歳をとっても旅が好き

海外ひとり旅の記録?いや記憶かな

ミャンマーひとり旅(2017年) <63> 17日目 バガンからインレー湖に向けて出発

<17日目ー1
2017年 6月7日 水曜日 晴れ ニャウンウーは曇り。暑い。
インレー湖、ニュウンシュエは、曇りのち雨。暑い。

<バガンからインレー湖へ>
パガンのホテル、モーテル・ゼインで4:00起床。
昨日眠れず、睡眠不足。何故か九州勤務時代のことがあれこれ思い出されて眠れなかった。
業務の滞った人を部屋に呼んで事情を聞いていたら、息子が起こした自転車での人身事故の後始末をしていたと言う。「良く頑張ったなぁ」と言ったら、叱責されると思っていたのが意外にも逆に慰められて、涙をぽろぽろ流していたこと。
若手の有能な社員で、自動車修理工場の息子が、親から実家に戻って家業を継いで欲しいと言われていると相談を持ちかけて来たこと。福岡の時、意見書を提出したが、あそこのあの部分は、もっとこうすれば良かったなど、思い出が取り留めなく湧いてきたのだ。

以前インドのカルカッタで、宿に取ったYMCAの幽霊屋敷の様な部屋のベッドで、夜中若いころのことが、目の前で起きたことの様にくっきりと思い出されて、明け方窓のすぐ外でカラスがけたたましく鳴きだすまで眠れなかったことを思い出す。
旅行に出ると、どうしてこうも昔のことを、あんなにも鮮やかに思い出すんだろう。

起きだして、荷物をパッキングをする。メインのザックとサブザックにそれぞれ荷物を入れる。
マンダレーのゲストハウスで、冷蔵庫に入れておいたチョコレートを忘れて来て仕舞ったので、忘れ物のない様に(笑)。
6:00 ダイニングが開く。慌しく食事。目玉焼き、トースト。昨日と同じだが、朝早くから朝食が食べられて嬉しい。
歯磨き、トイレを済ませて、check outする。ミニバーの清算。4,500Ks(約360円)。

「This Hotel is very good , so clean and the reception is warm. このホテルは良い。清潔で、レセプションの対応が暖かい。」とreceptionの年配の女性に言うと、「Thank you !」とにっこり笑った。

7:15 ピックアップが来る。何とピックアップ専用の大型バスだ。普通ピックアップは荷台にベンチを付けた小型トラックか、下手すればバイタクだ。ピックアップの大型バスなんて、初めて見た。さすがJJ Express。
ニャウンウーやバガン周辺の各ホテルやGHで、客を拾っていく。
殆どが欧米人の若いバックパッカーだが、ピックアップの予定時間になってもなかなかホテルから出て来ないグループもいて、ホテルの前で暫らく待つ。
ようやく最後の客を拾い終わったのか、ピックアップバスはNyaung Oo Kyaukpadaug Rdを南東へ走り、8:15、ようやくバスターミナルに着いた。

今日乗るJJ ExpressもHIGERの大型バスだ。
しかしタイのVIPバスの旧くなった様で、必ずしも快適でも綺麗でも無い。しかしマンダレーからのミニバスに比べたら遥かにマシだ。
小さなターミナルビルに入って、トイレに行こうとするが、どこにあるのか分からない。うろうろして行けないまま、出発の時間になってしまった。

<バガンのバスターミナルを出発>
8:30 バガン(ニャウンウー)のバスターミナルを出発。
私は、横3列シートの右端の1人用シート「B3」。私の他は、全員欧米人だ。
前席の背凭れのポケットに、500mLのペットボトルの水が入っている。ミャンマー人の小柄な女性の車掌が、これから出発するとマイクで英語のアナウンスするが、何故かマイクにエコーが掛かっている(笑)。終わると、家の居間にでも座るように籐の丸椅子を出してきて、運転手の横に置いて座った。

籐の椅子に座った車掌さん

バガン(Bagan)から、シャン高原にあるインレー湖(Inle Lake)の近くの町ニャウンシュエ(Nyaung Shwe)までは、西から東へほぼ横移動だ。
ニャウンウーを出発したバスは、ポッパ山の近くのチャウッパダウン(Kyaukpadaoung)までKyaukpadaoung-NyaungU線を走り、その後Kyaukpadaoung-Meiktila線で、モウラミャインで病気にならなければ行く筈だったメイッティーラ(Meiktila・旧メイクテーラ)に向かう。
その後南北方向の道路ヤンゴン・マンダレー線を越え、更に東のシャン高原に向かって行く。

シャン高原(Shan plateau)は、ミャンマー中東部からタイ北西部に広がる広大な山岳地帯で、平均の標高は約1,000m。
ミャンマーの中央平野から急峻に聳え立ち、植民地時代のイギリスが避暑地として開発した町ピン・ウー・ルウィン Ryin Oo Lwin(旧メイミョウ Maymyo)などがあり、メイミョウは長く旧日本陸軍第15軍の司令部が置かれた場所でもある。
第二次大戦の激戦地エーヤワディ河での「イラワジ会戦」で敗れた日本軍が、一斉に退却したのもシャン高原だった。

10:30 メイッティーラ(Meiktila)のガソリンスタンドで休憩。
どこからかおばあさんが、籠いっぱいに果物を持って来て商売を始めた。マンゴー、ドラゴンフルーツ、ランプータン、別の籠にはドリアンが2個入っていた。

乗っているJJ Expressの大型バス

果物を売るおばあさん 

暫く行くとメイッティーラ湖が見えてくる。第二次大戦時、日本軍の兵站基地で、5つの飛行場を持つ交通の要衝であったこの地を巡って、連合国軍と日本軍の間で「メイクテーラ会戦」が戦われた地だ。
バスは湖の真ん中の狭隘部に架かった橋を通って行く。

メイッティーラ湖

街道脇の食堂 日除けテントには携帯電話会社「Telenor」の文字

バスはメイッティーラを過ぎ、次第に山に入って行く。シャン高原だ。
道が山を巻いて高度を上げて行く。道の拡張工事が始まっているが、まだ狭いままの路にキャベツを満載したトラックやトレーラーが頻繁に通る。大型バスはそれらと擦れ違いするばかりか、低速の前走のトラックを追い越したりして進む。なかなかスリリングだ。

メイクテーラから東進して、カロ―などシャン高原に入って行く


12:40、山に入り、カロー(Kalaw)が近くなって、街道沿いの食堂で昼飯の時間になる。
メニューには英語の表記がある。チキンのフライドライスを頼む。
目玉焼きが上に乗って、味は美味しいが、油が強い。付け合せのキャベツと一緒に食べる。スープはミャンマー風味で、これはまだお腹が受け付けない。三分の一残す。食べ終わって、またお腹を壊さないか疑心暗鬼だ。1,200ks(約120円)。

カロー近くの峠の食堂

卵の乗ったチキンのフライドライス