歳をとっても旅が好き

海外ひとり旅の記録?いや記憶かな

ミャンマーひとり旅(2017年) <19> まだ4日目 ミャンマーへ陸路で入国の夢

<4日目―12

2017年 5月25日 木曜日 モウラミャイン 晴れのち雨 暑い 36度。

<ミャンマーへ陸路で入国>

私はミャンマーがまだ軍政の時代から、この国を旅行したいと思っていた。それは2016年にミャンマーでNLD(国民民主連盟 National League for Democtacy)が政権を取って、民主化を進めていた時も同じだったが、旅行を躊躇わせていたのが、周辺国からの陸路での入国の難しさだった。
その道のプロ(?)の様な人なら分からないが、私の様な普通の人では空路しか入国の道が無い様に思っていた。
私は陸続きの国なら、なるべく陸路で国境を越えたいと思っていたのだ。
それがある時、タイから陸路での入国が可能だと知ってから、俄然行ってみたくなったのだ。

実は後で知ったのだが、外国人の陸路での入国は、軍政から民政に移管したテイン・セイン政権時代の2013年8月に既に可能になっていたのだが、迂闊にも、私はそれを長い間知らなかった。

この国境が外国人にも開かれた背景には、テイン・セイン政権時代の民政化による改革の他に、実は2012年1月に最後まで停戦に応じなかったミャンマー最大の反政府武装組織「カレン民族同盟 Karen National Union」とミャンマー国軍の停戦合意があったためだった。

私は今回、タイのメーソートからミャンマーのミヤワディを通ってモウラミャインに入るルートで入国したが、それが奇しくも75年前の旧日本軍のビルマへの進攻ルートと重なっていることに気付いたのは後になってからのことだった。

<ウィンセントーヤの大涅槃佛>
タンビュッザヤからモウラミャインに戻る途中に、大きな座佛が建設中だった。
まだ周囲には何もない。
こんな巨大な仏さまを造る思いは、昔奈良の都で聖武天皇が大仏を造ろうと発願した思いと、何処の国でも同じなんだろうか。

2014年に行われたミャンマーの国勢調査によると、国民の87.9%が仏教徒らしい。他にはキリスト教が6.2%、イスラム教が4.3%、ヒンドゥー教が0.5%、その他1%、無宗教0.1%。
以前パキスタンに行こうとVISAの申請書を書いたことがあるが、中に「Religion」(宗教)を書く欄があり、私も「Buddhism」と書いたが、どうも違和感をぬぐい切れなかった記憶がある。
私たち多くの日本人にとって、どうも「仏教」は宗教というより、葬式や法事のときの「儀礼」の様なものに近い気がするのだ。
それに比べ、此処ミャンマーを旅し始めて、ミャンマーの人(特にビルマ人)にとって仏教はまさに生活の中に根付いた信仰なのだと感じる。

ミャンマーへ仏教がもたらされたのは、12世紀。初めてのビルマ人による統一王朝であるパガン王朝(1044年~13世紀末)の時代、スリランカから上座部仏教が伝来したのが初めらしい。
上座部仏教(Theravada Buddhism テーラヴィーダ仏教)は、釈迦の死後、初期仏教が紀元前3世紀ごろ部派仏教と大乗仏教に分裂。その部派仏教は上座部と大衆部があったらしく、上座部仏教はその上座部の系統らしい。

上座部仏教では、輪廻転生が永遠に繰り返されることが最大の苦しみで、そこから解放されるには、出家して僧侶となり修行して悟りを得るか、在家のまま功徳(くどく)を積んで涅槃に達することとされた。
僧侶とは比丘(Bhikkhu)、比丘尼(Bhikkhuni)で、具足戒と言う戒律を守る人。サンガ(僧加)と呼ばれる仏教教団があり、その下に在家の仏教徒が居た。
経典は、インドの古語のひとつパーリ語で書かれた「パーリ三蔵(経、律、論)」。
特徴の一つに、生まれた曜日を重要視する様だ。

