歳をとっても旅が好き

海外ひとり旅の記録?いや記憶かな

ミャンマーひとり旅(2017年) <44> まだ13日目 ザガインヒルの慰霊碑の前で⑧ 1944年(昭和19年)新たな作戦「イラワジ会戦」①へ

<13日目ー9>2017年 6月3日 土曜日 マンダレー 晴れ 暑い35度マンダレー郊外を巡っている。エーヤワディー河の畔の小高い丘、ザガインヒルには沢山の僧院やパヤーが建っている。その中で、エーヤワディー河の河面を望む地に、沢山の旧日本軍兵士の慰霊碑…

ミャンマーひとり旅(2017年) <43> まだ13日目 ザガインヒルの慰霊碑の前で⑦ 反ファシスト人民自由連盟の結成と援蒋ルート「レド公路」の打通 

<13日目ー8>2017年 6月3日 土曜日 マンダレー 晴れ 暑い35度.。マンダレー郊外を巡っている。エーヤワディー河の畔の小高い丘、ザガインヒルには沢山の僧院やパヤーが建っている。その中で、エーヤワディー河の河面を望む地に、沢山の旧日本軍兵士の慰…

ミャンマーひとり旅(2017年) <42> まだ13日目 ザガインヒルの慰霊碑の前で⑥ 雲南の戦い 垃孟・謄越

<13日目ー7>2017年 6月3日 土曜日 マンダレー 晴れ 暑い35度マンダレー郊外を巡っている。エーヤワディー河の畔の小高い丘、ザガインヒルには沢山の僧院やパヤーが建っている。その中で、エーヤワディー河の河面を望む地に、沢山の旧日本軍兵士の慰霊碑…

ミャンマーひとり旅(2017年) <41> まだ13日目 ザガインヒルの慰霊碑の前で⑤ インパール作戦の瓦解と総退却

<13日目ー6>2017年 6月3日 土曜日 マンダレー 晴れ 暑い35度マンダレー郊外を巡っている。エーヤワディー河の畔の小高い丘、ザガインヒルには沢山の僧院やパヤーが建っている。その中で、エーヤワディー河の河面を望む地に、沢山の旧日本軍兵士の慰霊碑…

ミャンマーひとり旅(2017年) <40> まだ13日目 ザガインヒルの慰霊碑の前で④ インパール作戦と大陸打通作戦

<13日目ー5>2017年 6月3日 土曜日 マンダレー 晴れ 暑い35度マンダレー郊外を巡っている。エーヤワディー河の畔の小高い丘、ザガインヒルには沢山の僧院やパヤーが建っている。その中で、エーヤワディー河の河面を望む地に、沢山の旧日本軍兵士の慰霊碑…

ミャンマーひとり旅(2017年) <39> まだまだまだ13日目 ザガインヒルの慰霊碑の前で③ 「ビルマ国」の独立とフーコン、アキャブの戦い

<13日目ー4>2017年 6月3日 土曜日 マンダレー 晴れ 暑い35度マンダレー郊外を巡っている。エーヤワディー河の畔の小高い丘、ザガインヒルには沢山の僧院やパヤーが建っている。その中で、エーヤワディー河の河面を望む地に、沢山の旧日本軍兵士の慰霊碑…

ミャンマーひとり旅(2017年) <38> まだまだ13日目 ザガインヒルの慰霊碑の前で② 「攻撃消耗戦」と日本軍の劣勢

<13日目ー3>2017年 6月3日 土曜日 マンダレー 晴れ 暑い35度マンダレー郊外を巡っている。エーヤワディー河の畔の小高い丘、ザガインヒルには沢山の僧院やパヤーが建っている。その中で、遥かエーヤワディー河の河面を望む地に、沢山の旧日本軍兵士の慰…

ミャンマーひとり旅(2017年) <37> まだ13日目 マンダレー郊外 ザガインヒルの慰霊碑の前で①

<13日目ー2>2017年 6月3日 土曜日 マンダレー 晴れ 暑い35度マンダレーを出て、郊外の古都ザガインやアマラプラを巡っている。<ザガイン・ヒル Sagain Hill>アマラプラからエーヤワディー河を、新しいインワ鉄橋(Ava Bridge) を渡ってザガイン(Sag…

ミャンマーひとり旅(2017年) <36> 13日目 マンダレー郊外 マハ―ガンダー僧院の朝食

<13日目ー1>2017年 6月3日 土曜日 マンダレー 晴れ 暑い35度<おいおいこのホテルは大丈夫?>6:30に起きる。昨日の疲れが残っている。ずっとバイタクに乗っていたので、腰が痛い。出来れば今日はホテルでユックリしていたいなぁ。 7:00に朝食。昨日と…

