歳をとっても旅が好き

海外ひとり旅の記録?いや記憶かな

インドひとり旅(1997年) <6> まだまだ2日目 慌ただしくカルカッタを出発

<2日目ー3
1997年11月13日 木曜日 カルカッタ 晴れ一時雨
初日のLYTTON HOTELで同宿となったMさんと一緒に、カルカッタの街を歩いてきた。

<Mさんとの別れ>
歩き廻って、大分疲れてきた。そろそろ今晩の行く先を決めなければならない。
私はもう一度Lytton Hotelに行ってみることにした。
宛ては無いが、そこで電話を借りて再度エージェントと連絡を取り、列車に乗れるのか確認してみよう。駄目ならLyttonでもう一泊も考えた。
Mさんもサダルストリートに戻り、付近のゲストハウスを探すと。
そこで二人で再度地下鉄に乗り、SW.Park.st まで戻った。Rs.2(約7円)。

とりあえずエージェントに電話をしてみよう。
Lytton Hotelに戻ると、レセプションの人が私を見付けて、先程エージェントの人が来て、後程来るのでここで待つようにとの伝言だったと言う。
驚いた。私が何故このホテルに戻ってくると思ったのだろう。
昨晩、「waiting」のままのプリー(PURI)への鉄道チケットは、「乗れるかどうかは駅に行けば分かる」と言って帰ったエージェントも、それを聞いていた私の顔がよほど悲壮で、寝覚めが悪かったのかもしれない。
しかし、私にとっては闇夜に灯った一筋の光明だ。もし私が一旦Lytton Hotelに戻ってみようと思わなければ、この伝言を聞くことはなかった。天啓の様に感じた。

しかしMさんとはここでお別れだ。
早い出会いと分かれだが、彼はゲストハウスのParagon Hotelに行ってみると。一杯だったらMariaも見てみると。どれも有名な安宿だ。
私は、もし列車に乗れなかったらLyttonでもう一泊と考えていたが、彼は、今後はゲストハウスに泊まると決めていた様だった。
彼を年齢や服装などから、この先大丈夫かなぁなどと勝手に心配していたが、私などより余ほど覚悟が出来ていた。私は自分が恥ずかしかった。
切なかったが、日本の住所を交換して、握手して別れた。

しばらくロビーで待つがエージェントが来ないので、レセプションの人に「Could you tell me when the Tour agent comes.」と託して、レストランに向かった。
今後いつ食べられるか判らないので、タンドリーチキンを注文する。やっぱりインドに来たからには、本場のものを食べてみたい。
「Full or Half?」と聞かれたので、流石にハーフにする。でも、一人客でも「FILL」と聞いてくるって、インドの人はそんなに食べるのかなァ。
美味しいが骨が多く、これが本場のタンドリーチキンかと妙な気持ちだ。他にエッグカレーとチャイ。全部でRs.216(約756円)だった。

リットンホテルのダイニングで、タンドリーチキンを食べる

リットンホテルのロビーでAgentを待つ

PM:8:00頃、現地ツアーエージェントの男性が2名来る。
まだチケットは「waiting」のままだが、大丈夫だと。何やら仕事帰りに、これだけを言いに来たらしい。
しかし私の方から、Feeは払うので、ついでに駅迄連れていって、私を列車に乗せてくれと依頼する。しどろもどろの英語で、「I`ll pay the Fee, so please take me to the station.」と言った。
彼等も了解し、一緒にTaxiに乗ってHowrah駅に向かうことになった。

<ハウラー駅からカルカッタ(CALCUTTA)を出発>
プリー(PURI)行きの列車の出るカルカッタの鉄道駅(Howrah station)は、フーグリー河(Hooghly River)を挟んだ対岸にあるハウラー駅だ。
河を渡るハウラー橋(Howrah Bridge)は、夜にも関わらず大混雑だった。
車、貨物を満載したトラック、荷車、オートリキシャ、人の波。足の踏み場も無い。見上げると、暗く濃い空に巨大な鉄の橋梁のトラスが圧し掛かってくるように黒く聳えている。

ハウラー駅にはフーグリ河を渡らなければならない

ハウラー駅では、広く薄暗い構内の其処かしこに、沢山の人が床の上や階段に延々とうずくまる様に座っている。しかし暗いので、何処に人がいるのかも良く分からない程だ。
その中を先に立って進んで行くエージェント達に遅れまいと、その背中を追って、改札を通り暗いホームに出る。
私の乗る「8007 Howrah-Puri Express.」は既に入線している様だ。

プラットフォームの手前に掲示板があり、そこにチャートが貼り出されている。
エージェントはこれを見ろという。指す指を追っていくと、英語で書かれた私の名前がある。此処に名前があれば乗車OKということらしい。

次いで停まっている列車の車両(コーチ)に沿って歩く。客車には窓に格子が嵌っているが、そのコーチを過ぎると、今度はシェードの掛かった窓ガラスになる。
私は「A.C.2tier―Sleeper」(エアコン付2等寝台)で、そのシェードの掛かった窓ガラスのコーチらしい。
コーチの乗降口の横に、またチャートが貼ってある。これを上から順番に見て行く。
するとその中に私の名前と、座席番号が記載されていた。
エージェントと一緒に乗り込んで、目指す座席を見つけ、ようやく安堵して座り込んだ。
私は彼らに約束のFeeとTaxi代を支払った。Agentのcommissionは、Rs.100×2=Rs.200(約700円)。それに Taxi代  Rs.30(約105円)。

エージェントは、後からTTE(車掌のことらしい)が来るから、Rs.20(約70円)払って「Full Berth」(?)にしろと言って降りて行った。何のことか判らなかった。
茶色のシェードの掛かった窓から外を見ると、車両の入線していない隣の線路では、二頭の白と黒の斑の山羊が、線路上に落ちている紙(?)を食べている。

TTEが切符をチェックしに来たので、その場でRs 20(約70円)を支払い、Receiptをもらう。
私の英語力が無いせいで、車掌の言う意味が良く分からなかったが、私の寝台(Berth)を自分一人で占有するための料金らしい。と言うことは、「Full Berth」にしなかったら、見知らぬ他人と一つの寝台をシェアすると言うことか?

Rs.20(約70円)払って「Full Berth」(?)にしたが、何のことなのか不明

後から向かいのベッドに、二人の女の子を連れた家族が乗って来た。
夫婦と子供が向かいのベッドの上下、そして私が予約していたベッドの上段のベッドの様だ。
しかし子供が上段のベッドに登れないので、私は予約していたLower BerthからUpper Berthに代わってあげる。

22:00発車予定の「8007 Howrah-Puri Express.」は、22:40、いきなり大きく軋んでから発車した。出発だ。
暫く走ると、疲れがどっと出て来た。
横になろうとUpper Berthに上がろうとするが、上に登るのに梯子段が無い。
仕方ないので、脱いだ靴をビニール袋に入れて、たったひとつの荷物であるサブザックと一緒に上段のベッドに放り上げる。後は寝台の枠を掴んで腕力でよじ登る。

インドの鉄道は広軌(1,676mm)なので、ベッドは幅広で縦も長い。サブザックを枕代わりに、出しておいた厚手のジャンパーを掛けて寝る。でも寒いなぁ。
すると後から、となりの家族のご主人が、お礼にと借りてきたブランケットを渡してくれた。
エアコンの音がする。長い一日が終わった。