と聞かれた。

インドネシア・ジャワ島ひとり旅(2017年) <34> 14日目 旅の終わり。

最後にモナス(MONAS 独立記念塔)に行ってみる。柵越しに園内を覗くと、昨日の人出と違って月曜は空いている、やっぱり名所は穴場を狙わなきゃと思いながら正面入り口まで来た。門が閉まっている。聞いたら、残念そうな顔で月曜日は「close⁈」なんだと。え…

インドネシア・ジャワ島ひとり旅(2017年) <33> まだまだ13日目 歴史地区からジャカルタの今へ!!

棚には同じ型の黒のボールペンが山の様に差し込んである。備え付けられたメモ紙を取って書いてみるが、インクが掠れて描けない。違うペンを取って試すが、これも描けない。見兼ねた店員が自分で何本も試すがどれも描けず、漸く何とか掛けるペンを見つけ、こ…

インドネシア・ジャワ島ひとり旅(2017年) <32> まだ13日目 コタの歴史地区からスンダ・クラバ港が見えた!!

他に訪れる人もいなかったので、最上階からはひとりで漸く念願のスンダ・クラバ港(Pelabuhan Sunda Kelapa)が望めた。ブサール川に繋がるジャカルタ湾からの細長い入江で、中型の木造帆船ピニシ船(Pinisi)が多数舫っている。

インドネシア・ジャワ島ひとり旅(2017年) <31> 13日目 もう一度ジャカルタのコタ地区を尋ねる

気付くと付近は、トタン屋根のバラックの様な家が密集したスラムの様な地域で、家の前に居た上半身裸の男性が振り返って私を見つけると、私が橋を渡って立ち去るまで目で追っているのが分かる。観光客の多いファタフィラ広場付近から僅かな距離に、これだけ…

インドネシア・ジャワ島ひとり旅(2017年) <30> まだ12日目 朝スラバヤを出て、再びジャカルタへ戻ってきた!!

鉄道路線は街や家々の裏側を通るので、ジャカルタ近郊ではスラムが広がっているのが見える。夕暮れ時の線路に登ってレールに腰掛けたり、停車中の無蓋貨車に登ったりして多くの子供が遊んだり、乳飲み子を抱いたお母さんが佇んだりしている。 この子達の将来…

インドネシア・ジャワ島ひとり旅(2017年) <29> 12日目 スラバヤからジャカルタへ、ANGGREK PAGI号に乗って

彼女は英語が上手く、簡単な話なら良いが、私の英語力では十分な会話は出来ない。暫らく会話が途絶えて、美しい水田風景に魅入っていると、「日本は美しいんでしょ?」と彼女が聞いてきた。車窓から見える青々とした田園を見据えながら、「 日本も美しいが、…

インドネシア・ジャワ島ひとり旅(2017年) <28> 11日目 英雄の街スラバヤでまた迷走!!

ホテルからの出掛け、タクシーに「ジュンパタン・メラJembatan Merah」(赤い橋)に行って下さいと言ったら、怪訝そうな顔をされた。 私も何故?と思ったが、来て見て分かった。

インドネシア・ジャワ島ひとり旅(2017年) <27> まだまだ10日目 無事ブロモ山から下山して、スラバヤに向かう。

楽しい乗馬体験の後は、ホテルに戻って朝食だ。まだその時間なのだ。近くの席には、今朝私がガイドを待っている時声をかけた欧米人の若い女性が仲間と食事中だったので、「Have a nice day !」と声を掛けると、彼女も「Have a nice trip !」と言って別れた。

インドネシア・ジャワ島ひとり旅(2017年) <26> まだ10日目 いよいよブロモ山に登るのだが・・・!!

馬子が私を見上げて、「Have you ever been on a horse? 馬に乗ったことある?」と聞いてくる。乗り方があんまり酷いと思ったのだろう。私が「First time」と言うと、流石に馬子は心配そうな顔をしたが、それでも手綱を引いて歩き出した。その後ろを、馬の歩…

インドネシア・ジャワ島ひとり旅(2017年) <25> 10日目 ついにブロモ山の絶景を観た!!

次第に明るくなってくると、やや南寄りの眼下に外輪山に囲まれた広大なテングル・カルデラと、その中に白い噴煙を吹き上げる中央火口丘のブロモ山( 2,392m)の姿が現れて来た。全体が、外輪山の後ろの白い雲海に浮かぶ、富士山の様な形のジャワ島最高峰の…