歳をとっても旅が好き

海外ひとり旅の記録?いや記憶かな

ミャンマーひとり旅(2017年) <30> まだまだ10日目 ヤンゴンの街さんぽ③ ヤンゴン川とヤンゴン港

<10日目ー3
2017年 5月31日 水曜日 ヤンゴン 曇り 暑い。
ようやく雨の上がったヤンゴンの街を、のんびり歩いている。

<ヤンゴン川の岸>
やっぱりヤンゴン川が見たい。
マハバンドゥーラ公園からヤンゴン川の畔まで行ってみよう。
スーレー・パヤーを通って南北に通っているスーレー・パヤー通りから、一本東のパンソダン通り(Pansodan Rd.)をヤンゴン川の河岸に向かう。

東西に通っているマーチャント通りを渡ろうとすると、大渋滞の車列の間を強引に走って来る車を前にして、白シャツにロンジー姿の恰幅の良い3人の男性が躊躇している。
私も彼等の後を付いて通りを渡ろうと思い、地元の人はこういう時どのように渡るんだろうと見ているが、何やらお互いに囁き合っているばかりで、止まったまま動かない。

暫く待つが、まだ動かない。
私は、ベトナムの街の通りを渡った時の記憶を思い出していた。
ホーチミン市などでは、途切れることなく押し寄せる多数のバイクや、その間を時折突進してくる車で、初め信号機の無い通りはどのように渡ったら良いか分からなかった。
しかし地元の人を見ていると、最初は通りの左右を確認していても、渡り始めるとそこにバイクや車が走っていることなど気にしないように、ずっと前を見ながら、ゆっくり同じテンポで立ち止らず平気で渡り切ってしまっていた。
これにはなかなか度胸がいるが、どうもこれが一番有効そうだった。
ミャンマーでも、同じ東南アジア人なら大丈夫だろうと思う。

しかし、ミャンマーのお隣のインドでは全く事情が違う。
昔カルカッタ(Calcutta)のチョーロンギ―通り(Chowringhee Road)を、向こう側のマイダーン公園( Maidan)に行こうとして渡り始めた時、遠くに左から黄色と黒のアンバサダー(ambassador)が走って来るのが見えた。
私は自分が横断しているのをドライバーから見える筈なので、何の懸念も無く渡り続けていたら、アンバサダーは全く減速することなくそのまま突っ込んで来たのだ。一瞬早く気付いて慌てて引き返したが、その時の恐ろしさはずっと覚えていた。同時に自分の常識が全く通じないことが、身に染みて分かった。
インドでは、歩行者は道路上の最弱者なのだ。自動車、オートリキシャ、牛車、リキシャ、歩行者はこの順番で、強者に道を譲らなければならない。

待って居ても仕方ない。
今回はベトナム流に、しかしインドでの経験を踏まえて更に手を挙げながら、ゆっくり車の間を進み出した。
すると、なんと待って居た彼等が後ろから何やら言いながら付いて来る。
話の内容は分からないが、あの黄色い服の奴に付いて行こう!なんて意味なのか、「yellow」だけ聞こえた(笑)。

通りの左側は「Inland waterways department内陸水路部門」や「Port Authority港湾局」などの建物、右手は丸いドームを持つ「元ヤンゴン地方裁判所 Myanmar Division Court」が並んでいる。
この建物は1900年頃の建築で、ヤンゴンのコロニアル建築の中でも最初期のものらしい。赤いドームの屋根を持つ八角形の中央塔や、左右非対称のウィング(翼棟)など美しい建物だが、全体に傷みが激しい。
この一帯が、ヤンゴンがミャンマーの首都だった時代の旧官庁街であったことを偲ばせる。

右手はPort Authority港湾局の建物、左手は丸いドームを持つ元ヤンゴン地方裁判所 

最も川寄りにあるストランド通りを、屋根付きの歩道橋が渡っている。なんとエスカレーター付きだ。フェリーに乗り込む大きな荷物を持つ人に配慮しているのかなぁ。
このストランド沿いには、川に向かって左手にミャンマー国営航空(Myanmar National Airlines)、隣が有名なストランド・ホテル((The Strand Yangon)、その横がオーストラリア大使館、その隣がイギリス大使館と著名な建物が並んでいる。

ストランド・ホテルは、1901年開業で、既にシンガポールのラッフルズ(Raffles Hotel)やマレーのペナンにEastern & Oriental Hotelなどを開業していたSarkies Brothersによって建てられたホテルで、作家のサマセット・モーム(Somerset Maugham)が滞在したことでも有名だ。
1942年に日本軍が進駐すると、一時「ヤマトホテル」と改名されて使われていたらしい。
1962年、ネ・ウィン将軍のクーデターにより「ビルマ式社会主義」の時代に入ると、「People’s Hotel」と呼ばれる様な使われ方で、旧来の最高級ホテルの面影を失ったと書かれたこともあるが、1989年に再び復活して嘗ての名声を取り戻しつつあるともいわれているらしい。どちらが良かったのだろうか。

