昨日は、今日すぐに鉄道でソウルまで行こうと思っていたが、オンドルパンでゆっくり寝られて、身体が回復したためか、昨晩の「湯の町エレジー」の合唱のせいか、内陸の韓国の町に興味が湧いてきた。それに、若い時に読んだ本で、森崎和江の「慶州は母の呼び…
「アンニョンハセヨ!」と声を掛ける。すると奥から小太りな若い女性が出て来た。 「ピン パン イッソヨ?」部屋空いていますか?と言うと、突然韓国語で滔々と説明が始まった。しまった!
ふと隣に立っていた韓国人の男性が、「ここは駅か?」と韓国語で聞いて来た。殆ど聞き取れなかったが、「ニョク(駅)」だけ分かったのと自分もここが大邱駅ではないかと疑心暗鬼だったので、男性の言葉に促されるように「ネー(そう)」と頷くと、彼も私も…
ガイドブックを広げながら、これから何処へ行こうか考えるが、時間はフェリーの出る14:00までだ。そうだ、宿の主人が教えてくれた梵魚寺(ポモサPOMOSA)へ行ってみようと思い立った。
彼女は、今度はバケツの様な物をぶらぶらさせて来て、テーブルの穴の中に熾きた炭を入れ、円錐型の網を被せた。ステンレスの箸で小鉢を摘んでいる裡、女性の店員が骨の周りに肉をぐるぐる巻いたカルビを持ってきて、網の上に広げた。ジューという音がして肉…
明日は麗水(ヨス)へ行こうと思っている。麗水は朝鮮半島の南、全羅南道(チョルラナムド)、麗川(ヨチョン)半島の南端部にある港町で、釜山から沿岸フェリーが出ている。
階段の上のガラス戸を押して中に入ると、細い通路を覆い被さんばかりに衣類を山積みした店が、左右に並んでいる。入った途端、品物の奥に座った複数の女性の店員が、突然現れた私を一斉に見た。しかし誰も呼び声を掛けてこない。
南浦洞(ナンポドン)は、釜山駅前からきた中央路が海岸に沿って右に大きく曲がった所だ。釜山の市庁舎があり、釜山の町の中心地の様だ。影島(ヨンド)に向かって釜山大橋(プサンテギョ)や影島大橋が架かっている。
釜山タワーの展望台は二層になっており、エレベーターはその下層階に着く。そこは食堂のようで展望が無い。細い螺旋状の階段を上って上層階へ出ると、急に明るくなり、ガラス越しに釜山の街が広がっていた。
釜山中央郵便局に入った。カウンターがずらっと並んでいたが、「AIR MAIL」と書かれたカウンターで、中の女性に2通の葉書を見せると、W350(約49円)の切手を2通分呉れた。金を払い、それを貼って差し出すと、ちらりと見て横の箱に入れた。あれが日本に着…
釜山駅は線路の上にある橋上駅の様で、駅舎の左横にはその外観を特徴づける様な、二階へ直接上がれるスキーのゲレンデの様な巨大なスロープが付いている。広場の右手には、1階にあるレストランの軒に赤い提灯を下げた、こげ茶色の大きなアリランホテル(Pus…
9:00AM部屋を出た。途中の従業員部屋の前で、昨日の女性が沢山のシーツを畳んでいた。 「もう一晩泊まります。」と日本語で言うと、少し笑って頷いた。中二階のフロントで主人に会うと、もう一泊と言ってW20,000(約2,800円)を出した。
外は夕暮れになっていたが、コートを着ていなくとも寒くない。3月の韓国は未だ寒いと思っていたのに、意外なほどだ。 釜山は朝鮮半島でも最南端だから、日本とあまり変わらないのかもしれない。少し歩いてみようと中央路まで出て、コンビニの角を南浦洞(ナ…
アルミサッシのガラス戸を開けると、まだ開店間もないのか、中はがらんとしていた。びっくりしたのは、左手に大きな水槽があり、水の中で生きた魚が悠々と泳いでいたことだ。奥から50才位と30才位の二人の女性が出てきて、韓国語で話しかけてきた。
部屋は四畳半位のオンドル部屋で、くすんだ緑色のタイルが貼られた二畳ほどのトイレ兼浴室が付いている。オンドルの床は黄色いリノリュウムのようなものが貼られていて、暖かい。
降車ボタンを押すと、バスは予想通り急停車した。 左手に持ったサブザックが飛んでいってしまうのではないかと思うような衝撃を受けたが、なんとか踏ん張ってよろけながらも、車体中ほどにある降車用の出口から出て、「中央路(チュンアンノ)」の舗道の上に…
