歳をとっても旅が好き

海外ひとり旅の記録?いや記憶かな

インド・パキスタンひとり旅(2000年) <27> 9日目 アムリトサルの町とゴールデン・テンプル

<9日目
2000年 3月17日(金)アムリトサル 晴れ
パキスタンからインドへ国境を越えて、スイック教徒の建てた町アムリトサルにいる。

<そうだ、ゴールデン・テンプルに行ってみよう!!>
朝食をホテルの部屋に運んで貰う。
Toast(2枚)(Rs.8)、Butter(Rs.6)、Omelet(Rs.25)、Coffee(Rs.20)。合計Rs.59(約207円)。

着替えてホテルを出る。上はティーシャツの上に青いシャツを羽織り、下はチノパン。靴はハイキングシューズ。
昨日、喧嘩別れの様になってしまったあのリキシャ・ワーラーに会わないか少し心配だったが、歩いてQueens Rd.の並びにある両替屋に行く。
$50の米ドルの現金をインドルピーに替えると、Rs.210だった。レートは$1=Rs.42か。

次いで昨晩書いた絵葉書を出そうと、通り掛かったサイクルリキシャに乗る。
Queens Rd.からAlbert Rd.に入ってGPOに向かう。
GPOの入口でリキシャワーラーに待って居て貰い中に入って行くと、何故か13:00からだと言われる。
今日は金曜日だが、午前中はやっていないのかなぁ。確かイスラム教では、金曜日は集団礼拝の日なので休みになる国があると聞いたけど、パキスタンではともかく、ここインドのパンジャブ州ではどうなんだろう。

そうだ、せっかくアムリトサルAmritsarに来たのでGOLDEN TEMPLEに行こうと、待って居てくれたサイクルリキシャに乗って向かう。

場所はここから鉄道の跨線橋を越えて直ぐだったが、料金はRs.40(約140円)だと。GPOに寄ってからの値段でも高いと思ったが、今日は昨日のリキシャ・ワーラーとのやり取りを思い出して、おとなしく支払った。

駅前のホテルからゴールデン・テンプルへの道


<スィック教とアムリトサルの町>
いま居るここアムリトサルは、16世紀の後半にスィック教徒(Sikkhi)によって建てられた町だ。
インドとパキスタンの分離独立前には、反英運動のエポック・メイキングな出来事、「アムリトサルの虐殺」(Amritsar Massacre)、あるいは起きた市内の地名を取って「ジャリアンワーラバックの虐殺」(Jallianwala Bagh Massacre)とも呼ばれる事件が起きたことでも知られている。

1919年4月13日、スワデーシ(Swadeshi 国産品愛用)と、破壊活動の容疑者に対し令状なしの逮捕、裁判なしの投獄、陪審員によらない裁判などを認めたローラット法に抗議する集会に参加した12,000名余りの人々に、グルカ兵(Gurkha ネパールの山岳民族)などの植民地政府のインド軍部隊が、無差別に射撃して参加者数百人を虐殺した悲惨な出来事だ。これにより、反英独立運動が更に激化して行った。

GOLDEN TEMPLEは、正式には「ハリマンディル・サーヒブSri Harmandir Sahib」と呼ばれる、スィック教第4代グル(尊師)のラーム・ダース(Guru Ram Das)が建立したスィック教徒の聖地で、スィック教の礼拝所グルドワーラー(Gurdwara)の総本山だ。
「グルドワーラー」とは、パンジャブ語で「神の家」という意味らしい。


<スィック教(Sikkhi)とヴァイシャキ(Vaisakhi)>
スィック教(Sikkhi)は、15世紀末にグル・ナーナク(Guru Nanak)が現在のパキスタンのラホールで、ヒンドゥー教やイスラム教の弊害を除いて創始した宗教で、唯一神(ナーム)を信じて偶像崇拝を禁じ、カースト制度も否定。出家や苦行を否定して、世俗の職業に就き、それに真摯に励むことを重んじる教義だ。

「世俗の職業に就き、それに真摯に励むことを重んじる」教義のためか、富裕で教育水準の高い層が多く、イギリス植民地時代には官吏や軍人として活躍する人材を輩出したため、インド国内では少数派だが、社会的に影響力のある宗教集団らしい。
なにかマックス・ウェーバー(Max Weber)の「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(Die protestantische Ethik und der Geist des Kapitalismus)を彷彿とさせる様な話だ。

世界に約2000万人以上の信者がいて、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教に次いで、世界で5番目に信者の多い宗教だとガイドブックには書かれている。
インドではGOLDEN TEMPLEのあるここパンジャブ(Punjab)地方に信徒が多く、パンジャブ州ではインド国内のスィック教徒の約4分の3、州人口の6割を占めているらしい。

スィック教(Sikkhi)への入信の儀式(initiation)は、従来はグルが足を浸した水を飲むことだったらしいが、1699年4月13日、第10代で、最後の人間のグル、グル・ゴビンド・シン(Guru Gobind Singh)が始めたアムリット・サンスカール(Amrit Sanskar)「蜜の儀式」では、鉄のボウルに純水を入れ、砂糖を混ぜながら讃美歌を唱え、両刃の剣でボウルの中をかき混ぜ、これを飲む儀式に代わった。
これにより、洗礼を受けた人「アムリット・ダリ」となると同時に、宗教的迫害から罪のない人を守る戦士「カールサー(Khalsa)」になった。
この4月13日、又は12日の日は、カールサー教団の誕生を祝う「ヴァイシャキ(Vaisakhi)」の日として、以後もこれを祝う日となった。
1801年、カールサーのひとりランジット・シン(Ranjit Singh)が、インド最後の独立国スィック王国のマハラジャを宣言したのも、4月12日の「ヴァイシャキ」の日だった。
実は「アムリトサルの虐殺」のあった日も、この「ヴァイシャキ」を祝う集会だったのだ。