歳をとっても旅が好き

海外ひとり旅の記録?いや記憶かな

トルコからギリシア、イタリアへひとり旅(2018年) <12> まだ6日目 聖ヨハネ教会跡、セルチュクの町

<6日目―2>

2018年 5月19日 土曜日 セルチュクは晴れ 暑い。33度。

<聖ヨハネ教会跡>

ようやくセルチュクに着いた。

朝食後、シャワーをして宿を出た。シャハベッティイン・テディ通りを行き、オトガルに面した、先ほどバスが通ってきた大きなアタチュルク通り(Ataturk Cd.)を渡る。
駐車場の様な中を行くと、向こうから何人かの欧米人の観光客が歩いて来る。その来た方向に進むと、博物館があった。
エフェス考古学博物館(Efes Arkeoloji Muzesi)。入館料10TL(約260円)。
エフェス遺跡からの出土品が収められている。
2つある有名なアルテミス像などを見る。古代のエフェスはアルテミス女神崇拝の中心地であった様だ。フラッシュは禁止だが、写真は撮れる。

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エフェス考古学博物館にあるアルテミス像

博物館を出て、サン・ジャン通り(St. Jean Cd.)にある聖ヨハネ教会跡(St. jean (Aziz Yahya) Kilisesi)に向かう。入館料10TL(約260円)。
イエス・キリストの死後、エルサレムを追われた12使徒のひとりで、唯一殉教しなかったヨハネが、聖母マリアと共にこの地を訪れて晩年を過ごしたと言われ、此処にはヨハネの墓所もある。元は大きな教会が建っていたが、いまは遺跡となっている。欧米人が先ず最初に訪れる場所らしい。

広い場所に建物の跡が点々としている。日差しが暑いので帽子を被る。
こういうところでいつも見る東洋人は、韓国人と中国人だ。「地球の歩き方」を持って歩いていた日本人はどこに行っちゃったんだろう。
高い塔の上に鳥が巨大な巣を作っている。よく見るとコウノトリだ。見えるだけで3つある。

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聖ヨハネ教会跡

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柱の上には大きなコウノトリの巣がある。

<セルチュクの町中>

街中に戻って、鉄道のセルチュク駅前まで商店街の中を歩く。
途中のピザ屋で昼食。

トルコのピザはピデ(Pide)と言って、形は細長い舟形。ボリュームがすごい。しかし薄い生地で味は美味しい。娘がFacebookで美味しいと教えてくれたピザに近いかも。
チャイを飲んで休憩。10TL(約260円)。

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トルコの舟形のピザ

駅前にはローマ時代の水道橋の遺跡が建っている。その柱の上には、ここでもコウノトリが巣を作っている。
ケマル・アタチュルク(Mustafa Kemal Ataturk)の巨大な顔が描かれた旗が飾られて、トルコ軍楽隊の「ジェッディン・デデン」(Ceddin Deden)がスピーカーから大音響で流されている。イスタンブールの軍事博物館には行かれなかったが、此処でこの曲を聴くことになろうとは。

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ローマ時代の水道橋の遺跡。ここにもコウノトリの巣がある。

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丘の城塞跡には巨大なアタチュルクの肖像

今日は5月19日アタチュルク記念日だ。
第一次大戦後、オスマン帝国は敗れ連合国に分割占領されたが、各地で抵抗運動が起きる。1919年5月19日、アナトリア(Anatolia)半島北部の黒海沿いの港町サムスン(Samsun)に派遣されたガリポリの英雄オスマン軍の将軍ムスタファ・ケマルは、政府の意に反して抵抗運動の指導者になる。このサムスン上陸の日が、トルコ祖国解放戦争開始の記念日とされたらしい。
ムスタファ・ケマルはオスマン帝国領の不分割を求める宣言をまとめ、抵抗運動を組織化。やがて現領土を回復。1923年、トルコ共和国建国へと到る。トルコの初代大統領であり、アタチュルク(父なるトルコ人)の姓を贈られ、建国の父と呼ばれている。

 

近くのスーパーマーケットで、1.5Lの水 1.5TL(約40円)とティッシュペーパー2TL(約55円)を買って、宿を出たときより更に巨大になっているバザールの中を通ってホテルに戻った。

疲れていたので、ベッドでちょっと横になったらそのまま寝てしまった。
起きたら18:30だった。
外はまだ明るく、バザールの音も聞こえている。少しだけ入って来る風が心地よい。
また眠ってしまった。
起きたら19:30。まだお腹も空いていない。
シャワーして、今日はこのまま寝てしまおう。