歳をとっても旅が好き

海外ひとり旅の記録?いや記憶かな

インド・パキスタンひとり旅(2000年) <29> 10日目 アムリトサルから夜行列車でデリーへ

<10日目
2000年 3月18日 土曜日 アムリトサル 晴れ
アムリトサル入って3日目。昨日はスイック教の総本山「ゴールデン・テンプル」を訪れた。

<日がな一日、ぼぉっとしている>
いつもの年老いたボーイが、頼んだ朝食を持ってきてくれる前、いつも朝食を食べているテーブルを見ていると、何処からかテーブルの脚を伝って蟻が行列を作って天板の上に昇ってくるのに気付いた。
床を見ても蟻の行列はどこにもいない。
よく見ると、蟻は木のテーブルの隙間から湧き出すように出てきている。えっ?テーブルの中に住んでる?!

今更だが、これから食事をするのに気色が良くないと思って、日本から持ってきた長さ10cmくらいの小さなスプレー式のアルコール消毒液を取り出して、一発シュッと吹き付ける。
すると、慌てた蟻が右往左往して、元来た隙間に逃げ込んだ。

その時ボーイが、ドアを開けて朝食を持って入って来た。
トーストやオムレツ、チャイの朝食をテーブルに置くと、何やらクンクンと臭いを嗅いでいる。
私は知らんぷりして横を向いていたら、盛んに首を振りながら出て行った。
消毒液を出して見せてやれば良かったかなとも思ったが、何やらおっくうに思えたのだ。でも、私がハシシでもやっていたと思われてはたまらないが。
朝食は、Tea(Rs.15)、Toast(Rs.8)、Butter(Rs.6)、Omelet(Rs.25)、ミネラルウォーター(Rs.18)。合計Rs.72(約252円)

ホテルの部屋

Receptionで、今晩の列車の出発が16:10なので、「Can I extend the checkout time until 16:10?」16:10までチェックアウトの時間を延長できるか聞くと、OKと。
途中で市内のISDで、明後日帰国の予定だと国際電話を掛けに行った以外、ホテルに閉じこもって居た。

夕方、HOTEL GRANDをcheckout。
支払いは、宿泊代 Rs.869。(Rs.395/泊×2泊=Rs.790、税金10%で、Rs.869)と食事代(room service)Rs.616.80(3/16がRs.285.60、3/17がRs.244.80、3/18がRs.86.40)。合計でRs.1,485.8(約5,200円)。ルピーの現金で支払いする。

ホテル グランドの領収書



<アムリトサルから鉄道でデリー(DELHI)へ移動>
アムリトサル・ジャンクションAmritsar Junction駅のプラットフォーム4番から、16:10発の列車「8238 Amritsar Bilaspur Chattis-garh Exp.」(2nd. class A/C Sleeper)に乗る。CoachはA1、seat4(UB)。
手配は日本でしたが、チケットには料金Rs.865(約3,027円)と記載されていた。

デリ―までの列車の切符


インドで長距離列車に乗るのは、何回目だろう。
1997年にカルカッタのハウラー駅からプリ―に向かった夜行寝台が最初だったが、あの時は乗り方が分からず、緊張で胸が張り裂けそうだったが、いまはだいぶ慣れた。チャートを見て、自分の乗るコーチを探すことが出来た。

パンジャブ平原は乾季だが、走り始めた車窓から眺めた土地は緑が豊かだった。いまはインドとパキスタンに分割されてしまったが、インダス川(Indus River)に合流する5本の川が作り出した肥沃な土地という意味の「パンジャブ」(Punjab)そのものの様に思えた。
ラホールに降り立ったのが10日。その後ムルタンへ移動してまたラホールへ戻り、そして徒歩でパキスタンとインドの国境を越えてアムリトサルまで来た。いずれもパンジャブの地での旅だった。
それももうおしまいだ。夜が明けたら、明日はこの旅の最終地ニューデリーだ。

アムリトサルからニューデリーへの道

同じコンパートメントに乗り合わせたのは、私と中年の男性二人きりだった。
私は日本から来た旅行者でインド国内を旅行中だと話すと、自分はARMYだと。彼はラジャスタン(Rajasthan)州のジャイプール(Jaipur)に住んでいるらしい。
ラジャスタン州はパンジャブ州のすぐ南で、インドでもっとも大きな州だが、パキスタンとの国境にタール砂漠(The Desert)がある乾燥地帯で、ジャイプールはその州都だ。

彼は、INDIAは貧しいと言う。私はインドの人が、自分の国が貧しいと言うのを初めて聞いた。
私は自分の英語が「not good」なので、今回を入れて過去3度のインドの旅で、インドの人と膝附合わせて話す様な機会は多くなかった。エージェントに自宅に招かれた時や、休暇中の鉄道の車掌さんや、一番多いのは寝台列車で同席したり、同じコンパートメントになった時で、何も話さないことには間が持てない時などだ。
その時でも、インド社会の独自性や、長い歴史や美しい自然を誇りにしていたし、独特な文化も、それによってもたらされる混沌とした様な社会も、誇りにこそすれ、決して卑下する様子はなかった。それに、他国とGNPの差や貧富を比較した話は聞いたことが無かった。
でも彼は、INDIAは貧しいと言う。

多分、軍人はその職業上の性(さが)で、常に経済など他国と数字で比較せざるを得ないせいかもしれない。あるいは、個人的な実体験が言わせた言葉だったかもしれないが。
私はお世辞ではなく、インドは必ずもっと発展する、中国の次はインドの時代だと言ったが、返事は無かった。
私の英語がたどたどしいので、会話は次第に少なくなって、そのうちお互いベッドに入って寝てしまった。

列車「8238 Amritsar Bilaspur Chattis-garh Exp.」(2nd. class A/C Sleeper)