歳をとっても旅が好き

海外ひとり旅の記録?いや記憶かな

マレーシアひとり旅(2024年) <48> 11日目 帰国 旅の終わり

ANAのチェックイン・カウンターには、既に人が並んでいる。通路の向こうからサブザックを背負い、小さなキャリーバッグを引いて短パン姿の同年輩と思しき男性が歩いて来た。 彼に、「Excuse me, Please tell me. Is this check-in line for ANA to Narita?」…

マレーシアひとり旅(2024年) <47> まだ10日目 再びKLのTBSから深夜のKLIA

TBSから連絡橋を渡って、KLIA Transitの駅BTSへ行く。 ここから直接KLIAのターミナル1へ向かうつもりだ。電車で1本、乗換なしなので便利だが、しかし僅か3駅先の駅まで行く運賃は、なんとRM38.4(約1,305円)もする。マラッカからTBSまで約150Km、2時…

マレーシアひとり旅(2024年) <46> まだ10日目 マラッカセントラル

KLへのバスは、アプリ「Easybook」で予約済みだが、QRコードの付いた紙のチケットを発券してもらわなければならない。ネットで予約済みで、紙のチケットを発券してくれるだけの窓口はどれなんだろう。

マレーシアひとり旅(2024年) <45> 10日目 マラッカの朝食を求めて

私が空いたテーブルに座ると、若い使用人がオーダーを聞きに寄ってきた。 しかし何を注文して良いかわからない。壁には手書きのメニューが掛けられているが、分からない名前もあるし、どんな料理なのかも分らない。

マレーシアひとり旅(2024年) <44> まだまだ9日目 オランダ広場の散策

マラッカ最後の夜、寝ようかと思ったら、昼間見たポストの「GR」が気になって仕方ない。 確か「GR」の上に王冠のマークがあった。やっぱりオランダ時代の物か?いやいやそこまで古くない。ということは、イギリスの植民地時代のものか? iPhoneを使って…

マレーシアひとり旅(2024年) <43> まだまだ9日目 マラヤの独立は何故マラッカで宣言されたの?

実はマラッカを散歩して、独立宣言記念館を訪れた際、気になっていたことがあった。 1956年2月20日、翌年の独立に先立って、トゥンク・アブドゥル・ラーマンTunku Abdul Rahmanマラヤ連邦首相は、ここマラッカで、国民に対し独立を確認する「独立宣言」を行…

マレーシアひとり旅(2024年) <42> まだ9日目 マラヤ連邦の独立

<9日目ー19>2024年7月30日 火曜日 マラッカ 最高32℃ 最低26℃。マラッカ3日目。「独立宣言記念館」でマレーシアの歴史に触れている。。 <1955年連邦議会総選挙>「マラヤ連邦協定」では、依然としてイギリス人の高等弁務官の管轄下に、イギ…

マレーシアひとり旅(2024年) <41> まだまだ9日目 「カルカッタ会議」と東南アジアの武装蜂起(6)MCPの蜂起と非常事態宣言

MCPとその軍事部門の「マレー民族解放軍MNLA」(Malayan National Liberation Army)は、その後全土でゲリラ戦を展開する。対するイギリス植民地政府は、1948年6月16日、マレー全土に「非常事態」を宣言し、イギリス軍、イギリス連邦軍によるゲリラ掃…

マレーシアひとり旅(2024年) <40> まだまだ9日目 「カルカッタ会議」と東南アジアの武装蜂起(5)中国国共内戦

「カルカッタ会議」の開かれていた1948年2月、この時期の中国共産党は、まさに国共内戦の只中に在って、「革命武装路線」一択だった時代だ。9月10日山西省上堂で起きた国民党の国民革命軍(NRA)と中国共産党が1927年8月1日に組織した軍事組織「工農紅軍」(…

マレーシアひとり旅(2024年) <39> まだまだ9日目 「カルカッタ会議」と東南アジアの武装蜂起(4)マラヤ危機・莱特ライテクと陳平チンペン

1948年3月21日、マラヤ共産党MCPもついに武装闘争を開始する。1948年1月31日、2月1日の政治局会議で、英当局の弾圧下では「和平路線」の継続は無理との意見が出たのだ。

