歳をとっても旅が好き

海外ひとり旅の記録?いや記憶かな

インドひとり旅(1997年) <15> 8日目 カルカッタを出発、Rajidani Exp.でデリーへ向かう

<8日目
1997年11月19日 水曜日 カルカッタ 晴れ

<YMCAでの別れ>
夢を見ていた。
夢の中で大声で叫んだと思ったら、実際には息を飲みこんでいて、そこで目が覚めた。
飛び起きて時計を見ると、明け方の2時30分だった。
窓の外に巣でもあるのか、何羽かの烏が威嚇するように泣き叫んでいる声が聞こえる。仰向けで見上げると、部屋の天井が高い。周りのコンクリートの壁は薄い青に塗られて、木の大きな扉は緑色。
天井から下がった大きな古い扇風機がゆっくり回っていて、裸電球が点けっぱなしのまま黄色く光っている。
身じろぎすると、鉄製のベッドはぎしぎしと鳴る。昔の病院のような部屋だと思う。

旧い病院の様なYMCAの部屋

ダイニングで、Kさんと、ようやく食事が出来るようになったKさんの友人の3人で朝食を摂る。
オートミール、トースト、オムレツ、チャイ、そしてバナナ。
彼女達はカルカッタの動物園に行ってみると。

AM10:30頃、水のシャワーを浴びる。
彼女達がドアをノックし、ザックを背負った姿で、これから動物園に行くと。
まだ列車は「waiting」のままだと言うと、デリー(DELHI)に行けるよう祈っていると言う。
有難う、お二人も気をつけて旅行して、帰国するまで無事でいるよう祈っているよと言う。
彼女達は、帰ってきたらもう一度「No19」の部屋の鍵がかかっているか見てみると。

12:00になっても列車が「waiting」から確定にならないらしい。
12:10、レセプションに降り、2回目の督促をした。「A3,  B26」に決まったと。
12:20、YMCAをチェックアウト。
料金はデポジットで支払い済なので、追加精算もない。

<ハウラー駅と物乞い>
YMCAの前にタクシーが何台か停まって、ドライバーがこちらを見ていたが、チョーロンギー通りを少しエスプラネード方面へ歩き、そこでタクシーに声を掛ける。
Rs.50というので、Rs.30と言ったが決まらず、Rs.40(約140円)で行く。今度は客ひとりだ。

ハウラー橋はいつもの様に大渋滞で、殆ど止まりかけたタクシーの前に空いた僅かな隙に、オートリキシャ、サイクルリキシャ、タンガー、自転車が我先にと頭を突っ込んでくる。カルカッタもこれで最後かと思いながら、その凄まじい生存競争の先に、フーグリー川の大きな水面が昼の陽を反射して光っているのを眺めている。

またハウラー駅に来た。これで何回目だろうか。変わらぬ雑踏だが、それを眺める目は、短い間に大分変わった様な気がする。
大勢の人の間を抜けて構内を進むと、掲示板で「2305 Rajidani Exp.」がプラットフォーム「9」から出るのを知った。
出発30分位前にチャートが出るらしい。
コーチCoach「A3」の欄を見ると、私の名前の横に「26U」と書いてある。

「9」のプラットフォームは、ハウラー駅に多分10本以上あるだろう線路の、何の変哲もないホームだ。
ここで待って居ると、今回の旅行で初めて、汚れた紫色のサリー姿で、腰の横で裸の赤ん坊を抱いた物乞いの女性が、手に潰れた様なトレイを差し出しながら近づいて来た。上半身半裸で裸足の子供達も2,3人寄って来た。
上はよれよれになった青いシャツに下も皺くちゃのチノパンツ、サブザックを背負った今までと同じ服装なのに、インドに来て初めて物乞いに施しを求められた。

何でいまさら?と訝しかったが、考えたら合点がいった。
そうか、ここはどんなに粗末な服装の外国人でも「Rajidani Exp.」に乗る様なお金持ちの集まるところだったんだ。
赤ん坊を抱いた女性にはバグシーシ(ほどこし)を渡したかったが、ひとりだけに与えては申し訳ないし、みんなに上げる分もないし、後から後から来られてもあげられるものはない。そうは思ってもと逡巡し、地下鉄の乗車券を買ったときの小銭が、使い方が分からず残っていたのをポケットの中で握り締めながら、その場を離れてしまった。

<2305 Rajidani Exp.>
15分くらい前に列車が入ってきた。
「A3」のコーチCoachを捜す。コーチの乗降口にはチャートは無かったが、乗りこんでコンパートメントの中のシートNo26を捜して座る。

中は最初に乗った「Hawroh-Puri Exp.」のA/C-2tierと同じように2段のベッドのある造りだ。このコンパートメントには私の他には、向いの席に目の大きな、口ひげを蓄えたいかにも上流階級の人という感じの大柄な40代くらいのインド人の男性がひとりだけだ。

13:40 departure。
音もなく出発。これでやっとDELHIへ出発できた。
座っていると、赤い服の服務員らしい人が、「ヴェジ?ノンヴェジ?」と聞きに来る。腹具合から「ヴェジ」と答える。
食事付きとは考えていなかったので、前の人に「Attached meal?」と聞くと「そうだ、運賃にインクルーディドincludedだ」と。
次に1リットルのミネラルウォーターのペットボトルが配られる。

運ばれた食事を食べながら、同席した男性と片言の英語で話す。
彼は水ポンプの会社の「Managing Director」らしく、デリーに住んでいると。
私は初めてのインド旅行中で、プリ―に行って来たところなんだと話す。
「プリ―はどうだった?」と聞かれてから、暫らくスーリヤ寺院や、海岸に行ったがdiarrheaで泳げなかったなどと話す。
インドにはどの位いるの?休暇が2週なので、デリーに行ってから帰国の予定だというと、短いね!と驚いていた。
そこまでは良かったが、私の「not good」な英語では話も続かず、「I have diarrhea, so I go to bed. Sorry.」と片言の英語で言って二段の上の寝台にのぼって横になった。

下痢の腹と頭痛を抱えて、脱いだ靴とザックを体の横において、ジャンパーを着込む。冷房が効きすぎて寒い。

カルカッタ(ハウラー)からニューデリーまでの移動 大陸横断の様だ