歳をとっても旅が好き

海外ひとり旅の記録?いや記憶かな

ミャンマーひとり旅(2017年) <1> 旅の準備 ビザ申請で悪戦苦闘

<旅の準備ー1

アマラプラのウー・ベイン橋


<注記>
これは、2021年2月1日にミャンマーで起きた軍事クーデター前の、2017年に行った旅行の記録です。
国名の表記は、原則国名の英語表記が変更になった1989年6月18日より前のことは、「ビルマ」、それ以後は「ミャンマー」としました。
記載内容の事実誤認や誤謬は、全て筆者の勉強不足であり、他意はありません。

<航空券>
2017年4月7日 金曜日 曇り、風が強い。

旅行の準備をする。最初に取り掛かったのは、航空券を取ることからだ。
iPhoneで「HIS」の海外航空券の検索サイトを開き、「バンコクBKK In、ヤンゴンRGN Out」のオープンジョー(open-jaw)で選び、料金と時間帯の良いタイ国際航空のチケットを取る。¥62,280円。


<VISAの取得。ミャンマー大使館で申請するが・・・>

4月9日 日曜日 雨 寒い。
次はミャンマーのビザを取ることだ。

「e-VISA」にトライしてみた。しかし家にあるPCは10年以上前に買ったSONY のディスクトップのVAIOだが、OSがWindowsXPで既にサポート切れのため、暫らく前からスタンドアロンでのみ使用していた。手元にあるのは、これとiPadとiPhoneだけだ。

これらの中途半端なデバイスを組み合わせて、ネット上の「e-VISA」申請サイトから一度やってみたが、私の乏しい知識ではどうにも難しい。

それなら直接ミャンマー大使館に申請に行けばいいんじゃないか、と思い直した。
早速iPhoneで大使館のサイトにアクセスし、申請する書類をダウンロードして、プリントしてから必要事項を記入する。

 

4月10日 月曜日 晴れ、寒い。

JR山手線の大崎駅から山手通りを歩き、御殿山通りにあるミャンマー大使館に入る。
ビザ申請の窓口で待って居る人は誰もいない。すぐ受付けしてくれたが、窓口のミャンマー人の女性が書類を見て、流暢な日本語で、ミヤワディ(Myawaddy)に入国してから、ヤンゴン(Yangon)へはどう行くのですか?と聞かれた。

ミャンマーのVISAを申請するには、入国から出国までのミャンマー国内の移動ルートを全て記載して提出しなければならない。
2011年、それまでの軍政からテイン・セイン政権の対外開放政策、昨年のNLD政権誕生で、ミャンマー国内の旅行が自由に出来るようになってきたみたいだが、ここいら辺は変わっていない様だ。

私の申請ルートは、タイのメーソート(Mae Sot)から陸路でミャンマーに入国して、国境の町ミヤワディからヤンゴン、マンダレー、バガンへ、最後はヤンゴンから飛行機でOUTの予定だった。
本当はミヤワディからダイレクトにヤンゴン入りはしたくはなかったが、有名な都市を巡る一般的なルートの方がいろいろ詮索されず、承認され易いのではないかと思ってそう申請していた。しかし流石にその間の移動手段までは考えていなかった。

バスで行くつもりだと言うと、その予約表の写しが無いと駄目だと。
基本は空路入国なので、出国するまでの国内の移動方法が判らないと駄目ですと、受付けて貰えず。
しかしミャンマー国内のバスの予約なんて、日本にいて出来るのですか?と聞くと、それを添付して来ている人が沢山いますと。
それは多分企業の出張か何かで、現地の代理店を使っているのだろう。何の伝手もない個人の旅行者には無理な話だ。
窓口の前でどうしたら良いか暫らく言葉も無く悩みながら、すごすごと御殿山を降りて品川駅に向かった。

しかし駅に向かう道すがら、少し冷静になって考えたら、日本で旅行代理店に頼んだら出来るのかもしれないと思い直した。
ミャンマーはいままでずっと鎖国状態で、現地を自由に旅行出来るようなインフラが整っていない様な気になっていた。ビザ申請で、入国から出国までの国内の移動ルートを全て記載して提出しなければならないなんて、漠然と、行ったことはないが、昔のソ連への旅行の様に思っていた。
しかし、違うのかもしれない。
ミャンマー入国から出国までの行程を決めて、長距離バスや鉄道の切符の手配を日本の旅行代理店に依頼すれば、現地のランドオペレーターを通して、費用は掛かるが出来そうだ。きっとバウチャーも出るんだろうなぁ。いままでそんなことが全く脳裏に浮かばなかったことが、逆に不思議に思えた位だ。
でも、それって楽しい?
どうやって行くのか独りで必死に思案しながら、ドキドキして行くのが、あるいは行けないのが楽しいんじゃないかなぁ。そのためのひとり旅だよなぁ。