歳をとっても旅が好き

海外ひとり旅の記録?いや記憶かな

トルコからギリシア、イタリアへひとり旅(2018年) <53> 29日目 お金が乏しくなってきた。カブール通りでATMを探す。

<29日目ー1>

2018年 6月11日 月曜日 ローマ 晴れ 暑い。28度。

 

<現金を下ろさなきゃ>

朝目が覚めて、ホテルのベッドで暫らく部屋の天井を見上げていた。
見ると、天井が平らではなく、真ん中が少し凹んで緩く湾曲した形になっている。まるでテントの中の様だ。いかにも旅の宿と言う様な感じだなぁ。
いや待てよ、これに格子状のリヴ・ヴォールトが付いてたら、大聖堂などにある所謂ゴシック建築のヴォールト天井みたいじゃないか?
まさかぁ(笑)。
毎日此処で寝ているのに、気付かないもんだんぁと妙な感慨が湧く。

旅行に出てから今日で何日目だろう。随分経っているようにも思えるが・・・。知覚や感覚、記憶力までがだんだん曖昧になっていく。疲労が溜まって来たのか、旅に出ているという緊張感が希薄になってきているのか分からない。

でも、気付いた!現金を下ろさきゃ。

ホテルの部屋の天井

 

ホテルを出て、またあのランドリーに行く。今度は昨日着たグレーのポロシャツも持って行く。今日は5€(約680円)だった。

マルサーラ通り(VIA MARSALA)まで戻って、昨日と同じ通り沿いのカフェ「CAFFE BINARIO ZERO」に入って、コルネットとカプチーノを頼む。4€(約540円)。
手持ちの現金が15€と小銭の硬貨しか無い。


現金を下ろさなきゃと思い、テルミニ駅の構内でATMのある場所を探すが、分からない。
仕方ない。先にバチカンのサン・ピエトロ寺院に行こうと、テルミニの地下からメトロに乗る。
電車が走り出してからふと気付いた!
バチカンにはメトロA線に乗らなければ行けないのに、いつもの癖でメトロB線に乗ってしまったー。うっかりしている。

仕方ないテルミニ駅に戻ろうと、次のカブール駅で降りる。
降りてみて、そうだ此処にATMはないかなぁ?!と思い立った。
Google Mapで検索してみると、幸い近くのカブール通り沿いにあった。

銀行や店舗の前ではない道端のATMだが、行って操作する。
最初にカードを入れるが、すぐ出て来てしまう。もう一度やる。また出てくる。あれッ、これは「VISA」には対応しないATMなのかなぁとカードを取り出すと、後ろで老夫婦が待っているのに気付いた。

ATMにはブランドによって使えない機械があるとは聞いていた。VISAが使えるATMなら「VISA」か「Plus」のマーク、MasterCardやJCBなら「Cirrus」のマークが付いたATMという具合だ。
ATMを後ろの老人に譲るが、彼らもカードを入れると出て来てしまったらしく、私の顔を見て「何でだろ?」という様な表情をみせた。


仕方ない、またGoogle Map でちょっと遠い範囲までを検索すると、別のATMを見付けた。
今度はテルミニ駅方向に戻る様に坂を上っていくと、あった。
今度のATMでは無事キャッシングが出来た。
「ご利用日時:2018/6/11 17:38
ご利用金額(現地):302.950EUR
ご利用金額:41,267円
ご利用店舗:Via Cavour 168
ご利用後残高:28,930円」

出て来た伝票では17:38。これは日本時間。イタリアと日本との時差はー8時間なので、今は9:38だ。

実はイタリアではいつもATM捜しに苦労する。一度に沢山下ろしたら、せっかくカードを用意した意味がないので、少額ずつ、都度ATMで下ろすことにしたのだが、その肝心のATMを探すのが一苦労なのだ。だからATM捜しに苦労した時ほど、一度に沢山下ろすことになって仕舞う。人の性(さが)だなぁ(笑)。

でもまたカブール通り(Via Cavour)に来て仕舞った(笑)。
ホテルのあるテルミニ駅に近いから?
最初にローマに着いた一昨日、宿のレセプションの美女に「ミケランジェロがあるわよ!」と言われて結局コロッセオまで歩いて以来だ。
昨日も市内を散々歩き廻った挙句、トレヴィの泉から40分も掛けてカブール駅まで来て、そこからテルミニに戻った。
後で調べたら、トレヴィの泉からならメトロA線のバルベリーニ駅(Barberini)まで僅か10分で行けたのに。
ローマに来て最初に歩いた路なので、帰巣本能でも刷り込まれたのかなぁ(笑)。

でもなんで此処は「カブール通り」と言う名前なんだろう。最初の日にそう思った。
実は、最初はアフガニスタンの「カブール」(Kabul)のことかと思っていた。
でも何故イタリアのローマに、アフガニスタンのカブールの名前が付いてる?

