歳をとっても旅が好き

海外ひとり旅の記録?いや記憶かな

ミャンマーひとり旅(2017年) <73> まだまだ21日目 アウン・サン博物館⑤ 軍政から民政へ ミャンマーの天然ガス

<21日目ー5

2017年 6月11日 日曜日  ヤンゴン 雨 時々曇り 27度。
ミャンマー旅行最後の日、ヤンゴンのカンドーヂ湖(Kan Daw Gyi Lake)の北にある、ミャンマー建国の父と呼ばれるアウン・サン将軍の生前の住居だった、アウン・サン博物館(Bogyoke Aung San Museum)に来ている。
雨季に入って、ヤンゴンは連日雨だ。

<ミャンマーの天然ガス田>
ミャンマーの天然ガス田は1990年代前半に発見され、1990年代後半にかけ生産が始まっている。生産量の60~70%が輸出され、その額は、2014年度は51億ドルに上り、ミャンマーの輸出全体の41%を占めている。しかもその特徴として挙げられるのが、輸出代金の政府取り分が70~80%と異常に高いことだ。

主な天然ガス田は4つある。
①Yadana 1983年発見され、1998年から生産されている。場所はアンダマン海のモッタマ湾(Moattama)にあるガス田。水深40mと浅海に位置する。
②Yetagun 1990年発見され、2000年から生産されている。場所はこれもアンダマン海のモッタマ湾(Moattama)にあるガス田。水深100~150mに位置する。このガス田は現在生産量の落ち込みが激しいらしい。
③Zawtika 場所はアンダマン海のモッタマ湾(Moattama)にあるガス田。水深130mに位置する。
これら①Yadana、②Yetagun、③Zawtikaの60~70%は、パイプラインを通してほとんどがタイに輸出されている。

④Shwe 2004年発見され、2013年から生産されている。場所はラカイン州ベンガル湾沿いにあるガス田。水深100m。
このガス田からは、約70%が中国に輸出されている。

開発会社などと、2000年から2010年に締結したGSA(Gas Sales Agreement)は、いずれのガス田でも20~30年の長期間で、「生産物分与契約」(PSC Product Sharing Contract)では、上記②Yetagunを除き、輸出80%、国内向け20%となっているらしい。

輸送手段は、①Yadana、②Yetagun、③Zawtikaのガス田からは海底パイプラインで、カレン州のDaminseikで上陸し、Ban-I-Tongで国境を越え、ここから陸上のパイプラインでタイのRatchaburiガス火力発電所など国内各地へ送られている。

一方、④Shweのガス田からは海底パイプラインで、ラムリー島(Ramree)のチャオピューKyau Kpyuで上陸し、その後陸上パイプラインでマンダレー、ピンウールィン(Pyin Oo Lwin 旧メイミョーMaymyo)を経由し、Psnsaiで中国国境を越え、端麗、保山、大理、昆明と旧援蒋ルートの「ビルマ公路」を通って送られている。このパイプラインは2013年に完成した。

ミャンマーの天然ガス田

興味深いのは、この天然ガスパイプラインと並行して石油パイプラインが走っていることだ。現在ミャンマーには、輸出するほどの石油は出ない。
実はこれは、中国が中東から輸入した原油をチャオピューKyau Kpyuで陸揚げし、危険な状態になりかねないマラッカ海峡を通らずに、中国に運ぶために作られている。
これでマラッカ海峡は通らずに済んだが、実はパイプラインの方も、中国国境付近はシャン州の「ミャンマー民族民主同盟軍」(MNDAA Myanmar Nationalities Democtatic Alliance Army)の根拠地を通っている。
中国は「一帯一路」構想の一部として「中国・ミャンマー経済回廊」を造ろうと、パイプラインの起点であるラムリー島のチャオピューKyau Kpyuに深水港を建設中で、此処から雲南省昆明とヤンゴンを高速道路と鉄道で結ぶ計画だと言われている。

中国の天然ガスパイプラインと石油パイプライン


<ミャンマー連邦共和国 軍政から民政へ(テイン・セイン政権からNLD政権へ) 2011年~ >
2006年10月、首都をヤンゴンからネピドーへ遷都。
2008年、新憲法承認。
2010年、総選挙実施。

2011年3月、政権が軍政から民政に移行。1962年のクーデターから50年間続いた軍政が終わった。
1997年クーデターと共に設立された「国家平和発展協議会」(SPDC)は廃止され、「連邦団結発展党」(USDP: Union Solidarity and Development)のテイン・セイン(Thein Sein)が大統領に就任した。
この時期の軍政から民政への移行は、ひとつには経済の停滞が改善されないことや、民主化の要求が大きくなってきたことに加え、軍に於いても、経済回復のためには避けられない経済自由化に先んじて行った、軍による100%子会社MECおよびUMEHLの設立で、収益性の高いビジネスの多くを政府から移管し、形は国営から民間に移管された様にして、政府の優良資産を軍関係者が独占できる体制がほぼ整ったからとの見方もある様だ。

テイン・セイン政権は、輸入規制の緩和や、経済活動への国の干渉を減少させた。
2011年9月、自動車の輸入規制を大幅に緩和。この御かげて、私もヤンゴンの街に溢れる日本製の中古車のタクシーに乗ることが出来ている訳だ。
さらに2012年4月1日には、当時あった複数の為替レートを、管理変動相場制に移行後、実勢レートに一本化している。
それまでは、改定当時公定レートでは5~6Ks/USD、公認市場レートは450Ks/USD、実勢レートでは800Ks/USDなどと複数の為替レートが存在していた。
例えば輸入企業が、輸入品をミャンマー国内でチャット(Kyat ミャンマー通貨の単位)建てで販売するときは、チャット建ての国内価格は実勢レートを反映した水準だが、仕入れ価格は公定レートでチャットに換算されるため、この商品の仕入れコストが極端に低く算定されてしまうなど、経済の混乱の要因ともなっていた。

また旅行者にとっては、以前は良くミャンマー旅行の際の「外貨兌換券FEC(Foreign Exchange Certificate)」の話があった。
外国人旅行者がミャンマー国内に入国する際、以前は300ドル(USD)を強制的にこのFECに両替させられていた。
そのFECは、建前上は1FEC=1USDのはずだが、実際には闇でチャットに両替しよとすると、USDの現金より2割くらいレートが悪くなるので、みんなFECを敬遠していたと聞いたことがある。
この「外貨兌換券FEC」はミャンマーに限らず、主に社会主義国などで、自国内で外貨の流通を避けるために行われていた制度で、ミャンマーでは1993年から2013年7月まで行われていた。
私も今回のミャンマー旅行を計画した時、多分もう廃止されたんだろうなぁとは思いつつも、改めて確認したほどだ。
中国(中華人民共和国)などでも、1979年から1995年まで行われていた制度だ。

2015年11月、総選挙で「国民民主連盟」(NLD National League For Democracy)が改選議席の80%を獲得して大勝。
2016年3月、ティン・チョー(Htin Kyaw)が大統領、アウン・サン・スー・チーを国家最高顧問とするNLD政権が誕生した。