歳をとっても旅が好き

海外ひとり旅の記録?いや記憶かな

インドネシア・ジャワ島ひとり旅(2017年) <29> 12日目 スラバヤからジャカルタへ、ANGGREK PAGI号に乗って

<12日目ー1> 

2017年 3月4日 土曜日

昨日、スラバヤ(Surabaya)の街を歩いたが、「英雄の街」の史跡は辿れず、ショッピングモールで終わってしまった。

<スラバヤから鉄道でジャカルタへ移動する。パサール・トゥリ駅>
朝3:30起床。昨日買置きの菓子パンを食べる。朝食だ。
洗面の途中で、左脚裏に虫刺され。痒いのでバルサム(タイガーバーム)を塗った。
荷物をまとめる。
最後にトイレに行く。
上はティーシャツの上に薄いパーカーを羽織り、下は登山の時に履くグレーのズボンだ。靴はハイキングシューズ。相変わらずだが、ジョグジャを出てからランドリーに出せていないので、今日は予備の衣類を出して来た。
黒い小型のトランクを引き、今日列車の中で着る辛子色の薄手のフリースは背中のサブザックの中。パスポートは肩から斜め掛けしたウェストポーチの中だ。

5時チェックアウト。デポジットの他、追加料金は無し。
レセプションでタクシーを呼んで貰い、パサール・トゥリ駅(Psar Turi)へ向かう。

スラバヤには長距離列車の発着駅は3つある。
ジャワ島の最も主要な鉄道幹線、ジャカルタ(Jakarta)=スラバヤ(Surabaya)間の路線で、スラバヤを出発して、内陸のソロやインド洋側のジョグジャカルタを通って、また内陸に入ってバンドゥン、またはチルボンを経由してジャカルタのガンビル駅に着く「南幹線」の発着駅、グブン駅(Surabaya Gubeng)。
これは私が2月23日に、ジャカルタのガンビル駅から途中のジョグジャカルタまで行くときに乗った路線だ。
この「南幹線」には、更にもう一つ別にコタ駅(Surabaya Kota)発着の列車もある。

3つ目は、これもジャカルタ=スラバヤ(Surabaya)間の路線で、スラバヤを出発して、スマラン、チルボンなどジャワ海に面した北岸をずっと通って、ジャカルタのガンビル駅(Sasiun Gambir)に着く「北幹線」の発着駅、パサール・トゥリ駅(Surabaya Pasar Turi)だ。
今回はこの「北幹線」を通る列車に乗る。

 

5:20、パサール・トゥリ駅に到着。タクシー代はRP30,200(約255円)。
タクシーの停まった直ぐ横が、駅の軒下で吹き抜けになった待合室だ。その中に自動発券機が3台置かれている。まだ誰も並んでいない。

早速発券機に向かうが、傍に制服姿で若く精悍な顔つきのセキュリティが、手持無沙汰の様に立っているので、予約票を見せてやり方を教わろうとする。
私が予約表を差し出しながら「Excuse me.・・・」と言い終わらない裡に、セキュリティは私から予約表を取り上げると、発券機の直ぐ下にあるバーコードリーダーにかざす。
端末の画面に出てきた2つのボタンのうち右の ボタンを押すと、あっという間にプリンターからボーディング・パスが出て来た。
あとは「トゥリマ・カシ Terima Kasih. ありがとう」と言うしかない。

自動チェックイン機 此処でボーディング・パスを発券する

列車を待つベンチは、屋外に面したピロティだ。
「Masuk (入口)」が何処か見に行くと、ピロティの待合室の次に屋内のwaiting roomに入り、そこから初めてプラットフォームに入って行けるようだ。そのwaiting roomもエコノミー(Economy)とエクスクルーシブ(Exclusive)に分かれている。
ならばと、自分が乗る予定のエクスクルーシブ用waiting roomの入口近くのベンチで待つ。
頭上ではファンが回っているが、屋外なので蚊が多い。顔にぶつかってくるほどだ。雨季でデング熱も流行っているので、嫌だなぁ。

発車標の「←KEBERANGKATAN 出発」の下には、これから乗る8:00発ANGGREK PAGI号の表示がある

待合室は開放的なピロティ

7:00発の列車なのか、1時間前のcheckinの締切に近い5:55頃は、慌てて発券機を操作して改札に駆け込む人が多い。
6:00が交代の時間なのか、いままで発券機の横に立って居たセキュリティの代わりに、白いシャツに紺色のズボンの駅員が待機するようになった。

発車1時間前の7:00に、チケットとパスポートを見せてwaiting roomに入り、発車時間まで待つ。
waiting roomからプラットフォームに入るにも、チケットの点検を受ける。
列車を待つ間、構内にあるムショラ(Musholla 礼拝所 Prayer Room)の横にダンキンドーナツがあったので、昼食用にドーナツを2つ買う。Rp.30,800(約260円)。

