歳をとっても旅が好き

海外ひとり旅の記録?いや記憶かな

南インドひとり旅(1999年) <2> 1日目 出発 旅は初めから大慌て 

ストライキの影響で、各発着便の運航時刻が狂っているのか、真夜中なのにトランジットルームは多くの人達でごった返している。人込みを掻き分けてカウンターの前に出て、航空券を見せながら「Excuse me! Check-in please!」と言いつつ粘った。

南インドひとり旅(1999年) <1> 旅の準備 思い立ったが吉日

一昨年の1997年11月、初めてインド旅行に行った。主に北インドを廻ったが、あの広大なインドのまだほんの一旦しか見ていない。南インドは、一体どんなところなんだろう。早く見に来いと、呼んでいる様な気がする。

インドひとり旅(1997年) <21 最終回> 11日目 帰国

空港のターミナルビルには、出発の3時間前からで無いと入場できないと。仕方なく、向かいのVisitor RoomにRs.10(約35円)を出して入り、休む。並んだベンチに座ってTVを見ていると、突然ニュースに変わり、「山一證券、自主廃業」の報が飛び込んで来た。

インドひとり旅(1997年) <20> 11日目 初めで最後のデリー観光はクトゥブミナール

途中、乗っていたオートリキシャが急に止まって、降りてくれと言う。どうもフロントタイヤがパンクした様だ。どうするのかと見ていると、近くを通りかかった若い男性に声を掛けた。

インドひとり旅(1997年) <19> まだ10日目 「寿限無」じゃないよ、リキシャワーラーとの攻防

オートリキシャのドライバーに、Central Cottage Industries Emporiumへ行ってくれと言った。しかしオートリキシャは、回り道をするのか住宅地の中に入っていく。すると突然、背中越しに「Central Cottageは高い、もっと安いところがある」という。

インドひとり旅(1997年) <18> 10日目 ニューデリーでまた宿探し

YWCA of DELHI blue triangle family hostelの中に入ると、ロビーは何故かアフリカ系の人で一杯だ。しかも洋装ではなく、裾迄長くゆったりとした、カラフルな民族衣装の人が多い。昨晩泊まっていた「YWCA of INDIA international Guest House」では、殆どア…

インドひとり旅(1997年) <17> まだ9日目 YWCAと紙幣の謎

ようやく着いたYWCAのレセプションで、部屋があるか聞いてみる。意外にも、今晩はOKだと。 実はYWCAで、男性が泊れるとは知らなかった。受付の欧米人の女性に「At this YWCA, Can men stay?」と聞くと、「Sure」と。

インドひとり旅(1997年) <16> 9日目 ニューデリー(New Delhi)に到着

ニューデリー(NEW DELHI)駅のプラットフォームに降り立ったが、左右を見渡しても駅舎の建物が見えず、どっちに行けば目指すパハール・ガンジ(メーンバザール)側の出口に出られるか分からない。

インドひとり旅(1997年) <15> 8日目 カルカッタを出発、Rajidani Exp.でデリーへ向かう

「9」のプラットフォームで待って居ると、今回の旅行で初めて、汚れた紫色のサリー姿で、腰の横で裸の赤ん坊を抱いた物乞いの女性が、手に潰れた様なトレイを差し出しながら近づいて来た。上半身半裸で裸足の子供達も2,3人寄って来た。

インドひとり旅(1997年) <14> まだ7日目 カルカッタ(CALCATTA) の夕暮れ

部屋でシャワーを浴び、明日の準備に荷物をまとめていると、ノックの音が聞こえ、Kさんの友人がひとりで訪ねて来た。 腕輪を買えたことのお礼と、これから何処に行くのか聞いてきた。

インドひとり旅(1997年) <13> 7日目 再びカルカッタ(CALCATTA)へ戻って来た

AM5:50頃、昨晩の18:35にプリー(PURI)を出発した列車「8008 PURI-HOWRAH Express」が、早朝のHAWRAH駅に到着。列車を降りてから、宛てがないのに気付いた。

インドひとり旅(1997年) <12> 6日目 プリ―(Puri)を出発、再びカルカッタへ

Coachは何処?と言うので「1st Class A/C」だと言うと、急に軽蔑そうな口調で、隣のインド人男性に「たかるならこういう人にくっ付いて行くんだよ!」と日本語で言うと、さっさとセカンドクラスの方に歩いて行ってしまった。

インドひとり旅(1997年) <11> 5日目 コナーラク(Konark)の海岸とスーリヤ寺院(Surya Mandir)

ホテルを出るとChakratirtha.Rd.を行き、突き当たりのサンタナロッジを左折。舗装の悪い赤い道を、コナーラクへ向けエンジンの甲高い音と、地面の凹凸を拾って激しく振動しながらひたすら走る。

インドひとり旅(1997年) <10> まだ4日目 宿を変えたら、次は鉄道チケットだ

プリ―駅で列車のチケット窓口に並ぶ。ようやく順番が来た。 「I `d like to reserve ….」と言いながら、予め紙に書いて来たデリーDELHI行き列車の番号を見せる。しかし、にべもなく「No.」と。2番目、3番目の候補も無かった。

インドひとり旅(1997年) <9> インド4日目で早くも下痢、宿探しに悪戦苦闘

「Single, A/C, attached bath」とチラシに書いてあった「A/C」付の部屋を注文する。「It room fee is Rs.500?」と聞くと、黙っているので「May I see the room?」と言うと、その腹の出た男がにやついた顔で、A/C room Rs500はたったいま無くなったという。

インドひとり旅(1997年) <8> まだ3日目 プリ―(Puri)の町、ジャガンナート寺院のお祭りの只中で

ジャガンナート寺院の前から続くメインストリート「Grand Rd.」に出ると、物凄いに賑やかさだった。びっくりしたのは、大通りの両脇に、きれいに二列に並んだ夥しい数の物乞いの列だった。こんな多数の物乞いをはじめてみた。

