1931年(昭和6年)9月18日夜10:30、奉天(現在の瀋陽)郊外の柳条湖で南満州鉄道の線路が爆破された。関東軍は張学良の「東北辺防軍」による破壊工作と発表し、直ちに軍事行動に移った。
しかし、何故日本軍はビルマに進攻したのだろう。泰緬連接鉄道建設を始め、余りに多くの犠牲を出しながら、何故ビルマを占領しようと考えたのだろう。のちに日本軍がイギリス(英)領ビルマ(British Burma)に進攻するまでの経緯を考えてみる。
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