歩道橋の上では多くの人が、旧官庁街の巨大な建物や、ヤンゴン川に面したパンソダン埠頭(Pansodan Jetty)の景色を眺めている。
歩道橋を渡ると、狭い通路に果物の露店が並ぶ。ランプータンやモウラミャイン特産の大きな柑橘類ショゥッティー、ドリアン、リンゴが山積で売られている。地面は、昨夜の雨でぬかるんだ中に、散らかった果物の皮が潰されて異様な匂いが漂っている。

ヤンゴン川に沿ったストランド通り


<ヤンゴン港>
フェリー乗り場の待合室から川面を眺めている。川風が心地よい。
大きく、意外にも新しい綺麗なフェリーが、沢山の乗客を乗せて行き来している。
ここを発着するフェリーは、ヤンゴン中心部から橋が無く、道路が繋がっていない対岸のダラ地区(Dala)と結んでいるが、少し離れた場所には、また別のフェリー乗り場が見える。

浮桟橋には貨物船が舫っている。この辺りはヤンゴン港のパンソダン埠頭(Pansodan Boat Jetty)だ。さほど規模は大きくないが、河辺の長大な倉庫群を含め少しずつ改装中の様だ。
ヤンゴン川は大河エーヤワディー河の支流だが、ここでも川幅が700mもあるそうで、連日の雨で茶色い水が滔々と流れている。この先でバゴー川(Bago River)と合流し、アンダマン海に注いでいる。
1915年にはヤンゴン川とエーヤワディー河(Irrawaddy River)を直接結ぶ、全長35Kmのトワンテ運河(Twante Canal)が開通したので、大型の蒸気船がヤンゴンから直接マンダレー迄行くことが可能になっている。

ヤンゴン港(Yangon Port)は、ヤンゴン川河口から32Km上流にある河川港だ。
ミャンマー最大の国際輸出入港で、ミャンマーの船舶貨物取扱量の約90%を扱っている。しかし河川港なので水深が浅く、大型船の入港が難しいので利便性に問題があるらしい。
そのため、近年の取り扱い貨物量の増加を見込んで、現在ヤンゴン港の南10Km、ヤンゴン川の東岸に位置するティラワ港(Thilawa Port)の開発が行われているらしい。ティラワは、昔モン族の根拠地があったシリアムの少し河口寄りの地だ。

大賑わいのフェリー乗り場。意外にも新造船の様だ

浮き桟橋に係留された貨物船


<ヤンゴンのタクシーも大変だぁ
出来たらヤンゴン河を眺めながら昼食を食べたいと思っていたが、周囲にはそれらしい店が見当たらない。
仕方ない、また昨日のボージョー・ニューマーケットに行ってみるかぁ。
歩道橋を渡り返す。通りに建つストランド・ホテル横のミャンマー航空のオフィス前で、手を挙げて古いニッサン・マーチの流しのタクシーを見つけ、値段を2,000ks(約160円)に決めてから乗り込む。

ここからニューボジョー・マーケット迄距離は左程ないが、通りは又も大渋滞だ。
いつもタクシーに乗ると、ドライバーにヤンゴンは「allways Traffic Jam!」と言って、「too many cars」と言うと、ドライバーは「It's all Japanese cars.」と言って笑い合う。
ヤンゴンにどれほどの数のタクシーがいるか分からないが、殆どは個人経営らしい。
と言っても日本の「個人タクシー」とは異なり、ドライバーがタクシー会社から車両を借受けて運行しているらしい。ある記事だと、車両のレンタル料は1日300,000 ks(約24,000円)位らしい。タクシードライバーも大変だ。

昼を過ぎて居たので、早速く一番上の階に上がってフードコートを見て回る。今日はコリアン・フードSORABOLで、ビビンバを食べる。
7,650ks(約610円)。量が多いが、野菜と一緒なので、ワカメスープ飲みながら食べる。
その後は、建物の中央にある巨大な吹き抜けの側にあるCAFE AMAZONで、カフェラテ3,000ks(約240円)を飲む。ホッとするひと時だなぁ。

今日の夕食はビビンバ

帰りは、出口にいたタクシーに自分で交渉し、3,500ks(約280円)でホテルに戻った。昨日は5,000Ksだった。しかも通った道は昨日と一緒だ。私も少しは進歩している、かな(笑)。

今更気付いたが、泊っているホテルでは、1階ロビーの一番端から裏にあるコンビニエンス・ストア「grab&go」に通路で繋がっていた。ロビーの奥まで歩いたら、偶然見つけた。
そこから入ってみると、日本のコンビニとは違って、小さな雑貨屋さんに少しのお菓子とパンなどが置いてあるだけだ。
1.5Lのペットボトルの水を2本買う。500ks。1本、250Ks(約20円)。昨日ヤンゴン中央駅のホームで、切符売り場を教えてくれた少女に買わされたのが2,000Ks。物売りのおじさんが笑っていたはずだ。でもあんまり痛快なやられ方に、何か爽快な気分さえ蘇ってくる。

明日はいよいよヤンゴンに別れを告げて、ミャンマーのほぼ真ん中に位置する古都マンダレー(Mandalay)に向かう。
夜、荷物のパッキングをする。