<7日目>
2000年 3月15日 水曜日 ラホール 晴れ
ムルタンで風邪をひき、発熱したままラホールへ戻って来た。
<ラホールのホテルのベッドで寝ている>
風邪は治らない。まだ熱っぽく、体がふらふらする。今度の部屋はシングルベッドを二つくっつけたようなBEDで、其処に日本から持ってきたマスクをしてただ寝ている。何も食べない。
本当にこの身体で日本まで帰れるだろうか。
しかし、昨晩ムルタンMULTANから帰ってきた時よりは遙かに良くなっている。何より、奥がくっつく様に腫れて痛かった喉の痛みが消えていた。
あの「飲む風邪薬」のせいだと思う。
ポケットに入れたままだった薬のパッケージを見ると、薬は「Rhinotussal Syrop 鼻腔シロップ」。やはり風邪薬だった様で、「For Cough & Cold 咳と風邪 」に効くらしい。主成分は「Dextromethorphan デキストロメトルファン」、これって風邪薬に良く入ってる成分だ。睡眠薬じゃなかった様だ(笑)。
意外にも「Sugar Free」と書いてある。じゃぁ、昨日感じたあの甘さは一体何だったんだろう。良く見ると「APRICOT FLAVOUR」らしいが。
作っているのは、カラチ(Karachi)。価格はRs.45.90(約110円)と書いてある。
でもこの薬の御かげで、あれ程酷かった喉の痛みは劇的にひいたし、熱もだいぶ下がった。日本の市販薬より遥かに良く効く。しかし、代わりに下痢になっていた。
今回の旅行では、いままでは下痢になっていなかった。毎日服用しているビオフェルミンのおかげかもしれないが、インドやパキスタンに免疫が付いたからかもしれない。
しかし、ここに来て下痢になったのは、やっぱりあの風邪薬のせいだろう。日本人には強すぎるのかもしれない。
どっちが良かったかは、やっぱり風邪が治ってくれた方がうれしい。寝込むと旅行はストップだが、この程度の下痢なら何とか続けられる。
一日中ベッドの上で寝ている。
朝食はトースト、オムレツ、チャイを頼む。Rs.64(約154円)。
食事はあの年配のボーイが部屋に持ってきてくれる。暫らく見ていて、私がなかなか手を付けないでいると、身振りで早く食べろと言ってくれる。本当に有難い。
今までの衣類をランドリーに出す。熱を出して寝込んだので大量だ。Rs.204(490円)。今日の夜までには出来上がるらしい。
<TVではインド・パキスタンの紛争の映像>
部屋に古いTVがあって観ている。
ニュースを読む女性アナウンサーの言葉は、ウルドゥー語かパンジャブ語か、あるいは英語で、喋り方も早いので殆ど内容は分からない。
しかしニュースでは、パキスタンの群衆のデモの様子などが繰り返し流れている。
イギリス領インド帝国(British Raj)が1947年8月解体し、インド・パキスタンに分離独立した。その分離時に1000から2000万人もの難民が生まれ、ヒンドゥー教徒やスイック教徒とムサルマーンが互いを虐殺し合い100万人以上の死者を出した「Partition」以来、両国は犬猿の仲だ。
カシミールを巡っては、3度の戦争があった。
1998年5月11,13日にインドが核実験を行うと、同月28,30日にはパキスタンも核実験行い、昨年の5月には再びカシミールの帰属を巡ってインドと国境紛争が起きて、核兵器の実戦使用が懸念されるまでになった。
昨年の10月12日には、親米派と見られている陸軍参謀総長のパルヴェーズ・ムシャラフ(Parvez Mosharraf)がクーデターを起こし、ラホール生まれの前首相ナワーズ・シャリーフ(Nawaz Sharif)を追い出し政権を握った。ムシャラフは軍事政権を樹立し、現在行政長官(Chief Executive)として全権を握っている。
しかし、あの激高したデモの様子を見ると、更に新しい火種が生じたのかもしれない。時折画像で国境の風景などが出てくるので、ニュースの意味も分からないまま、インドとパキスタンの国境が閉まるかもしれないとの悪夢が脳裏を過ぎる。
明日は、現在インドとパキスタンの間の陸路の国境で唯一開かれている、「ワガーWagah・アターリーAtari Border」の国境を越えて、インドに越境するつもりだ。
でも、国境が閉鎖になって仕舞ったら、その時はどうするのか?
国境を超えるのは諦めて、イスラマバード(Islamabad)まで行ってチケットを買いなおして、そこから日本へ帰るか。航空券を買う費用は残っていたか?クレジットカードは使えるか?など、ベッドに仰向けになって天井を見つめながら、漠然とした不安に苛まれる。
昼は日本から持ってきた「カロリーメイト」を齧っている。