7:40ホームに入って来た「ANGGREK PAGI(朝の蘭)号」に乗り込む。
同じ「ANGGREK」号でも、夜20:00に出るのは「ANGGREK MALAM(夜の蘭)号」。分かり易い(笑)。
コーチ「1」の窓際の席「6A」。隣はインドネシア人の40歳前後位の綺麗な女性。ジルバブは初めからつけていない。
車内に乗り込むと、頑丈な鉄製の網棚に10kg以上あるトランクを載せる。今回はポーターを使わなかった(笑)。
室内は2月23日にジャカルタからジョグジャカルタまで乗った「TAKSAKA PAGI」と違って、さほど寒くない。用意したフリースは着なくて済みそうだ。ただサブザックは膝の上に置いて、下半身が冷えない様にしている。

構内に入ってきたANGGREK PAGI号

車内の様子


<「ANGGREK PAGI(朝の蘭)号」が走るジャワ島の農村>

8:00、チャイムの音で、定刻発車した。
窓に掛かった青いシェード越しに、スラバヤの街並みが過ぎて行く。

次第に家並みが消えて、田園風景が広がって来る。
養殖池と見紛う、水を引いた田植え前の田圃が広がっていて、木の上には白い鷺の様な鳥が沢山止まっている。瑞々しい美しさだ。

青いシェードのせいで暗く見えるが、美しい田圃

水量の多い池

航空機のCAの様な水色のユニフォームに、同色のジルバブの上からキャップを被った綺麗な女性と、白いワイシャツ姿の若くハンサムな男性が引く車内販売のワゴンが通る。
カプチーノを頼む。紙コップに粉末のコーヒーを入れ、お湯を注いでくれる。
お金を出しながら「How much?」と聞くと、Rp.9,000(sembilan ribu)(76円)と。

3日目に、ガンビル駅からジョグジャに向かうTAKSAKA PAGI号の車内でもカプチーノを頼んだが、あの時は切りの良いRp.10,000で、発音も「スプル・リブsepuluh ribu」と私でもなんとか分った。
しかし今回は「スンビラン・リブsembilan ribu」と、聞き慣れないので分からなかった。
聞き取れず困っていると、隣の女性が「良い?」という様な仕草で私の同意を得てから、私の手の中にあった紙幣の中からRp.10,000札を取って店員に渡してくれた。

それから隣の女性と少しずつ話した。どこから来たの?「Where are you from?」「Japan.」「Tokyo?」「Yes.」「Holiday?」「Yes.」「How long?」「About 2 Weeks.」「Only Jawa?」「Yes, this time only Jawa.」「Where did you go on Jawa island?」「Jakarta, Jogja and Surabaya, I also went to Mount Bromo. It was amazing.」

彼女は英語が上手く、簡単な話なら良いが、私の英語力では十分な会話は出来ない。
暫らく会話が途絶えて、美しい水田風景に魅入っていると、「日本は美しいんでしょ?Japan is beautiful, isn’t it?」と聞いてきた。
車窓から見える青々とした田園を見据えながら、「Japan is beautiful, but Indonesia is also beautiful. 日本も美しいが、インドネシアも美しい」と言うと、複雑な表情をしていた。
スラバヤを発車後、2時間半でトイレに行く。

11:30、スマラン(Semarang)停車。この列車はずっとジャワ海沿いを走る北回りの路線だ。
スマランは中部ジャワ州の州都で、人口は164万人もいる。オランダ領東インドの時代、1867年、日本の明治維新より1年前に、ジャワ島で最初の鉄道が敷設され、内陸部のプランテーション産物は鉄道を使ってスマランに集積され、スマラン港から世界へ輸出されていた街だ。

スマランSEMARANG駅

此処で隣の女性は降りて行った。
代わって乗って来たのは、50歳を過ぎた位の大きな男性。
座るなりヘッドフォンを取り出して、スマホで音楽?を聴き始めた。

ジャワ島では水田は年に3回の収穫があると聞いたが、車窓には水を張って耕している最中の田の隣で、大勢の人が並んで田植えをしている田圃があり、さらに先には数人単位で稲刈りしている田圃が続いて現れる。
延々と続く平坦な土地に、またまた延々と続く稲作の作業が繰り返されている。インドネシアの農民は本当に働き者だ。
また村のあるところには、木製の切妻屋根に丸い銀の葱坊主を乗せた様なもの、ミナレットをもったコンクリート製の大きなものなど様々だが、至る所にムスジット(Mesjid モスク)が建っている。