歳をとっても旅が好き

海外ひとり旅の記録?いや記憶かな

南インドひとり旅(1999年) <3> 2日目 ようやくインド・チェンナイ(CHENNAI)に到着 

<2日目ー1
1999年 2月21日 日曜日 チェンナイ 晴れ

<インド・チェンナイ(CHENNAI)に到着>
スリランカ(Sri Lanka)のあるセイロン島(Ceylon)と、インド亜大陸を隔てるポーク海峡(Pok Strait)を越えて、エア・ランカ「UL121」便はAM9:30、ようやくベンガル湾に面したインド・チェンナイ空港(CHENNAI)に到着した。
インドもスリランカと同じで、日本との時差は-3時間30分なので、コロンボからチェンナイまでの所要時間は多分1時間くらいだった。

「チェンナイ(CHENNAI)」は、昔の「マドラス(MADRAS)」のことだ。改名も1996年なので僅か数年前だ。
インドでは旧植民地由来の名前を、次々に元のインドの地名に変更しているらしい。1995年にはボンベイ(Bombay)が、ムンバイ(Mumbai)に変わっている。

特に何も聞かれず、パスポートと用意したEDカードを出してImmigrationを通過。預入荷物のピックアップは無いし、Customもスルー状態で、あまりに簡単に過ぎたのでインドルピーへの両替を忘れてしまった。

制限スペースの外に出ると、客引きも多くいるが、カルカッタやデリーほど数も強引さも無い。その中に、西新宿の旅行代理店の現地Agentのジョンが友人と来ており、私の名前を書いた紙を掲げて待っていてくれた。
エア・ランカ航空のストライキのおかげで到着時間が何度も変更になっていた中、もちろん日本の会社とは連絡が付いていたとは言え、こうしてタイミングよく会えたのは本当に僥倖の様に感じた。

早速、今晩のマドゥライ(MADURAI)行きRailway Ticketを貰う。
2月21日発MADRAS19:30 / 06:50+1 MADURAI 「PANDYAN Exp. A/C ⅡTier 」

日本で払ったのは¥6,000円だったが、チケットに記載された料金はRs.759(Rs.1=3.5円とすると、概ね2,656円位)だった。

彼の役目はそこまでだったが、今晩19:30発の列車の出発時間まではまだ大分時間がある。そこで彼に、チェンナイ(CHENNAI)の街の案内を頼んでみた。
車代込みで、Rs1000(約3,500円)で了解を貰った。

<チェンナイ(旧マドラス MADRAS)を巡る>
友人は帰って、ジョンと一緒に彼の乗って来た車の助手席に乗り込む。
ジョンは30代か40代の初め頃の年恰好で、浅黒い顔に口髭を生やした小太りの愛嬌のある顔立ちだ。全体の顔も、白い半袖の開襟シャツを着た体つきも丸みを帯びていて、1997年に行った北インドの人たちとはやや異なる印象を受けた。

ガイドブックなどでは、南インドに多く住む「ドラヴィタ人」(Dravvidian)は、北インドに多い「インド・アーリア人」(Indo-Aryan)の移動してくる前にインドに定住していた民族らしく、最古の文明の一つの「インダス文明」(Indus Valley Civilisation)はドラヴィタ人によるものと言う説もあるらしい。
「ドラヴィタ文化」も、北のイスラム教の影響を受けていない、インドの源文化の中心と言われている。

最初にリクエストして連れて行って貰ったMadras National Museumには、「ドラヴィタ文化」の美しいレリーフが沢山ある。入場料はジョンが払ってくれた。
此処にはjunior high school位の子供たちが沢山見学に来ていて、彼らに取り囲まれて一緒に写真を撮る。

マドラス国立博物館で見学の子供たちと

次いでセント・ジョージ・フォート(Fort St. George)を見に行く。此処も入場料はジョンが払ってくれた。
チェンナイ(CHENNAI)はタミル・ナードゥ州TAMIL NADUの州都だが、この辺り一帯はイギリス、正式にはイギリス東インド会社(EIC : East India Company)が1644年に地域を支配していた土侯から取得した土地に建てた、このセント・ジョージ・フォート(Fort St. George)から植民地支配が始まったらしい。
この地はもともとポルトガルが拠点にしていたサントメ(San Thome)の北で、マドラサパトナムと言う地名から「マドラス(Madras)」とされた様だ。
しかし此処も、植民地時代の名残の建物と、中はガランとした室内にイギリス人の肖像画や日用品が展示されているだけだった。

カルカッタ(CALCATTA)で入ったヴィクトリア・メモリアルも、巨大な建築物の室内には歴代総督の肖像画や調度品が埃を被った様に置かれていた。
まるで此処を見に来た人の意向などお構いなしに、単にイギリス人が過去の栄光を保存したい、再確認し続けていたいという意味以外、何があるのかなぁ。それを保存し続けるインドの人も、この過去の遺構を活用する術をまだ考えあぐねたまま放置しているといった印象だ。

外に出ると、汚れたままの服を着た数人の子供が寄ってきて、しきりにお金をねだる。やはり観光客しか行かないようなところにいるのだろうと思ったが、しかしこの子達はここに住んでいるのだろうかと訝しかった。
CHENNAIの街は、大都会にしてはCALCATTAのように街中で多くの物乞いの人を見ることが少ない。この街は違っているのかと思っていたが、マリーナ・ビーチ(Marina Beach)へ行く途中の海岸沿いには、バラック小屋の様なスラムが延々と続いていた。

マリーナ・ビーチは、美しいベンガル湾の海に面してどこまでも続く平らな砂浜の海岸で、長さの違う丸太をやや凹型に湾曲させてロープで縛っただけの様な漁師の丸木船が何艘も浜に並んでいる。
その丸木舟の一画で人だかりが出来ているので覗くと、中で漁師が今日採った魚を商っている。ジョンも買いたそうだったが、大都会の海岸で今晩のおかずが買えるなんて驚いてしまう。

マリーナビーチの広い砂浜

マリーナビーチ

2人でシーフードレストランに行く。$5のみ私が払い、後はジョンが払った。

私が両替したいと言って街の両替所に案内してもらう。
$65を両替。Rs.2,776。レートは$1=Rs42.7。
日本円を$1=130円とすると、Rs.1=¥3円だ。1997年よりルピーが下がっているか、日本円が高くなっているかだ。あるいは、此処の両替所のレートが良かっただけかもしれないが(笑)。