歳をとっても旅が好き

海外ひとり旅の記録?いや記憶かな

ミャンマーひとり旅(2017年) <7> まだまだ3日目 タンルウィン河の畔の町、モウラミャインに着いた!!

<3日目―3>

2017年 5月24日 水曜日 モウラミャイン 晴れ 暑い。

<ミヤワディからシェアタクシーで、モウラミャインに向かっている>

ミヤワディからシェアタクシーで、モウラミャインに向かって走っている。
乗っているのは、トヨタの商用車プロボックスの中古車だ。
車内は、ドライバーと助手席に私。後ろの席に女性が4人。さらに後ろの荷物室にも若い男性が入って、合計7人が乗っている。私を除いて全員ミャンマーの人だ。

ミヤワディから西に向かうと、コーカレイ(Kawkareik)と言う高地に出る。ここはアジアハイウェイAH1が通っていて、広く綺麗に舗装された道が続く。途中には建設しているミャンマーとタイの国旗が飾られている。
ここは上り勾配もキツイ。物流の新しい動脈として整備しているが、登りきれず途中で故障しているトラックを何台も見た。こちらのトラックは積載量の規定など無いので、こんな光景は今後も続くのではないかなぁ。

しかしコーカレイから、カイン州(Kayin State)とモン州(Mon State)の州境となっているジエイング川(Gyaing River)沿いに向きを変え、路が「AH1」を外れたからか、未だ建設に取り掛かる前なのか分からないが、道幅の狭い凸凹道となる。ここを猛スピードで走る。

しかしタイでも日本車が多かったが、ここミャンマーもトラックを除き走っている車の殆どが日本車だ。しかも何故か、日本ではたまにしか見ないプロボックスが多いのだ。昔のカンボジアのカムリみたいだ。
順に同乗のお客を降ろしながら、11:00に最後の客である私を乗せて、モウラミャイン市内のシンデレラ・ホテル(Cinderella Hotel)に到着した。

 

<ミャンマー最初の宿、シンデレラ・ホテルに着いた>

このホテルは、ネットで予約したBooking.comでも評価の高い中級ホテルだ。赤っぽいブラウンに塗られた3階建ての建物で、庭の中にダイニングがあり、花がいっぱいで、同時に鳥がうるさいほど鳴いている。
ReceptionでBooking.comの予約表とパスポートを出して、check in。
306号室。支払いは米ドルの現金で、2泊でUS$110(約12,100円)をデポジットとして支払う。

今日の宿、シンデレラ・ホテル

部屋の窓からは、丘の上に、麓から階段状に連なる屋根に覆われた参道が続くチャイタンラン・パヤー(Kyaik Tan Lan Paya)の黄金の塔が見える。この独特の寺院の姿見ると、改めてミャンマーに来たんだという感慨が湧いてくる。

荷を解く間も無く、再度Receptionに行って、ランドリーと、明後日の5月26日にゴールデンロックのあるチャイティーヨー(Kyaikhtiyo)へのバスチケットの予約と、明日はモウラミャイン郊外を周るツアーを申込んだ。
するとツアー・デスクの様な男性が、分厚いファイルを持ってきて、私の前に次々に広げてはこんなツアーはどうか、これはいくらだと流暢な英語で捲し立てる。
こちらは出来れば自分で歩きたいが、此処ではどのような交通手段が利用できるか分からないので、せめて移動の足だけは確保したいと思って最低限のツアーを依頼しているし、第一私の英語力では彼の説明は聞き取れない。
明日は車とドライバーのみ、行く先は南部のタンビュッザヤ方面だと言って、他は「No Thank you.」と言うと、あっという間にファイルを閉じてしまった。

ミャンマーらしい、麓から屋根に覆われた参道が続くチャイタンラン・パヤー

<両替とタンルウィン河沿いを歩く>

昼は昨日バンコクで買ったパンなどを食べ、再びレセプションで銀行に両替に行きたいというと、ホテルの横に停まっていた日本の軽トラックを呼んでくれた。
助手席に乗って、メイン通りのLower Main Rd.沿いにある「カンボーザ銀行(KBZ Bank)」に行く。軽トラックのタクシーは、2,000Ks(約160円)。

銀行のカウンターで、白いワイシャツ姿のスマートな若い男性行員にパスポートとUS$200を出して、「Can you exchange?」と言って、両替。 270,800Ksとなった。レートはUS$=1,354Ks.

