歳をとっても旅が好き

海外ひとり旅の記録?いや記憶かな

インド・パキスタンひとり旅(2000年) <20> まだ6日目 ムルタンからラホールへ辛いバスの旅

<6日目ー2
2000年 3月14日 火曜日 ムルタン(Multan) 晴れ

<GPOからTDPCのBUS Standへ>
GPOを出てから、乗ろうと呼び止めたオートリキシャに「歩いて行きなさい」と乗車拒否?(笑)されて、熱で火照る身体を引き摺りながら鉄道駅に向かって歩いている。

Hassan Prwana Rd.は道幅10m程の道路だが、真中だけ舗装してあり、それもあちこちに穴が開いている。舗装のない両脇は赤い土埃が立ち込める中、タンガーTanga(ロバがひく荷車)や人が佇み、屋台が店を広げている。
外国人がひとりで歩いているのが珍しいのか、私を見る人々の好奇の目の中、道路の穴を飛び越したり、草やゴミを避けたりしながらDera Adda Crossに出た。

左に曲がりまっすぐ行くと、線路と平行に走っているAkbar Rd.に出る。小さな商店やレンガ塀の間から線路が見える。暫く行くと、沢山の人やオートリキシャが群がったムルタン・カントンメントMultan Cantonment駅前に出た。
低層だが緑や赤いタイルで装飾されたモスクの様な駅舎は、人で埋め尽くされた広場の奥に建っている。今回のPAKISTANの旅行ではまだ一度も鉄道に乗っていない。
因みにCantonmentとは、インドやパキスタンなどの南アジアで、英国の植民地時代に軍隊の駐屯地をさしていて、その傍に作られた駅を「Cantonment駅」と言っている様だ。

駅を通り過ぎて更に行くと、左手にTDPCのBus Standに着いた。昨日の早朝にLAHOREから着いたばかりのところだ。
GPOから15分位歩いただろうか。
大型BUSのフライングコーチが停まっており、その脇を抜けてOfficeの中に入った。

手前が待合室らしく壊れかけた様な長椅子が置いてあり、ドゥパタ(スカーフ)を被った中年の女性が大きな荷物を脇において座っている。
中のカウンターで昼間のBUSのTime tableを確認する。夜行はこの身体では持たないと思ったのだ。

チケットカウンターで「To Lahore ,What time does the next bus leave ?」と聞くと、13:30が有ると言う。
「I’ll take the next bus.」「 One-way ,one person, please.」と言って、ticket を買う。Rs.140(約336円)。シートはNo.5だ。

ムルタンからラホールへのバスチケット

Officeを出て、通りの向かいの売店でミネラルウォーターとお菓子の「KIT CUT」を買う。この赤い包装のお菓子は、世界中何処にでもあるなぁ。今晩の食料だ。この位しか食べられそうもない。

駅前から再びオートリキシャに乗って、HOTELまで戻る。Rs.20(約48円)。
部屋で荷造りして、Reception でcheck out する。
Room RentはRs.850だが、Excise Duty(物品税12.5%)でRs.106.25、 Bed Tax(8%) Rs.68.00 なので、Total Rs.1,024.25。
到着が4:30頃で出発が12:30頃だが、1泊分の料金だけしか取られなかった。

ホテルの宿泊費のレシート


<病んだ身体を乗せフライングコーチはムルタンを出発>
荷物を持って、再びオートリキシャでBUS Stand まで行く。Rs.20(約48円)。
既に停まっていたBUSに乗りこむが、乗車するとき、ムルタンに到着した時と同様、ただ一人の外国人である私だけ、警備のPolice か軍人にザックを開けて荷物をチェックされた。

13:30に フライングコーチはラホールに向け、ムルタンを出発した。
朝方より熱が出て来たのか、大型BUS車内の寒すぎるエアコンに震えながら、反対に熱っぽい頭を冷たい窓ガラスに当てて、汚れた車窓越しに広がる埃っぽい街並みや、郊外の灌木がまばらに繁る乾燥した風景が流れ去るのを見ていた。

大分乗って来た様な気がする。
具合は悪くなる一方だ。ひっきりなしに鼻をかみ、喉が痛くて堪らない。
しかし道路標示でLAHORに近付いたのが判り、案外早く、明るいうちに市内に入れそうだと思ったが、その後どこまで行っても着かない。
変わらない景色が続くまま、そのうちだんだんと薄暗くなり、やっぱり予定時間通り5時間は掛かるのだと思い直さざるを得なくなってきた。