マレーシアひとり旅(2024年) <38> まだまだ9日目 「カルカッタ会議」と東南アジアの武装蜂起(3)蘭印と仏印

1948年2月19日から2月25日まで、インド西ベンガル州にあるカルカッタ(Calcutta 現コルカタ Kolkata)で「アジア共産主義青年会議」(カルカッタ会議)が開催された。その頃インドネシアでは、1948年9月、東ジャワのマディウン(Madiun)で、1947年7月以来オ…

マレーシアひとり旅(2024年) <37> まだまだ9日目 「カルカッタ会議」と東南アジアの武装蜂起(2)フィリピン

1948年2月19日から2月25日まで、インド西ベンガル州にあるカルカッタ(Calcutta 現コルカタ Kolkata)で「アジア共産主義青年会議」(カルカッタ会議)が開催された。その頃フィリピンでは、1948年5月、「フィリピン抗日人民軍 フクバラハップ」が、フィリピ…

マレーシアひとり旅(2024年) <36> まだまだ9日目 「カルカッタ会議」と東南アジアの武装蜂起(1)ビルマ(ミャンマー)

1948年2月19日から2月25日まで、インド西ベンガル州にあるカルカッタ(Calcutta 現コルカタ Kolkata)で「アジア共産主義青年会議」(カルカッタ会議)が開催された。この混沌とした街で開催された会議では、第二次大戦中の「反ファッショ統一戦線」からの決…

マレーシアひとり旅(2024年) <35> まだ9日目 「大西洋憲章」とマラヤ共産党MCP

戦後のイギリスには、すでに広大な植民地を維持する費用も、治安維持のため兵力を投入する余力も無かった。戦争によって多くの海外資産や商船隊を失って経済は疲弊し、アメリカから莫大な借金をする様になっていた。

マレーシアひとり旅(2024年) <34> まだまだ9日目 軍政から民政へ「マラヤ連合」とマラヤの桎梏

大戦後のマラヤの行政復興計画の立案は、すでに1942年にイギリス本国の植民地省で開始されていたらしい。 戦前のマラヤは、3つの地域に分かれて統治されていた。

マレーシアひとり旅(2024年) <33> まだ9日目 マラヤは再びイギリスの植民地に

敗戦による日本軍の撤退後、マレーは再びイギリスの植民地に戻ることになった。 しかし、1945年9月にイギリス軍がマレーに戻って来るまでの権力の空白期には、戦時中活動していた山岳地帯から町に戻って来た「マラヤ人民抗日軍」が、日本軍に協力したとして…

マレーシアひとり旅(2024年) <32> まだまだ9日目 日本の敗戦とマラヤに残った日本兵たち

8月10日の御前会議で、ポツダム宣言受諾を決定する。 日本政府は、ポツダム宣言受諾を承認し、全日本軍が降伏する用意のあることを、午前8:00の海外向け放送で、日本語と英語で3回伝えた、更に中立国であったスイスとスウェーデンで、在外公使により交…

マレーシアひとり旅(2024年) <31> まだ9日目 日本占領下の抵抗運動とMPAJA

1941年12月に日本軍がマレー半島に侵攻すると、英国植民地政府はシンガポールのチャンギ刑務所に収監されていた約200名のマラヤ共産党(MCP)メンバーを解放し、英軍の施設でゲリラ戦の訓練を施した後、MCPの軍事組織「マラヤ人民抗日軍」MPAJAとして…

マレーシアひとり旅(2024年) <30> まだ9日目 日本軍のマラヤ統治と連合軍捕虜

1942年5月以降、多くの捕虜はタイとビルマ(現ミャンマー)間に建設中の「泰緬鉄道」の建設に動員された。 1台に27名もの捕虜を詰め込んだトラックで、4日間も輸送された。また現地では下痢、赤痢、マラリア、脚気、十二指腸虫、コレラなどが蔓延し、十分な…

マレーシアひとり旅(2024年) <29> まだまだ9日 シンガポール華僑粛清事件「大検証・Sook Ching」

2月19日、山下第25軍司令官名で以下の布告が行われた。 「昭南島在住18歳から50歳までの男子は、21日正午までに左の地区に集合すべし。 アラブ街及びジャラン・プッサール広場(他4か所) 右に違反する者は厳重処置さるべし。尚、各自は飲料水及び食料を…

