歳をとっても旅が好き

海外ひとり旅の記録?いや記憶かな

ミャンマーひとり旅(2017年) <8> 4日目 タクシーで南部のタンビュッザヤを目指す

<4日目―1>

2017年 5月25日 木曜日 モウラミャイン 晴れのち雨 暑い 36度。


<モウラミャイン最初の朝>
ホテルの庭にあるレストランのテラス席で、朝食(ホテル料金にinclude)。トースト、目玉焼き、ミャンマー風スープ、果物、コーヒー、オレンジジュース。スープ以外完食。

出掛ける準備をするが、腕時計を見るとタクシーとの待ち合わせ時間8:00を過ぎている。あれっ⁈まだ7時半位のはずだと、iPhoneを見ると7:30。腕時計の針をじっと見ていたが、動いていない。昨日から時計が止まっていたみたいだ!!

私の腕時計は、ゴムのバンドで、日本のホームセンターでも2,000円位で買える安いものだ。でも案外時間も正確だし。昔から海外旅行には、盗難や紛失を考えてこれをしている。しかし故障までは考えていなかった。
電池切れだろうけど、修理はヤンゴン迄無理かぁ。昨日銀行からタンルウィン河沿いを歩いて帰って来たが、時計の電池の取替えを頼めそうな商店は一軒も見なかった。しかし、選りに選って始めたばかりの旅先で止まるとは!!

反対に止まらないのが、お腹の具合。今朝から腹具合が悪く、下痢気味。いつも旅に持って出る、頼りのビオフェルミンの効きが悪いか。今日は1日、タクシーをチャーターしてモウラミャインの郊外を廻る予定だ。ちょっと心配だなぁ。


<タンビュッザヤを目指してタクシーが走る>

8:00に、ホテルにタクシーが来る。眼鏡に坊主頭の若いドライバーに了解を貰って、後席ではなく助手席に乗り込む。運転席は右側だが、走行する車線は日本とは異なる右側通行だ。変な感じがする。

走り始めて、「My English not good 英語が少ししか話せない」と言うと、彼もそうだと苦笑いする。謙遜かと思ったが、この後話しかけても通じないことが多かった。しかし英語で滔々と説明されるより余程居心地が良い(笑)

モウラミャインの町は、タンルウィン河(Than-Lwin River)沿いから、ストランド通り(Strand Rd.)、その内陸側がロアーメイン通り(Lower Main Rd.)、その内側にBaho St、更に内側にアッパーメイン通り(Upper Main Rd.)があり、もっと内側を鉄道線路と国道8号線のハイウェイ(Highway)が通っている。

このハイウェイが北進するとタンルウィン橋(Than-Lwin Brige)を通ってヤンゴンなどへ通じ、南進すると今日行くタンビュッザヤ(Thanbyuzayat)などマレー半島方面に通じている。

モウラミャインの街の地図

ホテルはBaho St、沿いなので、ハイウェイまで街中を通る。
市街地では、所々に赤い花を付けた大きな木が枝を広げている。強い日差しに映えて、本当に美しい。運転手にそう話すと、英名でダイモン・ツリー(Demon Tree)と言うらしい。和名では多分鳳凰木(Delonix regia)ではないかと思うが。

ハイウェイに出てからは、広い道路を凄いスピードで南下する。
昨日のシェアタクシーより良いのは、私もドライバーもシートベルトをしていることだ(笑)
車は昨日のトヨタ・プロボックスから、今日はニッサン・ADバンに変わった。これも商用車のライトバンだ。ドライバー曰く、ミャンマーで走っている車の80%は日本の中古車だそうだ。お互い片言の英語で、家族や年齢のことなど話す。彼は30才で、子供が2人いると。

話しながらも、前方のトラック、バイク、トラックの荷台に人が乗るタイのソンテウ、こちらで言うピックアップ(Pick Up Truck)を次々と追い越していく。
しかし追い越しを掛けるのは、何も此方だけではない。対向車線側でも同じように、前走車に追い越しをかけてセンターラインを越えて来る車がある。その時は、お互い間一髪ですれ違う。
一番怖いのは、右側通行なのに右ハンドルの日本車なので、常にほとんどセンターラインを越えている状態の助手席に乗った私だ。
海外旅行での死亡原因の第1位が、交通事故なのが良く分かる。

車道は右側通行、車は右ハンドル。助手席は常にセンターライン側

<パラゴムの植林>
郊外に出ると、周囲は左右とも東南アジアで良く見られる水田の広がる風景では無く、鬱蒼とした森ばかりが続く。しかしその森も、目を凝らして見ると、どの木も高さ20m弱で太さも高さもほぼ同じ位で、しかも一直線にいく列も整列して生えている。
あれっ植林?かなと思って、ドライバーに「Plantation ?プランテーション?」と聞くと、「Rubber ゴム」と。パラゴムの植林で、中国に輸出していると。
行けども、行けども、水田が全く見えず、パラゴムのプランテーションが続く。

パラゴムの植林が続く

パラゴムの木

パラゴムノキ(para rubber tree)は、元々は南米ブラジルが原産だ。樹液から天然ゴムを取る目的で、熱帯雨林帯でプランテーション栽培がおこなわれている。いまの主要な生産国はタイやインドネシアだ。
因みに、パラゴムノキの「パラ」とは、ブラジルに於ける天然ゴムの主要な積出港(現在のベレンBelem・アマゾン川河口の町)の名前だそうだ。
有名な話だが、1839年ブラジルで門外不出だったパラゴムの種子を、イギリス人ウィカム(Henry Wickham)が密かに国外に持ち出し、イギリス王立キュー植物園で栽培。発芽した苗木が英領植民地のインドや、マレー半島、スリランカなどに送られ、東南アジアでの栽培が急速に拡大した。

ミャンマーでのパラゴムノキ栽培は1905年に始められている。第二次大戦まではイギリス資本によるプランテーション投資によって、パラゴムノキの植林、栽培面積が増加したが、戦後は天然ゴムの国際市況価格の上下によって、植林、栽培面積の増減を繰り返している様だ。
ミャンマーに於ける植林、栽培は、伝統的にモン州(国内の割合約39%)、タニンダーリ州(同19%)が多く、まさに今車で走っている地域だ。

しかしミャンマーの天然ゴムの生産量は、タイ、インドネシア、マレーシアなどパラゴム栽培の最適な地域に比べ依然少ない様で、これはミャンマーには雨季と6ヶ月の乾季(11月から4月)があり、栽培には不利な面があるのだと。

天然ゴムの原料となるラテックスを採取するには、パラゴムノキの幹の樹皮に切り込みを付け(タッピング)、滲出する乳液(ラテックス)を集めるのだが、雨季のタッピングは樹皮の病気を招き、乾季の間の1ヶ月間(1月)の落葉時にはタッピングを中止しなければならないので、実際にタッピングできる期間が年間8ヶ月(9~12月と2~5月)間に限定されるかららしい。