<8日目ー1>
2000年 3月16日 木曜日 ラホール 晴れ
<いよいよ国境越え、ラホールを出発する>
今日はいよいよパキスタン・ラホール(LAHOR)からインド・アムリトサル(AMRITSAR)へ向け、「ワガーWAGAH・アターリーATARI」の国境(Border)を越える予定だ。
Room Serviceでトーストとチャイの朝食を食べる。いつもの白髪のボーイが持ってきてくれる。朝食代 Rs.40(約96円)。
このあとcheckoutするので、彼に会うのは最後だろう。昨日から本当にお世話になった。「Thank you for your help last night. Thank you very much. 昨夜はお世話になりました。本当にありがとう。」と言って、僅かだがチップをRs.100渡すと、一瞬びっくりした様だったが喜んでくれた。
TVを観ても、Borderが閉まったという話題は無い。取敢えず行ってみなければ分からない。
この文句、以前にどこかで聞いたような気がする。
そうだ、初めてインドに行った1997年、カルカッタに着いて、翌日の夜ハウラー駅からオリッサ州ベンガル湾沿いの町プリ―への夜行列車に乗る予定だった。
切符を届けてくれた現地のエージェントの男性は、まだ列車が「Waitting」状態だと言ったのだ。切符はあるが、「Waitting」だと言われ当惑してしまった。
しかし、初めてのカルカッタの街を、夜中にバックパックを担いでハウラー駅というところまで行かなけれなならない。どうやって行くんだ?闇夜に手探りする様で、見当がまるでつかない。私は不安に押しつぶされそうだった。
しかも「Waitting」のままでは、駅に着いても列車に乗れないかもしれないのだ。
すると当惑する私に、そのエージェントは当然のことの様に言ったのだ。切符があるのに駅に行っていなければ無駄になって仕舞うと。
そうだ、取敢えず行ってみなければ分からない。
まだ下痢が続いているので、用心のため下着のパンツの尻の下に、トイレットペーパーを折りたたんで入れた。
HOTEL INDUSをcheckout。お世話になった。
宿泊料金はデポジットで支払い済。追加は無かった。receptionで、今度はさすがに「いつ帰って来るんだ」とは聞かれなかった。
<国境へのミニバス>
ホテル前のMall Rd.で、通り掛かったオートリキシャに乗り、LAHORE CITY RAILWAY STATION まで行く。Rs.20(約50円)。
一度も鉄道を利用しなかったので、LAHOREの駅は初めて見る、左右に二本の時計塔が立つ赤い砂岩で出来たムガール・ゴシック風な城郭のような駅舎だ。朝の駅前広場は沸き返るような人混みで、ズラリと並んだオートリキシャや大小のBUSの数に圧倒される。
人を掻き分けながら扇状になった広場を半周して、反対側のMini BUS乗り場に向かう。乗り場といっても行き先別の停車場にきちんと並んでいるわけではない。駅舎に背を向けて、ハイエースのMini Busが何十台も駐車している。行き先を確認できるのは、フロントガラスに書かれた番号だけだ。
ガイドブックによれば、Border行きは「12」番のはずだった。
各ハイエースのフロントガラスを覗き込みながら探すと、目指す「12」番が見つかった。
既に乗っている10人近い男の人に向かって誰ともなく、「Is this Bus go to Wagah Border ?」 と大声で聞く。
すると英語の分るらしい白い顎鬚の年配の男の人が、大きく頷いてくれた。しかし頷くだけで、「Yes.」も「Border」の言葉は無い。
きちんと通じていないのか、又は何かと誤解されての回答かもしれない。不安だったので、ザックを手にして車内に乗りこみながら、何度も他の人に「go to Border ?」と問い掛けたが、皆黙っている。先ほどの白い顎鬚の男の人が、また頷いた。
間違いでは無さそうだ。
ハイエースの中は、後部席が取り払われ、荷台のスペースに「コの字」型にベンチ式の長椅子が着けられている。全員が男の乗客で、ほとんど満席状態で座っていたが、私が車掌にRs.6(約15円)払って乗りこんだので、少しずつ詰めて、左側の椅子の端を空けて座らせてくれた。
車掌らしい男が、通りかかる人に声を掛け、更に何人かが狭い車内に押し込まれたが、その時も皆席を詰め譲り合った。もうこれ以上乗れないだろうというときに、やっとBUSは出発した。
Allamaiqbal Rd.からGrand Trunk Rd.(GTロード)に出て舗装路を飛ばして行く。確か国境までの道のりは、24Kmだとどこかで見た気がする。
このGTロードは、ムガール帝国時代からある道で、デリーからラホール、ペシャワールと通って、カイバル峠を越えてアフガニスタンのカブールに至る道だ。
人だかりのする場所に来ると何人かが降り、また何人かが乗ってくる。御婆さんが乗ってきたときは、後部席の一番ドアに近い席に座ったが、学校帰りのカバンを背負った2人連れの少女が乗ってきたときは、助手席のドアが開けられてそこに乗り込んだ。
<ワガーWAGAHでバスを乗り継ぐ>
60分位走った後、少し大きな繁華街に着くと、全員降り始めた。
私も促されながら降りると、ここはワガーWagahかとミニバスの車掌に聞いた。しかし彼は英語が分らないのか、何やら違う地名のようなことを言う。
国境の町ワガーは、確か1947年8月の印パ分離独立時の「Partition」で、村が国境線を定めたラドクリフ・ライン(Radecliff Line)によって分割され、村の西半分はパキスタンに、東半分はインドになって仕舞った村だと聞いたことがある。
私は「I want to go to the border.」と車掌に繰り返し、訝しげに立っていると、いつのまにか前に古びた中型のBUSが停車して、乗客を降ろし始めた。
降りる乗客から料金を徴収している中型BUSの車掌に、Mini Busの車掌が何やら言うと、中型BUSの車掌は私の方を向いて早く乗れという。どうもこの中型のBUSがborder行きらしい。
LahoreからWagahまでがMini Busで、この田舎の町から国境行きが逆に大きな中型のBUSでは間尺に合わない様に思う。
私が半信半疑で中型のBUSに乗りこむと、既に何人かの男の乗客がいたが、室内はガランとしている。車体の前から半分位のところに鉄製の間仕切りがあり、その中央上部には金網が張られた小さな窓がある。まるで囚人の護送車の様だ。
でも、いままでの人の乗り降りの様子を見ていたら、もしかしたらここから前は女性専用スペースなのではと思った。
料金を徴収に来た車掌にRs.3(約8円)を渡しながら、本当にこのBUSはBorderに行くのか聞くと、頷いた。
途中女性がBUSに乗ろうとしたので窓越しに見ていると、全員が前の扉から入っていく。やっぱり鉄の間仕切りの前は女性専用スペースなのだと、自分の他愛もない洞察にやけに得心してしまった。
Lahore市内と打って変わった、乾燥した田園風景の中をバスは走って行く。
ここで(?!)と思うような、周囲に人家のなさそうなところでBUSが停まると、人が降りていく。前の扉からも、いつ乗ったのかと思うような、周囲の褐色ばかりの世界とはミスマッチな、鮮やかな色彩のシャルワール・カミーズを着た少女が何人も降りて行く。
でもさすがに乗ってくる人はなく、やはりBorder行きなんだと納得した。