ミャンマーひとり旅(2017年) <35> まだまだ12日目 マハムニ―・パヤーとドラ息子・ドラ娘たち

<12日目ー3>2017年 6月2日 金曜日 マンダレー 晴れ 暑い36度。朝からバイタクの後ろに乗って、マンダレーヒル、旧王宮と廻って来た。<マハムニ・パヤーで金箔を貼る>王宮前の78th.Rd.を南下して途中から西に折れる。マハムニ・パヤーはマンダレーの南…

ミャンマーひとり旅(2017年) <34> まだ12日目 旧王宮、ピックアップトラックの愉快な会話

<12日目ー2>2017年 6月2日 金曜日 マンダレー 晴れ 暑い36度。朝からバイタクで、マンダレーヒルに登った。<バイタクでマンダレーの旧王宮に向かう>マンダレーヒルから降りて来た。再びバイクの後席に跨って、来た道を戻って旧王宮に向かう。一辺3km…

ミャンマーひとり旅(2017年) <33> 12日目 バイタクでマンダレーヒルに登る!!

<12日目ー1>2017年 6月2日 金曜日 マンダレー 晴れ 暑い36度。朝食時、レセプションで山の様なランドリーを依頼。朝食は、ビュッフェスタイルで品数は少ないが、中華系のゲストハウスらしく白いお粥がある。このところの私のナーバスな胃袋にはぴったり…

ミャンマーひとり旅(2017年) <32> まだ11日目 仏様のお告げの街マンダレーは、いま?

1859年5月23日、ミンドン・ミン王が受けた「仏陀の予言」に従って、標高236mのマンダレーヒルの麓に建設されたのがマンダレーだ。市内は碁盤目のように区割りされていて、どの通りにも番号が付いている。

ミャンマーひとり旅(2017年) <31> 11日目 ヤンゴンから古都マンダレーへ空の旅

ゲートで搭乗の列に並び遅れたばかりに、バスでは扉の前で立っているしかなかったが、そのせいで飛行機の窓から蛇行して流れるエーヤワディー河や、平原の中にいくつも建っている金色のパヤーの姿を存分に眺めざるを得なくなった(笑)

ミャンマーひとり旅(2017年) <30> まだまだ10日目 ヤンゴンの街さんぽ③ ヤンゴン川とヤンゴン港

フェリー乗り場の待合室から川面を眺めている。川風が心地よい。大きく、意外にも新しい綺麗なフェリーが、沢山の乗客を乗せて行き来している。ここを発着するフェリーは、ヤンゴン中心部から道路が繋がっていない対岸のダラ地区(Dala)と結んでいるが、少…

ミャンマーひとり旅(2017年) <29> まだ10日目 ヤンゴンの街さんぽ② スーレー・パヤー付近

マハバンドゥーラ通りの先に、黄金に光るスーレー・パヤーが見えて来た。スーレー・パヤーはヤンゴンのダウンタウンのランドマークだ。ストゥーパには珍しく八角形のモン族スタイルの塔で、高さは48mある。

ミャンマーひとり旅(2017年) <28> 10日目 ヤンゴンの街さんぽ① アパート群とヤンゴンの昔

大渋滞の中、タクシーはノロノロとマハバンドゥーラ通り(Mahabandoola Rd.)を東に向かう。周囲は7、8階建てのアパートが立ち並んでいる。元はコンクリートや煉瓦色だったと思うが、既に古色蒼然として色が無く、代わって長年の風雨で黒ずんでいる。

ミャンマーひとり旅(2017年) <27> まだまだ9日目 ヤンゴン中央駅附近 何で一風堂のラーメン?!

大雨のせいで大混雑のタクシー乗り場でようやくタクシーを捕まえたら、ホテル迄5,000ksだと。此処からでは余りに高すぎると思ったが、他に探すのも面倒なので乗り込む。ボージョー・アウン・サン通りは、雨と夕方のラッシュで大渋滞だ。

ミャンマーひとり旅(2017年) <26> まだ9日目 ヤンゴンの環状線に乗るが・・・

切符売り場を捜して辺りを見渡していると、何処からか粗末なシャツを着た黒目がちの利発そうな小学生位の女の子が寄って来て、ホームの先にある小さな小屋を指さしてくれる。「thank you !」と言って小屋に行く。「circle、ticket、please」と言えば、ペラペ…