さらに、実はミャンマーの上座部仏教は格式が高い。
現在、上座部仏教はおおもとのスリランカはじめ、ミャンマー、タイ、カンボジア、ラオスなどで信仰されている(因みにベトナムは大乗仏教)が、「結集(けっしゅう)」と言う会議が2度もミャンマーで開かれているのだ。
「結集 サンギティ(Samgiti)」とは、仏教の経典である経、律、論の「三蔵」をまとめた編集会議のことで、キリスト教の「公会議」(Ecumenical Council)の様なものらしい。
過去第1回から第3回の開催はインド、第4回目はスリランカ、第5回目は1871年にミャンマーで、コンバウンド朝のミンドン王のもとマンダレーで行われ、第6回目は1954年、仏暦2500年記念でラングーン(現ヤンゴン)で開催されている。

同じ露仏だと、鎌倉の大仏様の緑青を吹いた姿を見慣れているので、此処の色塗りのお人形の様な仏様は少し違和感があるが、ミャンマーの仏様はどこもそうだ。
高さは55mもあるらしい。鎌倉の大仏は台座を入れても約13mなので、傍に寄ると、ここのはとてつもなく大きい。
姿勢も、ここの大仏様は堂々として正対しているが、鎌倉の大仏様は少し猫背気味で、個人的にはその方が好きだけどなぁ。
近くによって、手を合わせてきた。

露天の大仏様。とてつもなく大きい。

さらに次は、世界で1番大きいと言われる仏様の涅槃像「Win Sein Tawya」を見に行く。
幹線道路から横に入って参道を進むが、その両脇には何十体もの僧服姿のお坊さんの人形が並んでいる。
此処の仏様も白塗り、色鮮やかな涅槃像だが、とてつもなく大きい!!
高さ28m、涅槃物なので長さは183mもある。丘の中腹に寝ていらっしゃるので、仏様まではビルに備えられる様な鉄製の階段と渡り廊下が続いている。
ここもまだ建設中だが既に観光名所らしく、丁度青い制服を来た女学生の一団と一緒になった。
お互い片言の英語で話したり、彼女たちの写真を撮ってやるついでに、お願いしてiPhoneで今回初めて自分の写真も撮って貰った。

涅槃像は中に入れるので、裸足になって長い階段を登り、陸橋の様な橋を渡っていく。何か裸足で工事現場に入って行く様な面持ちだ。
中は、いずれ博物館の様な展示場になるらしいが、今は剥き出しのコンクリートの壁と、板を渡した足場が残っている。薄暗い中に、足元も鳥や蝙蝠か何かの糞がいっぱい散乱している。埃っぽい中を、裸足なのであちこち足の置き場を捜しながら、体内にもある階段を登って行く。しかし、どうも有り難みが薄いなぁ。
でも、途中の穴から見える外の眺望は素晴らしい。しばらく風に吹かれて佇んでいたが、まだ内部を参拝する人も少なく、早々に降りて来た。

巨大な涅槃仏像へは、裸足になってこの陸橋を渡って行く。

<昼食のミャンマー料理はお尻に響く>
昼近くになったので、ドライバーに「Have a lunch? 食事をしないか?」と言う。どこか美味しそうな店を知っていないかと思ったのだ。すると、「えっ⁈ 大丈夫なの?」と言わんばかりの表情をした。

行ったのが、この境内の入り口にある食堂だ。
麺の方が食べ易いだろうと、唯一聞いたことがあるミャンマーの緬料理「モヒンガー」(mohinga)と言ってみるが、無いと。とりあえずヌードルと言うと、餡かけ焼きそば風のものが出て来た。ドライバーは、自分はいらないとお茶を飲んでいる。

初めてのミャンマー料理。東南アジアでは定番のテーブルマナーで、テーブルにあるスプーン、フォークをナプキンで丁寧に拭いてから、恐る恐る口に運ぶと、意外に食べ易い。これならと本格的に食べ始める。
塩味はじめ全ての味が濃過ぎ。頼んでいたミネラルウォーターを飲みながらようやく3分の2食べて、ギブアップした。これを毎日食べて居たら、お腹をやられるなぁと思ったが、後でお腹では無くお尻の穴が痛くなった(笑)。2,000Ks(約160円)。

ミャンマー風味付けの餡かけ焼きそば

この後、行くときに沿道に咲いていた真っ赤な花が綺麗だと言ったのを覚えていてくれたのか、モウラミャイン大学(Mawlamyine University)の前に連れて行ってくれた。此処は道路の街路樹がみなこの真っ赤な花を付けた木(多分、鳳凰木か)で、延々と路の両側で咲き誇っていた。日本で火炎樹ともいうのはこの木だろうか。

モウラミャイン大学前の街路樹

多分、鳳凰木かなぁ