<8日目ー2>
2000年 3月16日 木曜日 アターリー、アムリトサル 晴れ
パキスタンのラホール(LAHOR)からインドへ、徒歩で「ワガーWAGAH・アターリーATARI」の国境(Border)を越えている。
<インドのイミグレーションで>
パキスタン側のイミグレーションを通り、インド側に抜けて来た。
道路の左側にはインド側のImmigration officeが入ったコンクリート製の建物がある。
横手に回って入り口を入ると、大きなロビーになっているが人影がない。昼間なので照明もない。薄暗くガランとした室内の左手にカウンターがあり、1組の男女が係官と話していた。
私は近寄って、別の係官に「Is this the Immigration counter? 」と、ここがイミグレのカウンターかと聞くと、そうだという。
見ると、もう一人の係官が坐って書類をみていたが、こちらに目も向けない。パキスタンでもインドでも、相手がこちらへ対応をしようとしてこない限り、こちらが手続きを依頼しても、待てと言われるだけなので、前の組を待つことにした。
CounterにおいてあるDisembarkation Cardを取り、書きながら前の男女を見た。
男性は白人で金髪、年齢は30歳くらい、Tシャツに半ズボン、サンダルを履いている。小太りだが、ハンサムで優しそうな顔をしている。女性は小柄で男性の胸位までしかない。屈み込んで書類を書いているので顔は見えなかったが東洋人で、黒い髪で埃に汚れた黒いヤッケを着ている。
男性との服装の違いに驚いたが、側には二人のものと思われる、汚れた大きなザックと小さなサブザックが2個づつ置かれていた。
私がcounterの横に並んだ時、左にいた女性が顔を上げた。おかっぱ頭で、目も口も小さな日本人の様な女性だった。
このWagahーAtari Borderは、インド側からもパキスタン側からでも到着するのに日数の掛かる遠隔地だ。こんなところに、あんな大きな荷物を背負ってと思うと、意外さに言葉が出なかった。
彼女も私に気付いたようで、お互いに「こんにちは」と言った。
こんな異郷の地で日本人にあっても、こんな言葉しか出ない。彼女はずっとこの白人男性と旅行をしてきたのだろうか。
私の番になって係官の方に向くと、彼女の審査が終わってpassportがカウンターの上に置かれた。
私の審査はいま書いたばかりのDisembarkation Card とPassportを何度も捲りながら、今回のマルチプルのVISAでインドには2度目の入国である事、過去に2回インドを訪れている事などが確認されたのだろう。特に何も聞かれることなく、頷いてPassportを返してくれた。
そこには「Atari」のスタンプが押してあった。「Atari」はインド側の国境の街だ。
同じ建物の中にCustomがある。歩いて行くと空港のSecurityのようなX-rayの装置や、ザックの荷物を全部広げさせられるくらいの低くて大きいcounterがある。
何しろ、現在この国境を越えようとしているのは、前の男女と私だけなのだから、いくらでも時間をかけ荷物を広げさせて検査できるわけだ。
彼女など自分の身の丈ほどあるザックをカウンターの上に置いて、Disembarkation Card を係官に手渡した。
私も二人の様子を見ていた。きっと隅から隅まで開けさせられて、その挙句手持ちのインドルピーを取り上げられてしまうのだろうと思った。
しかし係官は、面倒くさそうにcardをcheckすると、パキスタンの係官のように「Japanese、No check」とは言わなかったが、ザックを開け様ともせず、スタンプを押してしまった。
二人も意外そうにしていたが、私もこの時を逃してはと思い、慌ててCardを出し、ザックをCounterに乗せた。
すると今度もCardを見たきり、ザックを開けろとも言わずスタンプを押すと、Cardの下側の半券を切って遣した。私はその半券を胸のポケットに押し込むと、すぐにその場を離れた。
<トルコから来たふたり>
暗い室内を巡ってきたので、外に出ると目がくらんだ。
丁度昼過ぎで、陽は高く、気温も高かった。建物を周り道路に出ると、二人が外の日陰のベンチにザックを置いていた。
広い道路は周囲に花が植えられて、丈の高い木は先端に鮮やかな紅い花をつけていた。吹く風が葉を揺らしている。私達は緊張から開放された、安堵の気持ちで一杯だった。
「Every check is finished?」と白人の男性に尋ねた。「Yes!」彼もほっとした様子だった。パキスタン側は問題ないが、インド側のCustomは最悪で、持ちこみ禁止のインドルピーは発見され次第全額没収と言われていたからだ。
私も彼らの横にサブザックを置くと、女性が「荷物、これだけなんですか?!」と驚いたように聞く。
「ええ」と言って改めて彼らの荷物を見るが、シュラフを始め山のような大きさのザックだ。
ザックを直しながら両替レートの話になって、私がパキスタンで$1をRs.54で両替したと言うとビックリしていた。
ムルタンの一見廃墟の様なビルの狭い部屋で、両替商の大勢の仲間の見守る中で両替した時のレートは、案外良いレートだったんだと、改めて思い返された。
「何処から来たんですか?」と聞くと、女性がトルコのイスタンブールからだと言う。イラン経由かと聞くと、そうだと言う。出発は二月とのことで、1ヶ月余りでインド国境まで来たわけだ。
「随分早いですネ」というと、各場所に余り滞在していないからという。
「何処まで行くんですか?」と今度は聞かれた。
ここからAmritsarまで行き、その後はDelhiに出て、帰国しなきゃと言った。勤め人だからね。
私たちもAmritsarに行ってGolden Templeを見たら、Delhiに出て、其処からネパールNEPALに行くと言って、白人の男性を振り返った。
小さな声で驚くほど静かな話し方だった。旅に出ているといった興奮や、トルコから此処まで来たという自負がまるでないような話振りで、何で旅行に出たのと聞きたかった。しかし、この小さな身体と、アジア大陸を横断したいと望むような強い意志を持つ彼女が、日本での環境と合わなくなってしまったのではないかと勝手な想像をして、聞けなかった。
アジア横断の行程で、イラン、パキスタンを若い女性が一人で旅行するのは難しく、トルコにいる間に男性の旅のパートナーを捜すのが一般的だと聞いたことがある。
私がほんの短い間パキスタンを旅行している最中でも、女性が単独でいることが異様に見える社会なのを実感したので、昨年南インドで出会った様な、女性だけなら二人連れが必須だろう。
彼女が初めからあの白人の男性とパートナーでこの旅を始めたのか、あるいは一人で出発して、途中で彼を男性の旅のパートナーとしたのかは分からない。
私もAmritsar で1泊した後、Delhiに行くのだが、旅行日程の関係で、18日16:10 departureのRailway ticket がある。
Amritsarまで彼女達と一緒に行くことも考えたが、多分彼らとの日程がシンクロしないだろうし、あの二人とどの様に付き合っていったら良いか解らなかった。
女性がトイレに行ったので、暫く待っていたが、彼に出発すると言ってザックを背負った。
彼が「good bye!」と言って手を上げた。私も振り返って手を上げて、もう一度今にも彼女が出てくるかもしれない建物の方を見た。
強い日差しの中、建物の前にはビーチパラソルのような大きな日傘が広げられ、私服の男たちが数人佇んでいた。何かのcheck pointなのかも知れなかった。
私は、背中のザックを揺すり上げて、日差しの強い道路に出ていった。