歳をとっても旅が好き

海外ひとり旅の記録?いや記憶かな

ミャンマーひとり旅(2017年) <68> 20日目 インレー湖からヤンゴンへ還る

<20日目
2017年 6月10日 土曜日 インレー湖は曇り、時々晴れ  27度。
ヤンゴンは雨で蒸し暑い。

<インレー湖からヤンゴンへフライト>
6:00起床。
昨夜は良く眠れなかった。眠い。
荷物のパッキングをする。いつもながら、荷物が多い。何か買い足した訳でもないのに、何故か荷物が増えている気がする。
7:00、1階のダイニングで朝食。
receptionやダイニングで、顔を合わせた女性スタッフがニコッと挨拶してくれる。朝食は毎日同じだが、美味しい。
ふと外を見ると、スズメが沢山電線に止まったり、地面に降りてぴょんぴょん動いている。ミャンマーにはスズメが多い。最近見ないけど、昔の日本も沢山いたなぁ。

8:00チェックアウト。
receptionでタクシーを呼んで貰う。フライトの時間から少し早すぎかなぁと思ったが、意外にもすぐ来るはずのタクシーがなかなか来ない。今度は間に合うかと、心配になる。
ちょっと腹具合も心配になって来たゾ。

8:30にようやくタクシーが来て、ヘーホー空港(Heho Airport)へ向け出発。
料金の18,000ks(約1440円)は、receptionで払う。
タクシーはトヨタのクラウン。
バックパックを後部のトランクに入れ、いつものようにドライバーに断って助手席に乗り込む。
クラウンは貧乏バックパッカーには過分な気もするが、これが有難かった。
途中まで舗装が悪く悪路が続くが、車が良かったので随分助かった。
クラウンやマンダレーで乗ったマークIIは、こんな悪路でも上手く衝撃を和らげてくれる。プロボックスやADバンとは乗り心地が全く違う。道路自体が良い日本ではこの違いに気付かなかったが、異国で改めてクラウンやマークIIの真価に気付いた面持ちだ。

<へ―ホー空港から搭乗>
約45分でヘーホー空港(Heho Airport)へ到着した。
シャン州タウンジー(Taunggyi)郡のヘーホーの町にある空港で、海抜1176m、2500mの滑走路をもっている。IATAの3レターコードは「HEH」。
このヘーホー空港は、旧日本陸軍が第二次大戦中に整備した空港で、航空隊の司令部も置かれていたようだ。一時は、アキャブ飛行場(Akyab 現シットウェー Sittwe)に駐屯していた飛行第64戦隊(加藤隼戦闘隊)も使用していたことがあるらしい。

第二次大戦中、ビルマ(現ミャンマー)周辺の飛行場。シャン高原に「ヘホ飛行場」。いまのヤンゴン空港は「ミンガラドン飛行場」

此処はローカルな空港で、ターミナルビル内には発着便を表示する電光掲示板も無く、搭乗開始の時は係員が便名の書いたプラカードを出して知らせる。
搭乗便が来たら待合室から駐機場への出口で、ボーディングパスがチェックされる。
飛行機が到着すると、その機体は約30分くらいで出発する様だ。

ヘーホー空港の待合室 扉の先は駐機場

ボーディングパス

10:10にair KBZが到着した。
これかと思ったが、違う。タイとの国境の町タチレイ(Tachileik)行きの、249便だった。
10:25またair KBZが到着した。
今度は私の乗るヤンゴン行き253便だ。機体は、6月1日にヤンゴンからマンダレーに行くとき乗ったのと同じ、ターボプロップのプロペラ機ATR72だ。
因みにボーディングパスを見ながら気づいたが、IATAの3レターコードでヤンゴンは、旧称のラングーンを表すような「RGN」のままなんだなぁ。
本来11:00出発のはずが、10:45に出発した。

air KBZヤンゴン行き253便 機体はATR72

今回も座席指定は無く窓側に座ったが、生憎外は雲が厚く、景色が見えない。
離陸時、雲間から山と山の間に僅かにインレー湖が見えた。
機内食でパンとロールケーキが出た。お腹が空いていたので、コーヒーと一緒に食べる。

雲海の上を飛びヤンゴン空港へ


<再びヤンゴンに戻ってきた>
12:00頃ヤンゴン空港に到着。
雨が降っている。既に雨季に入っているから、当たり前かぁ。
国内線ターミナルビルのbaggage claimで、預けたバックパックが出て来るのを待っていたら、バガン(Bagan)からの便も同じベルトコンベヤーから出てくるみたいで、周囲にはクラブツーリズムのバッジを付けた日本人のグループが何人もいた。
ホテルまでタクシーに乗る。10,000ks(約800円)。値段交渉も慣れてきたかな(笑)。

HOTEL BAHOSIに、6月1日以来9日ぶりにチェックイン。
Receptionも覚えていてくれて、ヤァ〜って感じだ。
宿泊費US$39を払う。前はUS$36だったが。部屋のベッドがシングルからダブルサイズになっている。そうだ、予約の時、最後だからちょっといい部屋にしたんだ(笑)

荷物も解かないうち、タクシーで、ボージョー・アウンサン・マーケットへ行く。2,000Ks(約160円)。
ここはイギリスの植民地時代からの市場だが、今は半数以上が宝石や貴金属店と、あとはお土産屋さん。屋根はあるが、冷房は無い(笑)
入って中央の大きな通路を歩いていると、何を探しているの?私が案内してやるよ、などと年配の女性から日本語の声が掛かる。
何処に行ってもこのような有料の案内人がいる。以前インドネシアのバリ島のデンパサールにあるパサール・バドゥン(Pasar Badungバドゥン市場)でも、同様に年配の女性から日本語で声が掛かったことがあった。無視して歩いていると、いつの間にかいなくなるのも同じだ。
しかし今回は、「No thanks.」と言ってスタスタ行くまでは良かったが、いつの間にか道に迷っていた(笑)。

今日は帰国に備えて、お土産を買いに来たのだ。中央の通路を暫らく進むと、もう行き止まりになる。あれっ?ネットで調べて目星を付けていた店が見当たらない。キョロキョロ見渡すと、曲がって右手の通路に目指すティーシャツ屋さんがあった。
此処でお土産を買う。43,000Ks(約3,440円)。

ボージョー・アウン・サン通りに掛かる歩道橋を渡って、ボージョー・ニューマーケットに移動。
土曜日なので若者や家族連れでいっぱいだ。吹き抜けのホールでは若い男性グループが歌を歌っていた。2階からは沢山の人が鈴なりで見下ろしている。
今年の2月に行った、インドネシアのジャカルタでも見た様な光景だ。若い人たちの好みはどこでも同じだ。

おじさんの好みもまた同じなので、此処でまた久しぶりに一風堂のラーメンを食べる。13,745Ks(約1,100円)。高いラーメンだが、美味しい。
地下のスーパーマーケットで買い物をする。お土産のコーヒー13,000Ks(約1,040円)や
今晩の夕食用のパン。1,000Ks(約80円)。
雨の中、タクシーでホテルまで帰って来た。2,000ks(約160円)。

ボージョー・ニューマーケットでは若い男性グループのコンサートをやっていた

一風堂のラーメン

ホテルの裏に小さなコンビニエンスストアがあり、ホテルのロビーと通路で続いている。そこでペットボトルの水と、ビールを買う。2,000Ks(約160円)。
明日はいよいよ帰国の飛行機に乗る予定だ。荷物をまとめる。

ベッドの上で、帰国準備のパッキング