マレーシアひとり旅(2024年) <28> まだ9日目 第25軍の上陸とシンガポールの戦い

パレンバンに空挺降下があった翌日の2月15日14:00ごろ、シンガポール島の中央、ブキッ・ティマ道路に沿って進撃中の第5師団杉浦部隊の正面に、突然英国旗を掲揚したイギリス軍参謀ニュービギン少将他2名の軍使が現れ、降伏申入れを受諾する旨の回答を行っ…

マレーシアひとり旅(2024年) <27> まだまだまだ9日目 日本軍の上陸 

午前1:35、20艘の舟艇に移乗した第一次上陸部隊は、パンタイ・ダサール・サバ(Pantai Sabak)の海岸に向け発進した。その海岸近くに、第一目標であるコタバルの飛行場が控えていた。 同時に、日本の護衛艦隊も海岸一帯に援護射撃を開始した。

マレーシアひとり旅(2024年) <26> まだまだ9日目 イギリス植民地下のマラヤの人々

<9日目ー3>2024年7月30日 火曜日 マラッカ 最高32℃ 最低26℃。マラッカ3日目。「独立宣言記念館」でマレーシアの歴史に触れている。 <植民地下のマラヤの人々>この頃、イギリス植民地下のマレー半島を旅行していた、前述した金子光晴の「マ…

マレーシアひとり旅(2024年) <25> まだ9日目 イギリス領マラヤ

<9日目ー2>2024年7月30日 火曜日 マラッカ 最高32℃ 最低26℃。マラッカ3日目。今日は、「独立宣言記念館」でマレーシアの歴史に触れている。<英蘭協定>1824年、ナポレオン失脚後、領土を回復したネーデルランド連合王国(Verenigd Koninkri…

マレーシアひとり旅(2024年) <24> 9日目 マラッカの旧市街と「独立宣言記念館」

<9日目ー1>2024年7月30日 火曜日 マラッカ 最高32℃ 最低26℃。マラッカ3日目。 <マラッカにはランドリーがよく似合う>昨晩、トラディショナルな風邪薬を飲んだきり、朝の4:00過ぎまで一睡もできなかった。もう一度薬を飲んで、今日は一日中…

マレーシアひとり旅(2024年) <23> まだ8日目 マラッカ川クルーズとトラディショナルな風邪薬のキキメ

16:12、ショッピングモールからの帰り、オランダ広場方面に向かうJl.Merdeka(独立通り)がマラッカ川にぶつかって北に大きく曲がると、川沿いの海洋博物館の先に、マラッカ川リバークルーズの案内看板があった。

マレーシアひとり旅(2024年) <22> まだまだ8日目 マラッカ海峡が見えた!! 

直ぐにゆっくり登り始める。 すると周囲の、規則的に並んだ赤茶色の屋根を持つ沢山のマレー風の住宅が見える。その中を細い筋の様にマラッカ川が蛇行して流れている。 確かにマラッカの街並みが一望だ。あれがオランダ広場や、サンチャゴ砦などのある歴史地…

マレーシアひとり旅(2024年) <21> まだ8日目 フローラル・デ・ラ・マール号

風邪薬を買いに行こう。 一旦戻ったホテルのレセプションで、薬局は何処にあるか「Is there Pharmacy near here?」と聞くが、どうもこの辺には無いらしい。 ショッピングモールの2階にならあると。そのモールの名前を聞くが、上手く聞き取れない。肝心のその…

マレーシアひとり旅(2024年) <20> まだまだ8日目 ジョンカーストリートで雨宿り

店を見て歩いていると、突然の雨。それも大粒の雨が激しく降り始めた。慌てて土産店の軒下に避難し、どうせならとその奥に在った「Backlane Coffee」に入った。コーヒーを飲みながら、窓の外の軒から勢いよく落ちる雨粒を眺めている。 雨は本降りになって、…

マレーシアひとり旅(2024年) <19> まだ8日目 マラッカの中華街と金子光晴のマレイ「馬来」の旅

<8日目ー2>2024年7月29日 月曜日 マラッカ 最高32℃ 最低25℃。昨日KLからバスで、ようやくマラッカに着いた。今日は朝から旧い中華街を散策している。でも風邪をひいたのか、具合が悪い。<ショップハウスと軒廊(こんろう)>中華街のメイ…