インドひとり旅(1997年) <7> 3日目 海辺の保養地プリ―(Puri)に到着

ルンギー姿の年配のワーラーの漕ぐサイクルリキシャに乗った。私が行く先を言わぬ前に「Love & Life?」と訊く。色々説明しなくて良いので、「Yes、Please.」と言うと、走り始めた。道には私を乗せたサイクルリキシャ以外、野良牛が歩いているだけだ。

インドひとり旅(1997年) <6> まだまだ2日目 慌ただしくカルカッタを出発

しばらくロビーで待つがエージェントが来ないので、レセプションの人に「Could you tell me when the Tour agent comes.」と託して、レストランに向かった。 今後いつ食べられるか判らないので、タンドリーチキンを注文する。

インドひとり旅(1997年) <5> まだ2日目 カルカッタの鉄道予約オフィスを訪ねて

エスプラネード駅沿いのこの通行の激しい通りを、キャスターの付いた小さな台に乗った脚の悪い男が、腹ばいのまま両手で地面を漕ぐ様にして渡って行く。誰も注目もしなければ、車やオートリキシャが徐行したり待つことも無い。

インドひとり旅(1997年) <4> 2日目 カルカッタ(Calcutta)の街をあるく

Mさんとホテルを出て、サダルストリートをチョーロンギー通りと反対の奥へと歩いて行った。彼はガイドブックを持っておらず、私の持っていたガイドブックを見て、これからひとりでインドを廻るので買っておきたいと言ったのだ。

インドひとり旅(1997年) <3> 1日目 旅のはじめ・カルカッタへ出発

ダムダム空港では飛行機からタラップで降り、歩いて低層のターミナルビルに入るとすぐにイミグレーションになった。遅い時間だが、薄暗く広い体育館の様な室内いっぱいに長蛇の列が出来ていた。殆ど男性で、多くは半袖のシャツに綿のズボン。中にはサンダル…

インドひとり旅(1997年) <2> 旅の準備 インド大使館でVISAをとる

インドに行く殆どの観光客は、旅行代理店にビザの取得を依頼するだろう。しかし今回私は、自分でインド大使館に行って、ツーリストビザ取得することにした。理由は、もちろん自分でやってみたかったからだ。

インドひとり旅(1997年) <1> 旅の準備 「インドって大丈夫でしょうか?」

「インドって大丈夫でしょうか?」窓口に出てくれた男性に、最初にそう聞いた様な気がする。最初に買ったガイドブックの表紙には「インド世界を1日1,500円以内で、ホテルなどの予約なしで鉄道とバスを使って旅する人の入門ガイド」と書いてあった。

ミャンマーひとり旅(2017年) <75 最終回> 21日目 帰国 しかしヤンゴン空港のイミグレで立ち往生

左側の係官のカウンター前に立って、パスポートと書いたばかりの出国カード、航空券を出す。しかし係官は、私を見つめながらしきりに首を捻って、何度もパスポートを機械に掛けている。次第に私の後ろは長い列になってしまった。

ミャンマーひとり旅(2017年) <74> まだまだ21日目 ヤンゴン日本人墓地にて 日本人捕虜の扱い

日本の敗戦後、イギリス軍の日本人捕虜への扱いは苛酷を極めたらしい。イギリス軍の報復だったのだろう。労務は、自動車道路の建設、鉄道工事、埠頭の荷役、糞尿処理、墓地に仮埋葬された腐乱死体の移動など、厳しい肉体労働と劣悪な環境の使役が主だったら…

ミャンマーひとり旅(2017年) <73> まだまだ21日目 アウン・サン博物館⑤ 軍政から民政へ ミャンマーの天然ガス

ミャンマーの天然ガス田は1990年代前半に発見され、1990年代後半にかけ生産が始まっている。生産量の60~70%が輸出され、その額は、2014年度は51億ドルに上り、ミャンマーの輸出全体の41%を占めている。しかもその特徴として、輸出代金の政府取り分が70~8…

ミャンマーひとり旅(2017年) <72> まだまだ21日目 アウン・サン博物館④ つづく軍政の時代 社会主義と軍政

1974年ネ・ウィン大統領に就任。軍事政権。ネ・ウィン政権は、内向きの計画経済体制をとり、矛盾が噴出していた。

ミャンマーひとり旅(2017年) <71> まだまだ21日目 アウン・サン博物館③ ビルマ連邦の建国と軍事クーデター

1948年1月4日、ビルマは「ビルマ連邦」としてイギリスから独立する。しかし独立直後からカレン族が独立闘争を始め、共産党も政権を離脱。 1949年には、中国国内での国共内戦に敗れた中国国民党軍の残存勢力が、シャン州に侵入。此処を拠点に「雲南省反共救国…

ミャンマーひとり旅(2017年) <70> まだ21日目 アウン・サン博物館② 「アウン・サン=アトリー協定」とアウン・サンの暗殺

<2日目ー2> 2017年 6月11日 日曜日 ヤンゴン 雨 時々曇り 27度。ヤンゴンのカンドーヂ湖(Kan Daw Gyi Lake)の北にある、ミャンマー建国の父と呼ばれるアウン・サン将軍の生前の住居だった、アウン・サン博物館(Bogyoke Aung San Museum)に来ている。…

ミャンマーひとり旅(2017年) <69> 21日目 アウン・サン博物館① アウン・サンと独立を目指すビルマ

1945年(昭和20年)8月15日、日本の降伏によって戦争は終結した。 しかし期待を抱かせた戦争勝利後の独立の夢はかなわず、ビルマは再び植民地のイギリス領ビルマに戻った。