歳をとっても旅が好き

海外ひとり旅の記録?いや記憶かな

インド・パキスタンひとり旅(2000年) <17> 5日目 古都ムルタンMultanに着いた

<5日目ー1
2000年 3月13日 月曜日 ムルタン(Multan) 晴れ
昨晩、ラホールの町を出発したフライング・コーチは、パンジャブ平原を南下して来た。

<ついにムルタンに着いた>
04:00に、ムルタン・キャントンメントMultan Cantonment駅前からSilver Sand Hotelの方に行く道の左側にあるTDCPのBus Standに着いた。ラホールからは7時間かかった。

バスから降りると、警察か軍か制服姿の人が立って居る。
さすがに内陸に来ると治安も悪くなるのでその対策かなと思いながら通り過ぎようとすると、何故か私だけが呼び止められた。
一緒に乗っていたローカルの乗客たちは、誰も何も誰何(すいか)もされずそのまま行って仕舞う。

軍服を着た人に、持っていたサブザックを指さして中味を見せる様に言われ、地面に降ろしてチャックを開け、中から衣類などを取り出し始める。
ずっと横からザックの中を覗き込むようにしていたが、特に何も言われずそのまま放免となった。
何だったのだろう。外国人だからか。でもパキスタンに空路で入国した時も、ラホール市内を歩き廻っても特に何も起きずに来たので、何故突然ムルタンで調べられたのかと訝しく思った。

早朝だったが、幸い客待ちをしていたオートリキシャに乗り、今日の宿に向かう。
「Hotel Shindbad, Please.」と言ったら、何も聞かれず走り出した。
大きなホテルでもない筈なんだがなァ、分っているのかなァと思いながら、ラホールより更に濃いローカルな街並みを眺めていた。
Akbar Rd.からデラーダ(Dera Adda)交差点を過ぎ、LMQ.Rdを直進した先、S.Mohammad Quswar Gardezi Rd.に面しているHotel Shindbadに着いた。
オートリキシャはRs.25(約60円)。


<ホテル・シンドバット Hotel Shindbad>
ゲストハウスより少し大きい位のホテルだが、此処にはPTDC(Pakistan Tourism Development Corp.)のインフォメーションが併設されている。何かと便利だろうと、ガイドブックでチェックしていて、ムルタンに着いたらまず此処を目指そうと思っていた。此処には、レストランも併設されているはずだ。
オートリキシャのワーラーが、こんな小さなホテルでも、間違わず来てくれたのはこのせいだったのかもしれない。

receptionで「Can I get a room?」と聞き、「Single, A/C, attached bath」と条件を言うと、何泊か聞かれた。2泊と言うと、OKだと。
部屋が取れてラッキーだった。しかもシャワーはお湯が出るらしい。
早速、Check inする。
Rs.1,200(約2,880円)/泊×2泊=Rs.2,400だと。
意外にも、何故かデポジットは取られず。

部屋に入ると、値段は中級ホテルだが、中はシングルベッドで旧く簡素な造りで、ラホールで泊まっていた「Hotel Indus」のRs.800の部屋に比べると随分割高の様な気がする。
しかし夜行バス明けで、とにかく疲れて眠い。寒い早朝には有難いホットシャワーを浴びて、ベッドで寝る。
10:00目覚めた。
レストランに行って、トースト、オムレツ、マックスウェル(Maxwell)のインスタントコーヒーで朝食。Rs.80(約192円)。

ホテル・シンドバッドの部屋

ホテルの朝食

<ムルタン(Multan)>
これからこの街をどのように歩こうかと思案したが、Free Mapか、何か情報を得ようとホテル内にあるはずのPTDCのインフォメーションに寄ってみた。

ムルタン(Multan)は、パンジャブ州ムルタン県の県都だ。人口も380万人もいるらしい。
パンジャブ州は前述の通り、ペルシャ語で「5つの川」のある土地の意味らしく、チベット高原からパキスタンを縦断してアラビア海に注ぐ、全長3180Kmにも達するパキスタン最大の川インダス川(Indus River 現地ではスィンドSindhu))と、その支流のジェルム川(Jhelum River)、ラヴィ川(Ravi River)、サトレジ川(Sutlej River)などのひとつである、チェナブ川(Chenab River)の東に位置している。