ホテルに戻ろうと、今度は右手にタンルウィン河(Than-Lwin River)を見ながら、河沿いのストランド通り(Strand Rd.)を歩いて行く。河は向こう岸が霞むほどの大河で、土砂を含んだ土色の水が滔々と流れている。

今度のミャンマー旅行では、タイのメーソート(Mae Sot)から陸路で国境を越えてミャンマーに入ることと、ミャンマーを流れる4つの大河、エーヤワディー河(Aye Yar Waddy River 旧イラワジ河)、タンルウィン河(Than-Lwin River 旧サルウィン河 Salween River)、シッタン河(Sit-Taung River)、エーヤワディー河の支流であるチンドウィン河(Chindwin River)をこの目で見るのを楽しみにしていた。

広大なタンルウィン河

<モウラミャインの町>
モウラミャイン(Mawlamyine 旧モールメン Moulmen)は、ミャンマーでは東の端、マレー半島の付け根近くに位置し、タンルウィン河(旧サルウィン河)がモッタマ湾(Gulf of Mottama 旧マルタバン湾 Gulf of Martaban )からアンダマン海(Andaman Sea)に注ぐ河口の街だ。
1826年の第一次英緬(イギリスとビルマ)戦争後のイギリス(英)領ビルマの首都だった場所で、現在もヤンゴン(Yangon 旧ラングーン Rangoon )、マンダレー(Mandalay)に次ぐミャンマー第3位の都市で、モン州(Mon State)の州都だ。
因みに、現在河や都市名が以前の呼び名と違っているが、この変更は1991年、軍政時代に行われたらしい。

モン州(Mon State)は、モン族の住むエリアだが、もともと825年頃までにはモン族はミャンマー南部全体を支配していた。その後ドヴァーラヴァ―ティー王国(Dvaravati)やペグー王朝(Pegu)を建てて繁栄していたが、1757年ビルマ族のコンバウン朝(Konbaung dynasty)によって首都ペグー(Pegu バゴーBago)が征服され王朝は滅亡している。

1826年の第一次英緬戦争は、当時ミャンマー(ビルマ)全土を支配するようになっていたビルマ族によるコンバウン朝と、インド亜大陸をほぼ支配下に治めつつあったイギリス、正確にはイギリス東インド会社(East India Company 略称「EIC」)の軍隊との戦争だった。

当時コンバウン朝は、領土拡張を目指して隣国のシャム(Siam 現在のタイ国)や清(現在の中国)の雲南地方にたびたび侵攻していた。1767年にはシャムで400年続いたアユタヤ王朝を滅ぼしている。

1818年には、コンバウン朝はイギリスに対し、ベンガルの東半分の領土割譲を要求した。
しかし、1757年「プラッシーの戦い」で、インドのムガール帝国のベンガル太守とこれを後援するフランス東インド会社の軍隊を破ってベンガルにおける覇権を確立していたイギリス東インド会社(EIC)はこれに応じなかった。
このため1822年コンバウン朝は、ベンガルに侵攻。アラカン山脈を越え、アッサム州のアラカン地方まで進出した。
イギリス東インド会社(EIC)は、拠点のチッタゴン(Chittagong 現バングラディッシュ)にコンバウン朝の軍が近づいたため、1824年3月、コンバウン朝ビルマに対し宣戦を布告。

当時植民地インドでは、現地のインド人を「シパーヒー Sipahi セポイ」(兵士・軍人)として雇い常備軍化していたが、「EIC」は近代兵器を装備したこのセポイ兵を主力として戦争に投入し、コンバウン朝に勝利した。
敗れたコンバウン朝は、1826年の「アンダボ条約」で、イギリスにアラカン(現ラカイン州 Rakhaing State)とテナセリウム(現タニンダーリ地方域 Tanintharyi Division)を割譲。イギリスはこれを英領ビルマとした。

アラカン(ラカイン州 Rakhaing State)は、インド洋のベンガル湾に面した地域で、バングラディッシュと国境を接する、ラカイン族の地域。
テナセリウム(現タニンダーリ地方域)はミャンマーの南端、マレー半島のアンダマン海側の地域で、モウラミャインのある現在のモン州(Mon State)を含む南側の地域だ。
因みに、現在のミャンマーの行政区分で、「地方域 Division」は主に人口の約70%を占めるビルマ族の多く居住する地域。「州 State」はビルマ族以外の少数民族が多く居住する地域らしい。
モウラミャインは、この英領ビルマの首都になったのだ。

ロアーメイン通り

旧い家並み

今はタンルウィン橋(Than-Lwin Bridge)が出来て、モウラミャインからバゴー(Bago)やヤンゴン(Yangon)、マンダレー(Mandalay)方面に車や鐵道がそのまま繋がっているが、それまではモウラミャインから対岸のマルタバン(現在の名前は、モッタマMottama)までフェリーで渡り、鉄道に乗り換えていたという。
私はそのフェリーに乗って見たいと、タンルウィン河沿いを歩き、桟橋に船が係留されているとその付近のひとに聞いて回ったが、係留されていた三隻ともモッタマ(Mottama)行きのフェリーでは無かった。

浮桟橋に舫っているフェリー、しかしモッタマ行ではなかった

河沿いの道はゼイジー市場(Zeigyi Central Market)の裏手にあたり、多くのゴミや腐敗臭で満ちている。ゴミはタンルウィン河まで流れ、岸辺近くを漂い流れて行く。
そのまま炎天下をずっと歩いて、ホテルまで戻ってきた。この間おしゃれで、何よりエアコンが効いて、Wi-Fiの繋がった様なカフェは一軒も無かった。

ホテルの庭にあるレストランで、夕食を食べる。
牛肉の鉄板焼きステーキ、パパイヤジュース。17,500Ks(約1,400円)。約US$13。いくら何でも贅沢し過ぎだ。

 

ホテルの庭にあるレストラン