ターミナルビルの出口付近にあった空港の案内カウンターで、若い女性の職員に英語で、釜山市内へ行くローカルバスを尋ねる。若い女性職員は、私の姿を見て当然の様に、バスは「No.300」で、料金はW800(約112円)だと教えてくれた。「Where is the bus stop?…
釜山金海空港は、以前家族でツアーに参加して行ったソウルの金浦(キンポ)空港に比べると、全体に小さく、ひとも少ない。ターミナルビル内を、銀行を捜して歩き始めたら、すえた様な臭いに気付いた。 ああ、日本ではないところに来たのだと思ったら体が震え…
これは、1997年3月に行った旅の記録です。この旅行は、私にとっては初めてのひとり旅でしたが、旅先である韓国では、「朝鮮戦争以来、最大の国難」と呼ばれた「アジア通貨危機」(「IMF危機」)が、韓国社会を襲う直前の時期でした。
ANAのチェックイン・カウンターには、既に人が並んでいる。通路の向こうからサブザックを背負い、小さなキャリーバッグを引いて短パン姿の同年輩と思しき男性が歩いて来た。 彼に、「Excuse me, Please tell me. Is this check-in line for ANA to Narita?」…
TBSから連絡橋を渡って、KLIA Transitの駅BTSへ行く。 ここから直接KLIAのターミナル1へ向かうつもりだ。電車で1本、乗換なしなので便利だが、しかし僅か3駅先の駅まで行く運賃は、なんとRM38.4(約1,305円)もする。マラッカからTBSまで約150Km、2時…
KLへのバスは、アプリ「Easybook」で予約済みだが、QRコードの付いた紙のチケットを発券してもらわなければならない。ネットで予約済みで、紙のチケットを発券してくれるだけの窓口はどれなんだろう。
私が空いたテーブルに座ると、若い使用人がオーダーを聞きに寄ってきた。 しかし何を注文して良いかわからない。壁には手書きのメニューが掛けられているが、分からない名前もあるし、どんな料理なのかも分らない。
マラッカ最後の夜、寝ようかと思ったら、昼間見たポストの「GR」が気になって仕方ない。 確か「GR」の上に王冠のマークがあった。やっぱりオランダ時代の物か?いやいやそこまで古くない。ということは、イギリスの植民地時代のものか? iPhoneを使って…
実はマラッカを散歩して、独立宣言記念館を訪れた際、気になっていたことがあった。 1956年2月20日、翌年の独立に先立って、トゥンク・アブドゥル・ラーマンTunku Abdul Rahmanマラヤ連邦首相は、ここマラッカで、国民に対し独立を確認する「独立宣言」を行…
<9日目ー19>2024年7月30日 火曜日 マラッカ 最高32℃ 最低26℃。マラッカ3日目。「独立宣言記念館」でマレーシアの歴史に触れている。。 <1955年連邦議会総選挙>「マラヤ連邦協定」では、依然としてイギリス人の高等弁務官の管轄下に、イギ…
MCPとその軍事部門の「マレー民族解放軍MNLA」(Malayan National Liberation Army)は、その後全土でゲリラ戦を展開する。対するイギリス植民地政府は、1948年6月16日、マレー全土に「非常事態」を宣言し、イギリス軍、イギリス連邦軍によるゲリラ掃…
「カルカッタ会議」の開かれていた1948年2月、この時期の中国共産党は、まさに国共内戦の只中に在って、「革命武装路線」一択だった時代だ。9月10日山西省上堂で起きた国民党の国民革命軍(NRA)と中国共産党が1927年8月1日に組織した軍事組織「工農紅軍」(…
1948年3月21日、マラヤ共産党MCPもついに武装闘争を開始する。1948年1月31日、2月1日の政治局会議で、英当局の弾圧下では「和平路線」の継続は無理との意見が出たのだ。
1948年2月19日から2月25日まで、インド西ベンガル州にあるカルカッタ(Calcutta 現コルカタ Kolkata)で「アジア共産主義青年会議」(カルカッタ会議)が開催された。その頃インドネシアでは、1948年9月、東ジャワのマディウン(Madiun)で、1947年7月以来オ…