都市としての歴史は古く、インダス川河口のスィンド州にある紀元前2500年から1800年頃に繫栄したと言われている、インダス文明最大の都市遺跡「モヘンジョ・ダロ」(Moenjo Daro)や、パンジャブ州のラホールの南西約200Km、ラヴィ川の左岸にある都市遺跡「ハラッパ― 」(Harappa)と同時代に興ったと言われる、南アジア最古の都市のひとつらしい。

さらにこの町が魅力的なのは、スーフィーSufiと聖堂の町と言われていることだ。
712年にイスラムが伝わって以後、1005年にムルタンはイスラム化するが、9世紀以降イスラム教の官僚化、立法主義、形式主義や世俗化が進む中、これを批判する改革運動として、コーランの内面的な解釈を重要視したイスラム神秘主義(Sufism)が生まれ、その実践者たちはスーフィー(Sufi)と呼ばれたとのこと。
これは初期のイスラム神秘主義が虚飾を廃するしるしとして、粗末な羊毛(アラビア語でスーフSuf)で出来た衣を纏っていたかららしい。

此処ムルタンは、そのイスラム神秘主義(Sufism)の中心的な町になって行った。
さらに1221年から1327年まではモンゴルに征服されたため、モンゴル軍の殺戮に抗議して、これを止めさせようとした聖者などの霊廟(タルガーDargah)が数多く作られた。私が是非見たいと思っていたタルガーの他にも、いまも町中に沢山のタルガーがある様だ。
またここはパンジャブ州なので、ラホールの様にパンジャブ語を話すかと思いきや、此処ムルタンでは40%以上の人がサライキ語(Seraiki)と言う言葉を話すらしく、独特の文化を保った街らしい。

此処まではガイドブックで見て来た。

ムルタンの概念図 私の泊まったホテルは左上だ。

<PTDCのガイドを依頼>
ホテルの建物の奥の部屋は、木製のドアに白地に「Pakistan Tourism Development Corp.」と書かれた小さなプレートが付いているだけだ。

ノックしてドアを開けると、中はこじんまりした事務所の様で、インフォメーション・センターに良くあるカウンターも無ければ、パンフレット類を入れたラックも見当たらない。
体格の良い、髭を蓄えた2、3人のシャツ姿と白いシャルワール・カミーズ姿の男性が居て、こちらの顔を見るなりいきなり英語で「ガイド?」と聞いてきた。

初めはFree Mapか、何か情報を得ようと訪れただけだったので、いきなりの反応に戸惑った。
しかし、ムルタンの町は全く右も左も分からないし、どのような交通機関が使えるかもわからない。そして朝出遭った、軍か警察の外国人に対する対応に一抹の不安もあったので、最初の日はガイドと一緒に回って街の概念を得るのも良いかなと思った。でも、値段次第だ。

そこで「I’d like to go sightseeing.」、「If I’d like to hire a guide, how much does it cost?」と市内を案内してくれるガイドは幾らか聞いてみる。
するとRs.2,000というので、それでは払えない「I can`t pay, too expensive.」と言うと、Rs.1,200(約2,880円)ではどうかと言ってくる。いきなりの大幅値下げだ。
「by car?」と聞くと、そうだと。「included?」と聞くと、「sure.」そうだと。
頼むことにした。

髭面で中年の、恰幅の良いシャルワール・カミーズ姿のガイドと一緒にホテルの玄関に出ると、車を回してきてこれで行くという。なんという車か、車名は分からないが、アンバサダーでは無かった。

車の助手席に乗り込むと、まず「I’d like to exchange money.」マネーチェンジをしたいと言って、両替屋に案内して貰う。
今日のガイド料もあり、思いがけず高かったホテルの支払いもあるので、これではラホールで両替したルピーが底を尽きそうだと思ったのだ。

車に乗って着いたのは、看板も何もない殺風景な小さなビルの2階で、部屋には机の周りに何人かの男が所在なさげに集まっている。
パキスタンでは何処に行っても、何故か何もしない男たちが何人も屯している。

しかしこんなにみんなが見つめる中で、現金を出すのが憚られたが仕方ない。腹に巻いた貴重品入れの中の現金とは別に、ポケットに入れて置いた封筒の中から$100の米ドル札を出して「Exchange please.」と言う。
両替商の男は、一緒に居たガイドの顔を見ながら、特に米ドル札を改めることもせず、パキスタン・ルピー札を机の上に数えながら置いて、Rs.5.430を差し出した。
レートは1$=Rs.54.3だが、このレートが良いかどうかは直ぐには分からなかった。しかしここも一見すると胡散臭い様な場所で、ガイドと一緒でなければ来ない場所だ。