ミャンマーひとり旅(2017年) <25> 9日目 ヤンゴンに来たら、やっぱりシュエダゴン・パヤーに参拝

外に出ると、一面白い大理石の広大な敷地の中に見渡す限り大小の仏塔が立ち並び、それぞれの塔に穿かれた祠があり、その中に仏像が祀られている。雨季の最中で、さっきまで土砂降りだったのに、綺麗に着飾った老若男女が驚くほど沢山歩いている。

ミャンマーひとり旅(2017年) <24> 8日目 ヤンゴンでHISに行き、航空券を購入

タクシーの車体はニッサンの古いADバンで、ミャンマーは右側通行だが右ハンドルの日本仕様のままだ。そのため時々車が、日本語で「ETCカードが入っていません」とアナウンスする。もちろんミャンマーにはまだETCそのものがないが。

ミャンマーひとり旅(2017年) <23> 7日目 モウラミャインを出発、ヤンゴンまで行くぞー!!

ヤンゴン郊外のアウン・ミンガラ・バスステーションだ。雨が降っている。到着して降りようとすると、バスの脇には男の客引きがいっぱい集まっていて、押し合いへし合いしながら、何処に行くんだと叫んでいる。

ミャンマーひとり旅(2017年) <22> 6日目 モウラミャインで突然の発病・ホテルのベッドで旅の行方を考える

これからミャンマーの何処を周れるだろう?何といってもミャンマーは広い。いままでは、何処に行きたいかより何処を外さなければならないかで悩んでいたが、今度の病気で、反対に行ける範囲が狭くなった。

ミャンマーひとり旅(2017年) <21> 5日目 モウラミャインで突然発病。下痢と嘔吐が止まらない!!

早朝の未だ暗いうちから下痢と吐き気が始まった。下痢は、固形物は最初だけであとは水ばかり。10分措きにトイレに行く。出て手を洗うと、また行きたくなる。頼んでおいた、バスターミナルまで送ってくれるタクシーが待っているが、身体が動かない。

ミャンマーひとり旅(2017年) <20> まだまだ4日目 モウラミャインでSIMをゲット!!

モウラミャインに着いたらと、2つのことを頼んでみた。1つは腕時計の電池の交換、2つ目はiPhoneに入れるミャンマーのSIMカードの取得だ。実は日本にいる間に、iPhoneのSIMロックを解除していたのだ。

ミャンマーひとり旅(2017年) <19> まだ4日目 ミャンマーへ陸路で入国の夢

陸続きの国なら、なるべく陸路で国境を越えたいと思っていた.。それがある時、タイから陸路での入国が可能だと知ってから、俄然行ってみたくなったのだ。この国境が外国人にも開かれた背景には、テイン・セイン政権時代の民政化による改革の他に、実は2012年…

ミャンマーひとり旅(2017年) <18> 日本軍の英領ビルマへの進攻

1942年(昭和17年)陸軍の第33師団(弓・仙台)、第55師団を基幹とする第15軍主力が1月20日にタイのメーソートから国境を越えた。ビルマ独立義勇軍(BIA)も日本軍に同行し、共に前進した。BIAの参謀だったアウン・サンはAung San)は、この時26歳だった。

ミャンマーひとり旅(2017年) <17> 対英米蘭戦開戦、フィリピン作戦と蘭印作戦

「南方作戦」の最終目標であった蘭印資源地帯への作戦は、以下の様に始まった。陸軍第16軍(主力は第2師団、坂口支隊)と、のちに支那派遣軍の第23軍から1942年1月4日に第16軍の戦闘序列に入った第38師団(沼・名古屋)と、第14軍から第16軍の戦闘序列に入っ…

ミャンマーひとり旅(2017年) <16> 対英米蘭戦開戦、マレー作戦とハワイ空襲

第二次大戦(対英米戦)において日本軍の最初の攻撃は、実は「真珠湾攻撃」ではなく「南方作戦」(「あ」号作戦)のうち、「E作戦」(マレー作戦)からだった。1941年12月8日,午前1:35、第18師団隷下の侘美支隊5,500名が英領マレー半島のコタバル(Kota Bh…

ミャンマーひとり旅(2017年) <15> 「援蒋ルート」とビルマ独立義勇軍(BIA)

1941年(昭和16年)12月18日「三十人の志士」たちを中心に、タイ在住のビルマ人約200名で「ビルマ独立義勇軍 BIA (Burma Independence Army)」を結成する。ここには南機関員や義勇兵など日本人74名も参加。日本軍から支給された小火器で武装していた。