昔行ったパキスタンの西パンジャーブ州にあるラホール(Lahore)には、そこからペシャワール(Peshawar)を経由し、ハイバル峠を越えてアフガニスタンのカブールに到る「グランド・トランク・ロード(Grand torunk Road)」(通称は「GTロード」)という名前の道が通っていた。

実はその道は古代は「ウッタラパサ」と呼ばれ、2000年以上前からインド亜大陸の東と西を結ぶ主要交通路の一部だったようだ。
本来の道はバングラディシュのチッタゴン(Chattogram)からインド西ベンガル州のハウラー(hawrah)経由で、デリー(Delhi)からアムリトサル(Amritsar)を通ってパキスタンのワガー、ラホール、更にアフガニスタンのカブールに続いていた。
1700年代のイギリスの植民地時代、この道のハウラーからペシャワール間を「グランド・トランク・ロード(Grand torunk Road)」として整備したらしい。

因みに「ハウラー(Howrah)」とは、フーグリ河(Hoogly River)を挟んでカルカッタ(Calcutta)の対岸の街だ。首都デリーとカルカッタを結ぶ鉄道の駅は、このハウラーから出ている。私も昔のインド旅行では、巨大なハウラー橋を渡って何度もハウラー駅に向かった。

またこの中の「デリーからワガー」までの道は、いまインドの国道1号線になっているらしい。
ワガー(Wagha)とは、「グランド トランク ロード(Grand torunk Road)」で、インドのデリーからパキスタンのラホール間の国境の街で、ワガー(Wagha)はパキスタン側、アターリー(Atari )がインド側の街だ。
私も昔ラホールからデリーまで行くときは、この道を通った。
尤も途中のアムリトサルからデリーまでは鉄道だったけど。

もしかしてこの道が、シルクロードの様に、最終的にはローマまで続いているので、途中の交通の要衝であるカブールの名前が、このローマに残っているのかもしれないなどと漠然と思ったりしていた。


しかし、やっぱりと言うべきか、違っていた。
このカブールは、人の名前、カミッロ・カブールにちなんで付けられていた。
Camillo Paolo Filippo Giulio Benso, Cente di Cavour いわゆるカブール男爵の名前だ。
彼は19世紀に始まったイタリア統一運動(リソルジメント Risorgmento)の中で、当時イタリア半島の北西部ピエモンテとサルディーニャ島を支配していたサルディーニャ王国の首相として、オーストリア・ハプスブルグク君主国に対しイタリア統一戦争を指揮。1861年サルディーニャ王国を母体とするイタリア王国建国へと導き、イタリア王国の初代首相になった人だ。
同じくリソルジメントで活躍したガリバルディ(Giuseppe Garibaldi)やマッツィーニ(Giuseppe  Mazzini)と共に、「イタリア統一の三傑」のひとりで、この道Via Cavourは彼の名を冠した道だったのだ。


<ホテルの部屋のエアコンを調節>
一旦、ホテルに戻って来た。

レセプションには中年の品の良さそうな男性が座って居る。「Buongiorno.」と挨拶する。どうもいつもレセプションにいる、あの美人の女性のお父さんらしい。時々中年の婦人も見るので、家族経営なのかもしれない。
ならば、と「My room, air conditioner is too strong. Please tell me how to adjust. 部屋のエアコンが強すぎるけど、どうやって調整するの?」と、ブロークンな英語で聞いてみる。


昨日から部屋のエアコンが強すぎて寒い。停めれば暑いので困っていた。調整しようにも、何処でするのか分からないのだ。
一緒に部屋に入ってみる。エアコンは部屋の窓際の、作り付けの棚の下に据え付けられている。正面に吹き出し口はあるが、調節のつまみが見当たらないのだ。

正面のカーテンの裏にエアコンが隠れている。上は作り付け?の棚。

どうするのか見ていると、美人のお父さんは棚の上に載っていた私の私物を退かすと、えいっ!とばかり棚を半分引き出した。えッ、これ動くの?!

棚を壁際から引き出して、その隙間からエアコンの上部が見える。その右側の端にある蓋を開け、中のつまみを回した。驚く私の顔を見て、これで駄目ならまた調整してみて、と言う様なことを言って出て行った。
なるほど。