歳をとっても旅が好き

海外ひとり旅の記録?いや記憶かな

ミャンマーひとり旅(2017年) <59> まだまだ14日目 ニャウンウー最初の食事は・・・

<14日目ー3
2017年 6月4日 日曜日  ニャウンウーは、晴れて暑い。
マンダレーから、エーヤワディー河の畔の町ニャウンウーへやって来た。ここニャウンウーは仏教遺跡で有名なバガンへの入口の町だ。

 

<ニャウンウーって真夏の海岸?>
ようやく着いたニャウンウーのホテルで、レストラン街の場所を聞いて来た。朝はマンダレーのゲストハウスを出る時間が早かったので、朝食抜きで此処まで来た。お腹が空いた~。
帽子を被って、ホテル前のアノーヤター通り(Anawrahta Rd.)に出て来た。
時刻は13:00近くで、強烈な陽射しは容赦無く照りつけている。
歩き始めると、意外なことにこの辺りは砂地なのか、舗装された車道以外は海岸の砂浜を歩いているようで、足が砂にめり込む。サンダルから出た素足の足や指が触れる砂が熱い。
これが横道に入ると更に砂が深くなり、まるで真夏の海水浴場を歩いている様だ。

ふと思いだした。此処は「ニャウンウー(Nyaung Oo)」。
バガン遺跡への入口の町だが、確か第二次大戦中のミャンマー(当時はビルマ)で、1944年(昭和19年)12月から1945年(昭和20年)3月末まで、マンダレーからバガン(旧パガン)に掛けたこのエーヤワディ河(当時の呼称は「イラワジ河」)一帯で、連合国軍(英印軍)と旧日本陸軍の第15軍(第15師団、第31師団、第33師団、第53師団)の間で大規模な戦闘「イラワジ会戦」があった場所だ。

その中でも、1945年(昭和20年)2月21日、パガン(現バガン)よりやや上流の「ニャング」という地点で、エーヤワディー河を渡河して来た第17インド師団と第255戦車旅団が、日本軍の守備隊を突破して、一気に日本軍の中部ビルマの重要な兵站基地だったメイクテーラ(現メイティーラー)に突入し、占領した。
そのことで「イラワジ会戦」が瓦解し、その後日本軍はビルマで大規模な攻勢を行えなくなった転換点だった。

その「イラワジ会戦」の記録の中で、多くの将兵はイラワジ河畔が「特に南岸一帯は砂漠の様な地形で(中略)水の欠乏は部隊の生存すら危ぶまれる」や「戦場一帯は酷熱で、木陰ひとつない焼けつくような砂原で、直射日光にさらされながら敵戦車と交えている将兵の辛苦は大変なものであった」と書かれているのを思いだした。

パガン(現バガン)の隣の渡河地点は「ニャング」?
此処はニャウンウー(Nyaung-Oo)。何か似ている。しかしこんな地名はミャンマーには多いのかもしれない。
第二次大戦当時のミャンマーの地名の呼び名は、現在のものと違っている。モウラミャインも「モールメン」だったし、ヤンゴンも「ラングーン」だし、エーヤワディ河も「イラワジ河」だった。

<ニャウンウーでの最初の食事は>
ホテルで聞いて来たレストラン街はこのあたりだろうと、アノーヤター通りを曲がって横道に入って暫く行くが、焼けつくような砂の上に、所々に椅子とテーブルを1組だけ出したローカルの食堂があるが、これがレストラン街?
流石に歩き疲れて来たところに、「シーフード・タイ料理Aung Sat seafood Thailand 」の看板が目に入った。
余り好きでは無いタイ料理だったが、このまま行ってもレストラン街(?)には着きそうもない。それにもうお腹が空ききって歩けない(笑)。

近寄って見ると、外は葦簀(よしず)で覆われた作りの店で、まるで海水浴場の海の家だ。中を覗くと、やはり客がおらず、犬が2匹寝ている。
やっぱり止めて引き返そうとしたところに、店の女性が出て来て、中にどうぞどうぞと言われた。

仕方なく葦簀の中に入り、板を渡しただけの様なベンチに座って、出してくれた英語とミャンマー語で書かれたメニューを見るが、食欲の湧きそうな料理は無い。
でもアレルギーの海老の入って居ない、火の通ったものなら良いかと、豚肉の炒め物と、店の人が日本人が好きだと勧めるサラダ、それにナイロン・ホテルの朝食を思い出して「ポリッジ Porridgeお粥」と言って見るが通じないので、白飯を頼む。
店の女性はロンジー姿の30代くらいの小太りの浅黒い美人で、赤ちゃんを抱いて来たので可愛いねと言うと、わざわざ、これは姉の子で私は独身(Singleness)と言う様な事を云う。

赤ちゃんを抱いた店の女性

たった1人の客の私に付きっ切りで、団扇で扇いでくれたり、料理は美味しいかと聞いて来る。私は昨日から下痢気味だと言って、ご飯を全部と豚肉を少々、サラダも一口だけ食べて店を後にした。7,000Ks(約560円)だった。
これでまた下痢にならなければ良いがと思いながら、ホテルに戻った。

Receptionで、6月7日のインレー湖へのバスチケットと、明日はゆっくり馬車で遺跡を廻って見ようと馬車の手配を依頼した。
バスは、今度はJJ Expressを予約した。ホテルまでのピックアップを含め15ドルと高いが、今日のミニバスの反省を踏まえて(笑)。US$15を現金で支払う。

夕食はホテルの庭で採れたと言う、ウェルカム・フルーツのバナナ3本。見かけは良くないが、味は美味しい。
でもやっぱりお腹が空く〜。

ホテルの庭で採れたというバナナ

<ニャングとニャウンウー>
ベッドの上で横になりながら、昼間レストランを探して海岸の様な暑い砂地を歩き廻っていた時、ふと第二次大戦中の「イラワジ会戦」がこの辺り一帯で起こっていて、戦局を大きく変えたメイクテーラの占領に向かった英印軍第17インド師団と第255戦車旅団の渡河地点の「ニャング」が気になったことを思いだした。
それはバガン(旧パガン)のとなりで、「ニャング」と今このホテルのある「ニャウンウー」が何か類似点がある様な気がしていた。
そこでホテルのWi-Fiを使って、持参したiPadで戦時中の資料を見ていたら、「ニャング」の英語表記は「NyaungU」となっているのを見つけた。
でも此処はニャウンウー(Nyaung-Oo)。
今度はガイドブックを見ていると、そこにはニャウンウーの英語表記を「Nyaung-Oo」または「Nyaung-U」と書かれていた。
そうか、なんと此処ニャウンウーは、あの「ニャング」そのものだったんだ!!何か身震いがする。