歳をとっても旅が好き

海外ひとり旅の記録?いや記憶かな

ミャンマーひとり旅(2017年) <23> 7日目 モウラミャインを出発、ヤンゴンまで行くぞー!!

<7日目

2017年 5月28日 日曜日 モウラミャイン、ヤンゴン 晴れ 暑い。
突然の病気で2日間、モウラミャインのホテルのベッドで寝ていた。でも、始めたばかりのこの旅を続けるには、とにかく出発しよう。ヤンゴンまで行こう。

<ヤンゴンに向けて、辛い出発だなぁ>
朝食はホテルの庭にあるダイニングで、フルーツと目玉焼きだけを食べた。
腹具合が悪いというより身体に力が入らず、相変わらず気持ちが悪い。吐く迄は行かないが、ペットボトルの水を少しづつ飲みながら、なんとか吐き気を抑えている。長距離のバス移動で、この先揺られ続けていたらどうなるんだろう。
辛い出発だ。

ホテルをcheck out。追加料金は、延泊した2泊分でUS$110。
7:45、ホテルにピックアップのタクシーが迎えにくる。シンデレラ・ホテル(Cinderella Hotel)は良いホテルだが、私には辛い思い出の宿になったなぁ。

町中をしばらく走って、Highwayに隣接したMawlamyine BUS-Stationに到着。
小さなバス停を想像していたが、此処は大きなバスターミナルだ。
赤い屋根の、横に長い二階建ての建物の前に、沢山の大型バスが並んでいる。
ピックアップの窓から見ながら、どのバスに乗り込むのかなぁと考えていたら、乗るバスの前で降ろしてくれた。此処まで2,500Ks(約200円)。

Mawlamyine BUS-Stationは大きい

これから乗り込むVIPバス。

8:00、バスの側にいる助手らしい野球帽を被った大柄な男性にチケットを見せると、私のバックパックを下の荷物室に入れたので、このバスに間違いない様だ。中に乗り込む。

バスは中国製のHIGER、後二軸の大型バスだ。シートは「I2」。VIPバスで3列シートだが、私の席は生憎2人掛けシートの通路側。となりの窓側は体格の良いミャンマー人の若者で、ずっとスマホを見ている。
乗客は殆どがミャンマーの人で、外国人は私と、30代位のタンクトップ姿の欧米人の女性1人だけの様だ。

その女性が直ぐ前の席で、思い切り背もたれをリクライニングさせている。私は膝の上に、iPadや手回り品の入ったサブザックを抱えているので前が窮屈でならないし、前のシート裏面に付いたビデオパットも見難い。欧米人特有の身勝手さに腹が立ったが、幸か不幸か、今日は怒るほどの体力も気力も無い。
それでも、後ろからシートの背もたれを指し「Excuse me. Return a little, please. もっと戻して」と言って、少し戻して貰う。
背もたれのポケットの中に、ペットボトルの水が一本入っていた。
8:30出発予定が、なかなか出ないなぁと思い始めていたら、8:35に出発した。

ハイウェイを北西に走っている。郊外に出るとゴムのプランテーションの林が続く。まだ若い木だ。植林してまだ日が浅いのだろうか。
そのうち長いタンルウィン橋(Thanlwin Bridge)で、タンルウィン河を渡る。
モウラミャインに到着した日、河沿いのストランド通り(Strand Rd.)を歩きながら、マルタバン(モッタマ)へ渡ってみようとフェリーを探したが、見つからなかった。その都度眺めた泥の色をした水面、対岸が霞む様な大きさ。ミャンマーに入って最初に体験した大河だ。
思わず隣のスマホに見入っている若者に頼んで、窓のカーテンを開けて貰いiphoneで写真を撮る。
さようなら、モウラミャイン。いろいろな意味で、思い出深い街だった。

<バスの休憩所>
パラゴムの植林が過ぎて、車窓には畑でも無い原野が延々と続いていたが、11:30道路際のパーキングエリアに到着した。出発から3時間後、昼食を摂るための休憩のようだ。
繋がるようになったGoogleマップで見ると、すでに行くはずだったゴールデンロックの麓の町チャイトーを過ぎている。

此処は街道を往き来するバスの休憩所らしく、沢山のバスが並び、奥は広い食堂で多くの人が食事をしている。
私はトイレに行って、そのまま店頭をぶらぶら歩きながら店内を眺めている。
今は食欲そのものも無いが、テーブルを見ても食べられそうなものも見当たらない。

食べている人を見ると、お菜は皿だが、ご飯は大きな金属製のボールに入って出されていて、若い女性もお代わりしながらモリモリ食べている。
その長いテーブルの間を、中年の恰幅の良い女性が、指の間に何種類かの剥き出しの紙幣を挟んだ手を上に掲げて、各テーブルを廻って勘定をして歩いている。
店頭ではイナゴの様な昆虫の唐揚げが、山の様に盛って売られていた。

