歳をとっても旅が好き

海外ひとり旅の記録?いや記憶かな

インド・パキスタンひとり旅(2000年) <21> まだまだ6日目 羊の市場と緑のくすり

<6日目ー3
2000年 3月14日 火曜日 ラホール
ムルタンで風邪をひき、発熱したままラホールへ戻るバスに乗った。

<ムルタンからの帰路・羊の市場>
ムルタンから乗って来た、フライングコーチのバスが停まった。
暗くなった景色を見渡すと、どうも一昨日MULTANに向かって行くときに、市内を出発したミニバスから大型バスに乗り換えたLAHORE郊外の羊の市場の様だ。そこで全員降ろされた。

時計を見ると、既に20:30で周囲は真っ暗になっていた。13:30発だったので、既に7時間経っている。
昼間と違って羊の鳴き声はたまにするだけで、白いシャルワール・カミーズ姿の男たちが行き交ったり、外に出した、マットレス部分が網になった寝台チャルポイ(Charpai)に座って話す声だけが聞こえてくる。

ここでまたミニバスに乗り換えるのかと待って居るが、広場には何台かのBUSが停まっているが、我々を乗せるバスではない様だ。
既に乗って来たフライングコーチは走り去って、一緒に降りた人達はちりぢりに去ってしまい、私独りが残された格好になった。
乗り換える筈の、市内へ行くTDCP のミニバスはどこだと周囲の人に尋ねても、誰も知らない様で答えはない。どうも市内中心部への乗り継ぎのミニバスは無い様だと判り始めた。

周りの人に「Where is here?」と聞くと、「LAHORE」だという。
そうだろう、来る途中で見た標識にもそう書いてあった。それで、思ったより早く着くようだと誤解して、糠喜びしたんだ。でも、LAHOREのどこなんだ?!
暗い広場で途方に暮れたが、なんとか気を取り直して、近くの人に「I want to go to city center」文字通り市内の中心へ行きたいんだというと、親切にも近くに居たオートリキシャを呼んでくれた。

乗り込んで「Charing Cross」と言うと分かった様で、道路の凹凸に車体をバウンドさせながら甲高いエンジン音を響かせて走り出した。

真っ暗闇の中をしばらく走ると、見慣れたMall Rd.モールロードに入ってきた。急に沢山の車の音と、様々な生活の音が響き渡った様な喧噪が襲ってきた。
ワーラーの肩越しに「HOTEL INDUS」と言うと、頷いて通り沿いの見慣れたホテルの前に停まってくれた。
オートリキシャを降りるとき、料金交渉をしていないまま乗ってきたのに気付いた。しかし料金はRs.61(約147円)だった。良かった。

<緑のくすり>
HOTEL INDUSに入って、薄暗くなったロビーのレセプションでcheck inする。
2日前に出たばかりで、顔覚えのあるレセプションの男性も、どうしたんだと怪訝そうな顔をしている。
幸い部屋は空いていた。
1泊 Rs.800×2泊=Rs.1,600(約3,840円)。デポジットを、ルピーの現金で支払う。

直ぐにReceptionのスタッフに、「Excuse me. Could you buy some cold medicine for me. Please.」と風邪薬を買ってきて呉れないかと頼む。
「maybe I get a cold.」。そのあとは「Fever、Headache、Sore throat」と、知っているだけ症状の単語を並べて訴えた。しかしいくら並べても、今の悪い症状を伝えられていない気がする。

おおよその薬の代金を渡すと、荷物のザックを持ったままロビーの椅子に崩れるように座って待っている。
暫くして、いつも部屋に朝食を運んでくれていた小柄な老人のボーイが、薬の入った袋を持って帰って来た。

ボーイが素早く箱から取り出したのは、7~8cmほどの高さの小瓶で、中は緑色の液体。私が瓶に貼られた小さな表記を眺めていると、買ってきてくれた老人がぐっと飲む真似をして、早く飲めという。Receptionのスタッフもみんなが見ている。

一瞬、脳裏に海外で頻繁に起きていると言われる「睡眠薬強盗」、眠らされて気が付いたら身包み剥がされていたらなどの心配が過ぎる。
しかし身体が余りにも苦しいのと、壜の表記には小さな字で「Cough」(咳)、「Cold」(風邪)などが書いてあった様な気がしたので、思い切ってキャップを開けると、ぐっと飲んだ。
どろっとして甘い味がした。

「Thank you very much.」言いながら、お釣りと、念のために貰った薬の入っていたパッケージをポケットに入れて、エレベーターに乗る。
部屋の「208号室」に入ると、そのままベッドに倒れこんで仕舞った。

緑の薬の入っていたパッケージ