歳をとっても旅が好き

海外ひとり旅の記録?いや記憶かな

ミャンマーひとり旅(2017年) <60> 15日目 馬車に揺られてバガン見物

<15日目ー1
2017年 6月5日 月曜日  バガン 晴れ 暑い。34度。
昨日マンダレーから、故障続きのミニバスでようやくバガンの入口の町、ニャウンウーに着いた。

<バガン遺跡>
6:30にDiningで朝食。目玉焼きとトースト、コーヒーを飲む。
小ぶりのトーストにミャンマーのバターを塗ると、色も味も濃くて美味しいが、しょっぱい位塩味が強い。
このところ毎日、欠食児童の様に満足に三食食べていないので、食べられるときにはなるべくお腹いっぱい食べようとするが、この濃い味に胃がムカッとする。

洋風の朝食、美味しいが味が濃い

8:00に、昨日依頼した馬車(Horse Drawn Carriage)が迎えにくる。
頭に花を付けた牝馬の引く、一頭立ての馬車。1日チャーターだ。
馭者は30歳の独身。こちらが「My English not good.」と最初に言っているのに、よく喋る男だ。馬の直ぐ後ろにあるステップに足を掛け、ヨイショと上り、馭者と並んで座る。

エーヤワディー河(Ayeyarwady)中流域の東岸、イラワジ平野(Irrawaddy)は、8世紀ごろピュー族(Pyu)が栄えていたが、9世紀中頃中国雲南地域から移住してきたビルマ族(Bamar)によって、849年バガン(Bagan)を都とするバガン王朝が成立した。
バガン王朝はアノーヤター王の時代に南部ビルマのモン族(Mon)を攻め、1044年にミャンマーで初めての統一王朝となった。
同時に国内にあった大乗仏教を排して、「上座部仏教」(テーラヴァーダ仏教 Theravada Buddhism)を王朝の基礎とした。
その後、元のフビライ軍の侵入によって1277年王朝が滅亡するまでの230年間に、バガン王朝の都であったバガン周辺のイラワジ平野には、沢山の仏塔や寺院が建てられていったらしい。


<馬車に揺られてバガンの寺院巡り>
今日はバガンの寺院巡りだ。
バガン(Bagan)の仏塔や寺院の建ち並ぶエリアに向かうには、ニャウンウー(Nyaung Oo)の北の交差点から南下する道が二手に分かれる。
この辺りでは北東から南西に流れているエーヤワディ河沿いを真っ直ぐ進めば、オールドバガンの入り口「タラバー門」(Tharabha Gate) に到るのが「メイン通り」(Main Rd.)で、その南側に並行して走っているのが「アノーヤター通り」(Anawrahta Rd.)だ。
泊まっているモーテル・ゼインはこのアノーヤター通りと、メイン通りから斜めにアノーヤター通りまで通ったティリビサヤ1通り(Thi Ri Pyitsaya 1St.)との交差点にある。
ホテルから出発した馬車は、初めアノーヤター通りの舗装路を南下する。

馬車に乗るのは安楽にゆっくりとバガンを廻りたい為だが、意外と振動が大きい。
馬車自体は二輪で、加重の掛かる三角形の頂点を馬の背が支えているので、馬が歩くたび、凸凹道で上下に、蛇行するたび左右に揺れる。
しかし一番大変なのは、背もたれが無く、常に何かに捕まって身体を支えて居なければならないのに、掴めるものが無いのだ。
仕方なく、左手は馬車のか細い木枠、右手はとなりが馭者だから掴むものが無く、後ろの床に手を着いて居たが、これが疲れる。しかし吹く風は心地良く、時々疲れて姿勢や持ち手を変える以外は、振動も心地良い(笑)

馬車に乗ってバガン巡り

アノーヤター通りからメイン通りに入って、ニャウンウーの最大の寺院シュエズィゴン・パヤー(Shwezigon Pya)に行く。
バガン寺院群を代表する黄金の巨大なパヤー。寺院前の広場に停めた馬車に馭者を残して降り、ひとりで中に入る。

境内は裸足で歩いても、朝方の冷気が残っていてまだ熱くは無い。パヤー内を廻っていると、ご利益が高いと言われる祠の中に案内され、側にいた女性に中に入ってみろと言われ写真を撮って貰う。
しかし親切な((笑))その女性から金箔を買う羽目になり、ご本尊に金箔貼りの御寄進をする。2,000Ks(約160円)。

シュエズィゴン・パヤー(Shwezigon Pya)

馬車に戻ると、馭者は木陰に停められた馬車の中で、寝そべってスマホを弄っている。
バガン巡りで馬車は安楽だが、ゲストは止まる度に裸足になって境内を歩き回る。余り安楽では無い(笑)。

1頭立ての馬車


<パヤーに登ると、バガン平原に無数のパヤーが>
次に内部に彩色されたフレスコ画が残っているスラマニ寺院(Sulamani Temple)に行く。
ここから更に砂地の狭い道を通って、小振りのプレティ・パヤー(Blue Thi Paya)に出る。此処は上に登れる数少ないパヤーなので、手摺も無い急な石段を頂上まで登る。
まるで昔行った、カンボジアのアンコール・ワットの第三回郎に上る様だ。あの頃は今の様に遺跡保護のための人工の階段が作られてはおらず、急勾配でステップの奥行きも無い、手すりも無い、遺跡そのままの階段を、恐る恐る登って行った。

しかし今回のパヤーも何とか登りきると、上からの眺めは絶景で、起伏の無いバガン平原に点在する大小沢山のパヤーが一望出来る。

バガン平原に点在する大小沢山のパヤー

吹く風も心地良く、暫く佇んでいたら、次々に車が集まって来て、欧米人、インド人、東洋系の人と次々に上ってくる。
反対に私は、登るより怖い降りで、此処で足を踏み外したら洒落にもならないと思いながら、ゆっくりゆっくり降りて行った。
しかし後で調べると、此処は以前は夕陽鑑賞のスポットだったらしいが、2016年3月の政令で、登ることが禁止になったとされている。一体???本当は大丈夫だったのか???

プレティ・パヤー(Blue Thi Paya)

馬車に戻って、馭者に「There are so many payas !!実に沢山のパヤーがあるんだなぁ」と言うと、パヤーの中には普段人の全く訪れないところがある。そんなところは夜になると、その手の女性が客をバイクに乗せて来て使っているんだと話す。女性も紹介できると、顔を覗き込むようにして言う。「No thank you.」と言う。