<新しい旅のはじめ> パキスタン・ムルタンの町 <注記>これは、2000年に行った旅行の記録です。地名の表記などは現在と異なっていますが、あえて旅行当時のままにしてあります。記載内容の事実誤認や誤謬は、全て筆者の勉強不足であり、他意はありません…
しかしこんな早朝なのに、人が多い。見ると男女ともほとんどはコロンボ経由で中東などへの出稼ぎの人達の様だ。皆が皆、沢山の荷物を持って並んでいる。普段着のままの服装の人が多い。中にはサンダル履きの人もいる。
インディアン・コーヒーハウスは、4階建の茶色の渦巻きの様な、ユニークな螺旋形の建物だ。壁には三角形の窓が幾何学的に並んでいる。中に入ると一階から二階、三階へと、階段が無く、床そのものが螺旋状に傾斜しながら上へ上っている。
<6日目ー1>1999年 2月25日 木曜日 トリヴァンドラム(TRIVANDRUM) 晴れ <トリヴァンドラムを散策>朝4:00に目が覚めるが、起きるものかと10:00まで寝る。もう移動は無いし、予定も無い。いくら寝ても良いはずだ。明るくなって、部屋の窓から望めるの…
カニャークマリからアラビア海沿いのケララ州トリヴァンドラムまでの距離は、凡そ87Km位だが、このBUSに乗って3時間30分掛かるらしい。BUS運賃は、Rs.23(約80円)をBUSの中で、車掌に支払った。
<5日目ー1>1999年 2月24日 水曜日 カニャークマリ 晴れ<夜明けのカニャークマリ(KANYAKUMARI)>朝4:00、持参した小型の目覚まし時計のアラーム音で目覚める。5:30、起きだして日の出を見に行く。 周囲はまだ暗いが、昨日行った海岸のガートの周囲は…
<4日目ー3>1999年 2月23日 火曜日 カニャークマリ 晴れカニャークマリの海岸のガートで出会った、マドラス(チェンナイ)でサザン・レイルウェイ(Southern Railway)のA/Cコーチの車掌をしているという、ジョンとその友人と一緒に散歩している。<「Hot…
朝日を拝みに来ていた多くの巡礼者はおおかた引き上げた後だったが、階段状になったガート(Bathing Ghat)にはカラフルなサリー姿の女性や、シャルワール・カミーズやシャツにズボン姿の男性など老若男女が波の打ち寄せる水辺に集まっている。
明け方着いたのだからと寝ていたのだが、朝9時過ぎに目覚めた。ホテルのDining Roomに出ていくと、朝日の射し込む窓越しに、漁師の丸木舟の並んだ砂浜の先に、南国特有の薄いパステルグリーンのような海が見渡す限り広がっていた。
Hotel Chentoorの階下にあるtravel Agentで待って居ると、22:00に中型バスが裏道からやって来た。これから、マドゥライ(MADURAI)からインド最南端のカニャークマリ(KANYAKUMARI)(ケープ・コモン)まで、この夜行BUSで移動する。多分距離は、250Kmくらいか…
東西南北四方に、高さ40mから60mにもおよぶ巨大なゴプラム(Gopuram塔門)が聳えている。その全面には赤や青、黄色、緑と極彩色の神様の像がこれでもか!と折り重なるように飾られていて、日本の美のバランスや静謐さとは正反対の、過剰とも思えるエネルギ…
宿を取ろうとガイドブックで目星を付けていたホテルに行く。 Receptionで「Can I get a Room?」と聞くと、「OK」と。何泊かと聞かれたので「One night only」といったら、「FULL」だと断られた。
チェンナイにはインド各都市を結ぶターミナル駅のチェンナイ中央駅(Chennai Central Railway Station)と、タミル・ナードゥ州各地を結ぶマドラス・エグモア(MADRAS EGMORE)駅がある。私の乗るSouthrn Railwayの19:30発、夜行「6717 PANDYAN EXP. (A/C …
エージェントのジョンに頼んで、今晩出る夜行列車の時間までチェンナイ市内を案内して貰っている。一通りの観光名所は行った様で、午後はどうしたいと聞いて来た。 私は直ぐに映画が観たいと言った。
スリランカ(Sri Lanka)のあるセイロン島(Ceylon)とインド亜大陸を隔てるポーク海峡(Pok Strait)を越えて、「UL121」便はAM9:30、ようやくベンガル湾に面したインド・チェンナイ空港(CHENNAI)に到着した。
