歳をとっても旅が好き

海外ひとり旅の記録?いや記憶かな

トルコからギリシア、イタリアへひとり旅(2018年) <10> まだ5日目 海軍博物館で歴史的珍品に遭遇。いよいよイスタンブールを出発。

<5日目ー2>

2018年 5月18日 金曜日  イスタンブール 曇り一時雨 のち晴れ 26度。

<海軍博物館で歴史的珍品に遭遇>

山の上から30分以上歩いてようやく着いたのは、何と目指していた「軍事博物館」では無く、「海軍博物館」(Istanbul Naval Museum)だった!

落胆したが、せっかく来たのでと「海軍博物館」に入る。


装飾された細長いボートの「カイーク」が沢山陳列されているが、トルコ海軍の歴史に係る展示物の中で特別珍しいものを見つけた。

1453年5月、スルタンアフメドⅡ世(Sultan Mehmet Ⅱ)率いるオスマン帝国(Ottoman Empire)軍が、ビザンツ帝国/東ローマ帝国(Bisanz /Eastern Roman Empire)の首都コンスタンチノープル(Constantinople)を攻めた時、ビザンツ帝国側が市街を貫く金角湾にオスマン海軍の侵入を阻止するため、湾の入り口を封鎖したのだが、その時に使った鎖だ。

苦戦していたオスマン軍は、これを打開するため、なんと船を山越えさせて金角湾に浮かべて攻め、遂にコンスタンチノープルが陥落した。これがいまのイスタンブールだ。

その時の鎖が残っていたんだ。こんな歴史的珍品に此処で出会えるとは。

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1453年金角湾の封鎖に使われた鎖

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金角湾の封鎖を描いた絵

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オスマン軍は船を山越えさせて、金角湾に浮かべた。

博物館内のティールームBond Cafeに入り、チャイ4TL(約105円)と甘いチョコレートケーキ16TL(約420円)を食べる。疲れがドッとでる。もう一歩も歩きたくない感じだ。

しかし、ホテルまでは如何やって帰ろう?

ふと窓越しに外を見ると、フェリーが発着しているのが見えた。
地図を見ると、歩いて来た方角から、もしかしてここはボスポラス海峡沿いのベシクタシュ(Besiktas)かもしれないゾと思ってウェイターに聞くと、そうだと。
それならここからフェリーを乗り継いで帰れそうだ。

 

<再びアジア側へ、ボスボラス海峡の海底トンネル「マルマライ線」に乗る>

「海軍博物館」を出て、ベシクタシュのフェリー乗り場に向かう。ここからフェリーでアジア側の街カドゥキョイ(Kadikoy)へ行く。昨日行ったアジア側のウシュクダルよりもっと南の、ボスポラス海峡からマルマラ海に入ったところの街だ。フェリーはイスタンブール・カルトが使える。
何度目かのボスポラス海峡横断だが、船で渡るのはこれが最後。日が陰り始めて、海風が少し冷たい。

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ドルマバフチェ宮殿が見える。船で渡るのは最後のボスボラス海峡

カドゥキョイからメトロ「М4」に乗って、アイルルックチェシメスィ駅(Ayrilik Cesmesi)へ行き、ここから日本の援助で新しく出来た、ボスボラス海峡の下を通るマルマライ線(Marmaray)に乗ってヨーロッパ側のシルケジ駅まで行く。シルケジ駅はオリエント急行の終着駅で、今は修理中だが、立派な駅舎だ。
マルマライ線の出口はこの駅舎の裏側に出て来る。
ここからトラムバイ「T1」線でスルタンアフメド駅まで行き、そこからは歩いてホテルに戻った。

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メトロ、マルマライ線などの路線図

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マルマライ線の車内 海峡の下を電車で横断

 

<いよいよイスタンブールを出発>

ホテルで預けていた荷物を受け取ると、タクシーを呼んでもらってエセンレル・オトガル(Esenler Otogar)まで行く。45TL(約1,200円)。チップ5TL(約132円)。

オトガルのあの大きな「METRO」のオフィスに行く。幸いにも、一昨日啖呵を切るように出て来た時の、あの女性職員はいなかった(笑)。

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バスの発着する「METRO」の室内。

バックパックを預けたいと言うと、裏に連れていかれ荷物預かりの係を紹介された。

小さな部屋の中に並んだ荷物の横に私のバックパックを置きながら、細身の彼は「Where are you from?」と聞くので「Japan」だと言うと、自分はKARATEをやるんだと言って空手の真似をするので、私も真似をして笑い合った。


まだバスの出発には時間があるので、地下鉄のメトロ(Metrosu)「М1」線に乗ってバイラムバジャー駅(Bayrampasa)で降り、駅と直結したショッピングモール「AXIS」 に行ってみる。
此処で、今まで本場のトルコに来ながら食べたことのなかったドネルケバブ(Doner Kebap)と、飲むヨーグルトのアイラン(Ayran)を頼む。19TL(約500円)。街のケバブ屋さんより遥かに清潔そうだったが、余り美味しくはなかった。

 

再びメトロでオトガルに戻り、バスの発車を待つ。

私の乗り場は、バスの切符ビレット(Bilet)では「PERON49-56」と印字されていた。PERONはいわばバスの着くプラットホームのことの様だ。しかし手書きで「PERON49-50」と追記されているので、その前の待合室で待つ。

待合室の裏の発着所にバスが着く。しかしバスの正面に、私の目的地「SELCUK」と書かれたバスは無い。しかしチケットに書かれた出発時間とPeronは「49-50」で、このバスしかない。
バスの近くにいた職員らしい背の高い男性にチケットを見せながら、このバスで良いのか聞くと、これで良いとザックをバスに積み込んだ。
バスに乗り込むと、私が尋ねた男性がこのバスの添乗員らしく、後から乗客に何か言いながらチェックして回った。私のところにも来たが、何を言っているのか分からない。単に乗客の人数を確認しているのかと聞き流していた。注意事項やアナウンスは全てトルコ語で、英語のアナウンスすら無いので分からない。もっとも、英語のアナウンスがあっても聞き取れたかは分からないが(笑)。

 

21:30 バスは出発した。夜のボスボラス大橋を渡って、アジア側を一路南下する。ほとんど自動車専用道路を走っている。2時間位経ったところで、トイレ休憩があった。