<2日目ー2>
1997年11月13日 木曜日 カルカッタ 晴れ一時雨
初日のLYTTON HOTELで同宿となったMさんと一緒に、カルカッタの街を歩いている。
<外国人用鉄道予約オフィスを訪ねて>
マイダーンを歩きながら、Mさんが鉄道の切符を買う場所を見ておきたいと言う。
じゃあ行ってみようということになったが、ガイドブックによると、確かカルカッタでは鉄道切符の予約する場所は駅にはなく、街の中心部にあるらしいのだ。
再び地下鉄に乗って、今度は反対方向に行ってエスプラネード駅(SW.Esplanade)で降りる。料金はRs 2(約7円)。
此処は市内を走っている交通機関のターミナルの様で、人を一杯に乗せて、開けたままの扉に人が何人もしがみ付いているトラムや、鉄板を張り合わせて作った様な旧いバスが排気の煙を濛々と出しながら行きかっている。
その間を車や、タイのトゥクトゥクの様なオートリキシャや、人が漕ぐサイクルリキシャがあらゆる方向に、渋滞の隙間を目掛けて走っている。
この通行の激しい通りを、キャスターの付いた小さな台に乗った脚の悪い男が、腹ばいのまま両手で地面を漕ぐ様にして渡って行く。それを誰も注目もしなければ、車やオートリキシャが徐行したり待つことも無い。
こんな光景を見て、唖然として立ち止まってしまう。
向うから手に空のペットボトルを持った子供が二人走って来て、私たちの側を通りぬけて行った。
Mさんがキッとして、子供たちの行った先を睨むと、「気を付けたほうが良いよ。いま俺の脚のポケットを探って行ったよ。」と言った。
裏道に入ると、周囲の古めかしいビルの1階は飲食店で、通りに面して風呂屋の番台の様に一段高くなった上に、大きな鍋を前にして白いシャツ姿の男が座り、その前に人が群がって何か食べている。道は食べこぼしや汚水なのか濡れて、端にはゴミが吹き溜まっている。
お腹が空いたが、屋台や街角の食堂を見てもなかなか入る勇気がもてない。
二人で歩いていると、重厚な石造りの建物のGreat Eastern Hotelがあり、ここのカフェに入って、紅茶とサンドウィッチを食べる。Rs.181(約634円)。ペットボトルのミネラルウォーターはRs.12(約42円)。
少し行くと旧い大きなビルが立ち並んでいる。オフィス街のダルハウジー・スクウェア(Dalhausie Sq.)の様だ。
Easten Railwayの外国人用予約オフィスを捜して歩く。
ガイドブックの地図に拠れば、カルカッタでは予約用のチケットオフィスはダルハウジー・スクウェアにあるらしい。しかも外国人用はローカル用とは別にあるらしいのだ。しかし手にしているガイドブックの地図は凡その概略図の様で、目的の場所が何処にあるのかまるで分らない。
暫く歩いて、そのたびに周囲の人に「Where is the railway reservation office?」と聞くのだが、皆知らないようだ。それとも発音が悪いせいか(笑)。
そのうちフーグリー河に近い通り沿いにそれらしいビルを見つけたが、中に入って見てもローカルの人ばかりで外国人の姿は無い。
また近くの人に「Excuse me、reservation office for foreigners?」と聞くと、入口の直ぐ横にある階段を指す。
半信半疑のままその階段を上がって行くと、外国人がいっぱいいた。
此処でMさんは申込み用紙に記載して、長蛇の列に並んで窓口で交渉していたが、どうも希望の日の列車が無いようだった。私に、明日また来ますと言った。
再びSW.Esplanadeで地下鉄に乗り、SW.Maidanで降りた。Rs.2(約7円)。
右に左に行ったり来たりだが、インド政府観光局のインフォメーションに往こうとしていた。
此処でカルカッタやインド全体のFree Mapを貰いたかった。ガイドブックの地図だけでは、どうにもならない。
チョーロンギー通りから少し入ったところに、特に観光局の看板も無く塀に囲まれた目立たないビルがあり、敷地には何台かの車が駐車している。
中に入ると、棚に数種類のパンフレットが置かれていて、カウンターではサリーを着た女性が身なりの良い欧米人の女性の相談にのっていた。
私たちは手の空いていそうな女性スタッフを捕まえて、「Excuse me、I want a Free Map」と言うと、面倒くさそうに薄い地図を渡してくれた。
「One more、Please.」と言ってMさんの分をもう1枚貰った。
貰った地図を見ると、チョーロンギー通り(Chowhinghee Rd.)は正確にはJawaharlal Nehru Rd.というらしい。この周辺にはサダルストリーに入る横のインド博物館(Indian Museum)はじめ、有名な高級ホテル「オベロイ・グランド・ホテル」(Oberoi Grand Hotel)やYMCAなども並んでいる一画だったのが分かる。
フーグリー河(Hooghly River)沿いに広がるマイダーン(Maidan)も、いまは公園に整備されている様だが、それ自体は固有名詞ではなく、単に「原っぱ」程度の意味で、
イギリスが最初にカルカッタに築いたウイリアム要塞の周囲を、見通しを良くするため広大な空き地にしたのがいまの「マイダーン」らしい。