チャイトー近くのバスの休憩所

活気ある食堂

イナゴのような昆虫の唐揚げ

また出発したが、いつしか眠ってしまった様で、14:00に気付いた時にはシッタン河(Sittang River)を越えていた。
ガイドブックでは所要8〜9時間と書いてあるが、Google Mapでは既にヤンゴンの北方を走っている。iPhoneにMPTのSIMを入れたので、Google Map が使える。本当に便利だ。
姿勢が窮屈でお尻が痛いが、何より気になるのが日本を出発する前から痛かった左膝がまた痛みだした。下痢で、痛み止めを飲むのを止めていたからかな。お腹の具合は、なんとか持ち堪えている。

ヤンゴン市街の北方ミンガラドンに近づいている

<遂にヤンゴンに着いた!!アウン・ミンガラ・バスステーション>
そうこうするうち市街地に入って、見渡す限りバスが並んでいる大きな工場跡地の様な敷地に入った。
ヤンゴン郊外のアウン・ミンガラ・ハイウェイ・バスステーション(Aung Mingalar Highway Bus Station)だ。雨が降っている。
結局休憩時間30分を入れても、7時間弱で着いた。

到着して降りようとすると、バスの脇には男の客引きがいっぱい集まっていて、押し合いへし合いしながら、何処に行くんだと叫んでいる。
昔のカルカッタやデリーの駅前の様だ。言葉は分からないが、何故かそう言っているのは分かるんだよね。

取り敢えずバスの下の荷室に入っているバックパックを出さなきゃと思ったが、私の側にぴったり付いた野球帽の若い男性がまともそうな顔(笑)で、胸に着けたIDカードの様なものを見せてくる。無論、何のIDか、本物かすら分からない。
このあと、昔のインド旅行では決してしなかったし、出来なかったことをした(笑)。

この雨じゃどうせタクシーで行くのだからと、紙に書いたホテルの住所と預けた荷物のナンバーカードを、そのまともそうな顔(笑)の若い男に渡したのだ。
するとすぐ横から、ロンジー姿でキンマで口を真っ赤にした男が、「ブラザーだ」と言って私のバックパックを出してくると、25,000ksと言う。
ホテルまでのタクシーの料金だ。
ガイドブックでは、アウン・ミンガラ・バスステーションからホテルのあるダウンタウン迄のタクシー料金は、おおよそ10,000ksと書いてある。
流石に高いので10,000ksと言って交渉するが、雨も降っているし、疲れていたので20,000ks(約1,600円)迄下げたところで手を打った。
すると運転手かと思っていた「ブラザー」は、停まっていたタクシーに荷物を乗せて、運転席のドライバーに行く様に促した。ミャンマーでは直接タクシーに乗る前に、値段を決めるエージェントの様な人が何人もいるようだ。

雨の中のアウン・ミンガラ・バスステーションと何人もいる「ブラザー」


<ヤンゴンの宿HOTEL BAHOSI>
アウン・ミンガラ・バスステーションはヤンゴン空港の近くにある位で、市内迄は本当に遠い。しかも夕方の大渋滞に巻き込まれ、夕立迄降っている。しかし雨に煙るヤンゴンの街をぼんやり眺めながら、モウラミャインからの移動を、良くこの体力で乗り切れたと安堵の気持ちが大きかった。

1時間位でダウンタウンの西端辺りの旧びたアパートの立ち並ぶ地域に入り、ボージョー・アウン・サン通り(Bogyoke aung San Rd)とアノーヤター通り(Anawrahta Rd.)の間で、Wa Dan Streetから入った路地に面した、今日からの宿HOTEL BAHOSIに着いた。

Receptionで、Booking.comの予約表とパスポートを出してcheck in。
当初の予約は2泊でUS$72。デポジットが必要なので、現金で払おうと米ドルの$100札を出すと、受付の男性が電灯にかざして見て、これはダメだと言う。財布に入っていたあと2枚も見せるが、これもダメだと。
モウラミャインの銀行の両替ではOKだったと言っても了承しない。仕方ない、チェックアウト時に精算することになった。しかし何故駄目なのか聞くと、札の端に印が入っていると。

部屋は5階の507号室。エレベーターが付いていて助かる。
シングルベッドの簡素な部屋だが、エアコン付きでホットシャワーも出るし、トイレの便器の横にはお尻を洗うシャワーも付いている。東南アジアの旅行で、特にこんな体調のときには本当に有難い機能だ。
食事をどうしようか考えたが、今日は止めておく。食べに行く元気も無いが(笑)
夜、娘からメールが来た。長距離のバス移動は体力的に消耗するので、飛行機の使用を勧められる。モウラミャインのベッドの上で考えた、もっと簡略した旅のスケジュールを伝えると、その方が良いと。
こうして長い一日が終わった(笑)

HOTEL BAHOSIの507号室