歳をとっても旅が好き

海外ひとり旅の記録?いや記憶かな

インドひとり旅(1997年) <9> インド4日目で早くも下痢、宿探しに悪戦苦闘

<4日目ー1
1997年11月15日 土曜日 プリ―(PURI) 晴れ

<インド4日目で早くも下痢に>
良く眠れず、未だ暗いうちに目が醒めた。
付近の風景と朝日の昇るところを見ようと、外階段を登って屋上に出てみる。
平屋根の屋上には大きな黒い樹脂製の水のタンクが幾つも置いてあり、そこから太いホースが床を何本も這って、建物の脇から下に降りている。

誰も居ない。
未だ暗いが、遠くの空は少し紅く染まって、周囲も次第に白み始めている。ホースを避けながら歩き廻って四方の景色を見ると、椰子の木々の中に、3、4階建ての建物があちこちにある。多分此処の様なゲストハウスかもしれない。
下を見ると、道路ではもうサイクルリキシャが走り始めていた。
烏がそこいらじゅうで騒がしく鳴いている。なにか気味悪くなって、部屋に戻った。

まだ夜明け前のプリ― 同じようなゲストハウスが建っている

夜明け前から、もうサイクルリキシャが動いている

下腹が疼くと思ったら、下痢だ。熱っぽく、身体もだるい。
トイレでは、見よう見まねで横のバケツに溜まった水を手桶で救い、右手で後ろから流しながら、左手でお尻を洗う。そこいらじゅうが水浸しで、裸の脚にもサンダル迄水が伝い落ちて来る。
何度もトイレに行くので、この水での洗浄はお尻には優しいが、どこまでが清潔でどこまでが汚いのか分からなくなる。

しかし、何を食べたのだろう。今のところ屋台で食べたわけでもない。昨日はホテルのレストランだ。毎日ビオフェルミンも飲んでいるし。
しかしインドに着いてから、四六時中、胃が締め付けられる様に極度に緊張し続けてきたのは間違いない。このせいかなァ。

食事と、もう少し身体を休められるところが欲しい。
ベッドに横になりながら、大きなファンのついた白い天井を見上げている。
この具合の悪さは、どうやったら回復するんだろう。まだ動けないと言う訳ではない。でもこのまま動けなくなったら、どうなるんだろう。漠然とした不安が過ぎる。
プリーには、何かあったとき日本に直接帰れる空港は無い。ここからはすぐには出られないという閉塞感も、体調を狂わせている一因なのかもしれない。
旅行の計画を立てる時思い描いた、「海沿いの保養地でのんびり~」どころではない。

朝、Hotel「 love & life」 をチェックアウトする。
check out timeがCheck inと同じAM8:00.のためだが、なにより違う宿に移りたかった。
精算時、デポジットで支払い済みのRoom charge Rs125(約438円)の他に、Servicing chargeを10%,Rs12(約42円)取られる。
偶然一緒にチェックアウトした日本人の若い男性が、ドミトリーに泊まってServicing chargeを取られたのは初めてだと憤慨していた。

Hotel「 love & life」 のレシート

その時レセプションの壁に、「行方不明者」と日本語で書かれ、その下に鮮明ではない写真が載ったビラが貼られているのを見た。
「行方不明者」って?
本人の意思で、このインドから帰らなくなって仕舞った人?それとも不慮の事故か事件に巻き込まれて、帰りたくとも帰れなくなって仕舞った?
このビラは、家族や知人の人たちが、探しあぐねて此処まで来て貼っていったのだろうか。それとも家族の意向を受けて、手配する団体でもあるんだろうか。
いろいろな思いが錯綜する。それにしても、消息を絶ってしまった人って、一体いまどうなって仕舞っているんだろう。
今まで緊張はしたが、インドに来て危害を加えられるなど危険な目には遭っていないので、インドの治安について気にもしていなかったが、漠然と何か腹の底に冷たいものを感じる。

<ホテルを変えるゾ!!>
通りでサイクルリキシャを拾い、昨日プリー駅に着いた時駅前で配られたチラシに書かれていた「PURI Hotel」に行ってくれと伝える。
今朝、違う宿に移ろうと思い立って、そうだ昨日駅前で押し付ける様に渡されたホテルの広告を思い出したのだ。チラシには「A/C room Rs500」と書かれていた。
「love & life」がRs.125だったので、Rs.500(約1750)なら中級ホテルだろう。エアコンもあるし、そこにはなによりレストランも併設されていると書かれている。

Chakratirtha Rd.を西に進んで、State Bank of Indiaを左に曲がると、海岸沿いに「PURI  Hotel」の建物があった。プリ―にしては大きな、5,6階建ての建物だ。

プリ―駅前で渡されたチラシ

プリ―ホテルの料金表

レセプションに着くと、白いクルタ・パジャマを着た中年の男がカウンターの前と中に二人寄り掛かかっていた。
彼らの背中越しに、海岸に向いた窓から、プリーに来て初めて見たベンガル湾の海が見えた。海岸にはサリーを着た女性が小さな子供を連れて、波打ち際を散歩していた。

「Can I get a room?」と聞く。二人してこちらを舐めるように見ている。
「Single, A/C, attached bath」とチラシに書いてあった「A/C」付の部屋を注文する。
カウンターの中の男は黙って宿帳を出すので、私が胸のポケットからボールペンを取り出すと、カウンターの前に寄りかかっていた腹の出た中年の男が、ちょっと貸してみろというように私から取って弄っている。
「It room fee is Rs.500?」と聞くと、黙っているので「May I see the room?」と言うと、その腹の出た男がにやついた顔で、A/C room Rs500はたったいま無くなったという。

こちらが明らかにインドに慣れていないと見て、高い部屋を吹っかける気だ。でもそれ以上に、この突然のとってつけた様な返事に、私が英語が下手で、満足に反論も出来ないのを嘲っている態度に、無性に腹が立って来た。
「馬鹿野郎、こんな所に泊まってたまるか!」と思い、男が手にしていた私のボールペンを毟り取るように奪い返すと、中庭に停まっていたサイクルリキシャに飛び乗った。こんな客あしらいもインドではまだ序の口だとは思ってみるが、腹が立って仕方がなかった。

しかし、走り出したサイクルリキシャの上で、飛び乗って仕舞ったは良いが、目的地が無ければ困る。さてこれからどこに行こうかと思ったが、取りあえず両替も必要だからと、リキシャワーラーには此処に来る途中で見かけた「State Bank」へと言った。

サイクルリキシャに乗りながら、今晩の宿はどうしようと思案する。宛てにしていた「PURI  Hotel」も上手く行かず、焦って来ていた。
Rs125の安宿では今の身体の状態では辛い。寝ているだけならまだしも、何よりダイニングが無いので、下痢の身体でまた食事が食べられるレストランを探さなければならないのは一番堪える。
その時、だったら昨日昼食に行ったあの超高級「Hotel Nilachal Ashok」に泊まって仕舞えば良いかと思い立った。
一瞬、「インド世界を1日1,500円以内で、ホテルなどの予約なしで鉄道とバスを使って旅する人の入門ガイド」と、ガイドブックに書いてあった文句が脳裏を過ぎる。
あの超高級「Hotel Nilachal Ashok」は一体いくらするんだろう。まさか1泊1,500円じゃないよなぁ。躊躇はしたが、背に腹は代えられない。

もと来た道を戻ると、右側に平屋で青い外壁の普通の仕舞屋(しもた屋)のような「State Bank of India 」が見えたが、そのまま「Hotel Nilachal Ashok」に行くよう頼んだ。