<8日目ー2>
2000年 3月16日 木曜日 インド・パキスタン国境 晴れ
パキスタンのラホール(LAHOR)からインドへ向け、「ワガーWAGAH・アターリーATARI」国境(Border)に向かっている。
<国境に到着?>
ワガーWAGAHから乗った、旧式の中型バスが突然止まった。
私が降りて行く人を眺めていると、車掌が来て降りろと手真似をする。BUSを降りると右手に少し大きめな建物があり、車掌にここは何処かと聞くと、「border」だという。
TDCPでも、国境の閉鎖時間になると両国が国旗を降ろし、衛兵が交代するセレモニー(「国境閉鎖式」フラッグセレモニー)を見るツアーがある位なので、国境はもっと広い、多くの衛兵やPoliceが警備している場所だろうと、漠然と思っていた。
しかも此処はインドとの対立の最前線で、昨日のTVでも見た通り、時局柄兵隊が沢山配備されているものだと思っていた。
しかしここには、見る限り右手の建物を除けば、警備の兵隊の姿もない。
考えてみればborderが閉じるかもしれない様な緊張があるとすれば、BUSが此処まで来る間にも検問など何かしらの兆候があるはずだが、何もなかった。borderが閉じるのではないかとの心配は、どうやら杞憂で終わりそうだ。
右手の建物に向かって行こうとすると、いつの間にか男が寄ってきて、PakistanルピーをIndianルピーに両替しようという。
ガイドブックなどでの情報では、インド側のCustomではIndianルピーは発見され次第全額没収とのことだったので、持っていたIndian Rs札は小分けにして持ってきていた。しかし、同時にPakistanルピー札も残ってしまったので、これを両替して、発見された時に没収されてもよい「見せ金」にしようと思って両替に応じた。
しかし緊張していたのか、いくらで両替したのかどうしても思い出せない。
<パキスタンのイミグレーション>
これがインドとパキスタンで唯一開かれている陸路の国境検問所(Border Check Point)かと緊張しながらも、何か家の裏口から入る様な違和感を覚えながら敷地内に入って行った。
青い壁の最初の建物に「Immigration」の表示があり、階段を上がって中に入ると、机と一脚の椅子があるが、誰もいない。
道路から建物を隔てる広い庭に面した廊下に出ると、椅子に坐って雑談に興ずるカーキ色の制服を着た3人の男性がいたので、「Excuse me.」と呼ぶと、何だと言う様に振り向き、一人が立ち上がってこちらにゆっくり歩いてきた。
彼は制服の上に青色のセーターを着て、胸にバッジをつけた背の高い50年配の係官で、椅子に坐ると何処から来た、パスポートは?などと問いかけて来た。
日本人だと分かると、「パキスタンでは何処に行った?」「Lahore and Multan.」。「パキスタンはどうだった?」「Badshahi Mosque、Lahore Fort、and other mosques are also great and beautiful.」
係官の対応はfriendlyだったが、何かインドに比べてパキスタンは友好的だと印象付けようとする様な様子が見える気もする。
しかし意図的であっても、南アジアでの官憲の強圧的な姿を見ているので、friendlyな対応は気持ち良い。あるいは空港のImmigrationと違って、めったに来ない外国人(?)なので興味本位なのかも知れない。
係官の対応が変わらない様に、パキスタンでは「Everyone is kind.」だったと付け加えた。
大きな台帳に記載を終わると、passportに「wagah border 」のスタンプを押して呉れた。
次はCustoms だ。同じ建物の次の部屋だが、サブザックの荷物を持って移動する時、あんまりのんびりした国境の様子なので、思わず係官に「Can I take a picture here?」と尋ねた。
まさか了解してくれるとは思わなかったが、「sure.」といった。ついでとは思ったので、「Could you take picture for me?」と聞くと、OKといって「CUSTOM」と書かれた青い建物を背景に、私をカメラに収めてくれた。
Customでも、JapaneseはBaggageもNo Checkだといって何も調べなかった。
<国境の長い道路を過ぎると、そこはインドだった>
パキスタンのCustoms を出ると、また中央分離帯のある20m程の道幅の道路に出た。
PakistanのImmigrationの建物は、PAKISTANからINDIAにまっすぐ続くGTロードの迂回路に建っている様だ。
昼前なので陽は高く、道路は閑散としている。その途中の所々に、何処の誰か分らない人達が数人づつ固まって立っている。インドやパキスタンでは服装や挙動、いる場所だけでは、誰が担当者か官憲なのか判らない。分るのは制服を着ている兵隊だけだ。
暫く行くと互い違いに交差した車止めのバリケードがあり、パキスタンの兵隊がいる。その先に、パキスタンとインドの国境の標識があった。
これが1947年8月、印パが分離して独立した時の国境線、「ラドクリフ・ライン(Radcliffe Line)」だ。
国境の標識を越えインド側に向かって歩いて行くと、道路の工事をしているリヤカーを引いた2人連れに声を掛けられた。
「Where are you from?」「I’m from Japan.」にっこり笑って言うと、お前の荷物をリヤカーに載せろと言う。私は10Kgにも満たないサブザック1個を背負っているだけだから、「No, thanks」と明るく言って暫く並んで歩いていくと、右側に立っているカーキ色の制服を着たインド陸軍の兵士が、私を指して左側へ行けという。並んで歩いていた人が良いだろうと言うと、兵士は余計高飛車にあっち側へ行けという。
私は、2人連れに手を振って「Thank you ,bye-bye !」と別れを告げ、反対側に移った。