ストライキの影響で、各発着便の運航時刻が狂っているのか、真夜中なのにトランジットルームは多くの人達でごった返している。人込みを掻き分けてカウンターの前に出て、航空券を見せながら「Excuse me! Check-in please!」と言いつつ粘った。
一昨年の1997年11月、初めてインド旅行に行った。主に北インドを廻ったが、あの広大なインドのまだほんの一旦しか見ていない。南インドは、一体どんなところなんだろう。早く見に来いと、呼んでいる様な気がする。
空港のターミナルビルには、出発の3時間前からで無いと入場できないと。仕方なく、向かいのVisitor RoomにRs.10(約35円)を出して入り、休む。並んだベンチに座ってTVを見ていると、突然ニュースに変わり、「山一證券、自主廃業」の報が飛び込んで来た。
途中、乗っていたオートリキシャが急に止まって、降りてくれと言う。どうもフロントタイヤがパンクした様だ。どうするのかと見ていると、近くを通りかかった若い男性に声を掛けた。
オートリキシャのドライバーに、Central Cottage Industries Emporiumへ行ってくれと言った。しかしオートリキシャは、回り道をするのか住宅地の中に入っていく。すると突然、背中越しに「Central Cottageは高い、もっと安いところがある」という。
YWCA of DELHI blue triangle family hostelの中に入ると、ロビーは何故かアフリカ系の人で一杯だ。しかも洋装ではなく、裾迄長くゆったりとした、カラフルな民族衣装の人が多い。昨晩泊まっていた「YWCA of INDIA international Guest House」では、殆どア…
ようやく着いたYWCAのレセプションで、部屋があるか聞いてみる。意外にも、今晩はOKだと。 実はYWCAで、男性が泊れるとは知らなかった。受付の欧米人の女性に「At this YWCA, Can men stay?」と聞くと、「Sure」と。
ニューデリー(NEW DELHI)駅のプラットフォームに降り立ったが、左右を見渡しても駅舎の建物が見えず、どっちに行けば目指すパハール・ガンジ(メーンバザール)側の出口に出られるか分からない。
「9」のプラットフォームで待って居ると、今回の旅行で初めて、汚れた紫色のサリー姿で、腰の横で裸の赤ん坊を抱いた物乞いの女性が、手に潰れた様なトレイを差し出しながら近づいて来た。上半身半裸で裸足の子供達も2,3人寄って来た。
部屋でシャワーを浴び、明日の準備に荷物をまとめていると、ノックの音が聞こえ、Kさんの友人がひとりで訪ねて来た。 腕輪を買えたことのお礼と、これから何処に行くのか聞いてきた。
AM5:50頃、昨晩の18:35にプリー(PURI)を出発した列車「8008 PURI-HOWRAH Express」が、早朝のHAWRAH駅に到着。列車を降りてから、宛てがないのに気付いた。
Coachは何処?と言うので「1st Class A/C」だと言うと、急に軽蔑そうな口調で、隣のインド人男性に「たかるならこういう人にくっ付いて行くんだよ!」と日本語で言うと、さっさとセカンドクラスの方に歩いて行ってしまった。
ホテルを出るとChakratirtha.Rd.を行き、突き当たりのサンタナロッジを左折。舗装の悪い赤い道を、コナーラクへ向けエンジンの甲高い音と、地面の凹凸を拾って激しく振動しながらひたすら走る。
プリ―駅で列車のチケット窓口に並ぶ。ようやく順番が来た。 「I `d like to reserve ….」と言いながら、予め紙に書いて来たデリーDELHI行き列車の番号を見せる。しかし、にべもなく「No.」と。2番目、3番目の候補も無かった。
「Single, A/C, attached bath」とチラシに書いてあった「A/C」付の部屋を注文する。「It room fee is Rs.500?」と聞くと、黙っているので「May I see the room?」と言うと、その腹の出た男がにやついた顔で、A/C room Rs500はたったいま無くなったという。