歳をとっても旅が好き

海外ひとり旅の記録?いや記憶かな

トルコからギリシア、イタリアへひとり旅(2018年) <19> まだ10日目 ギリシアへ入国。東エーゲ海のヒオス島に到着。

<10日目―2> 
2018年 5月23日 ヒオス島は晴れ 27度。

<ギリシア入国。ヒオス島Chios到着>

ついにトルコを出国。船はギリシア領ヒオス(Chios)島のヒオス・タウンに近づいている。

ヒオス島はトルコから極近く、ギリシア本土からは遥かに離れているが、ギリシア領だ。1882年、当時オスマン帝国領だったが、ギリシア独立派を弾圧するためトルコ軍がギリシア人の一般住民を含めて大虐殺を行った。この事件を題材にした、ウジェーヌ・ドラクロアの絵画「キオス島の虐殺」(1884年)でも有名な島だ。

しかしトルコ本土から僅か7Km。こんな近い島が何故ギリシア領なのだろう。
地図を見ても、ヒオス島だけでなく、トルコ本土のアナトリア半島のエーゲ海沿いの島の殆どはギリシア領なのだ。不思議だなぁと思っていた。

ちょっと調べてみたら、これは第1次世界大戦後に結ばれた「ローザンヌ条約」によるものらしい。
同盟国側で参戦して敗れたトルコ(オスマン帝国)は、スルタン・メフメト6世が、1920年連合国側と「セーブル条約」を結ぶ。内容は戦勝した連合国側に参加したギリシアに、東トラキア(今のトルコのヨーロッパ側の領土)と、アナトリア半島のイズミール地方を割譲するというものだった。イズミール地方はもともとギリシア人住民の多い地域だった様だ。
しかしギリシアはこれを契機に、さらなる領土拡大を目論んでアナトリア半島の奥へと侵攻した。

これに反対したのが1920年4月、アンカラに臨時政府を樹立していた元オスマン軍のムスタファ・ケマルで、再編したトルコ軍で反撃し、ついにイズミールを奪還、ギリシア軍を排除した。
1922年、スルタン制を廃止。

この結果、1923年7月、再度連合国側と新制トルコ共和国の間で領土確定の条約がスイス・ローザンヌで締結された。
トルコはアナトリア半島の他「東トラキア」を保有することとなったが、キプロスはイギリスへ割譲、ドネロネス諸島はイタリアへ割譲、エーゲ海諸島はギリシアへ割譲された。
ドネロネス諸島も第二次大戦後、今度は敗戦国になったイタリアからギリシアに割譲されているので、これがアナトリア半島周辺のエーゲ海の島々が、今ではほとんどギリシア領となっている理由の様だ。

 

9:50ヒオスタウンに接岸。海況が悪かったのか?30分の予定のところ50分かかった。上陸して、埠頭の先端の小さな出入国事務所でパスポートチェック。
並ぶ列が、「ヨーロッパ ユニオン(European Union)」と「NOヨーロッパ ユニオン」に分かれている。初め「European Union?」これ何?と思った。でも、ああそうだ!これって「EU」のことだ!と合点した。普段「EU」としか認識していないので分からなかった。もちろん「No」の方に並ぶ。
無事スタンプを押される。ギリシア入国だ。誰もしていなかったので入国カードも書いていないが、大丈夫な様だ。

トルコから出国の際、パスポートに押されたスタンプは「CESME」の後に船の絵が描かれていた。「Chios」到着時はどうなんだろうと見ると、やはり海路入国を表す船の絵だった。良いね!次は荷物チェック。バックパックはじめサブザック、ウェストポーチをX線に通す。

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海路での入国を表した?パスポートのスタンプ

外に出て、ウィンドブレーカーを脱ぐ。いつの間にか一緒にフェリーに乗った欧米人のファミリーもいなくなった。港のヤードと道路を隔てるフェンスとコンクリートの壁沿いにバックパックを下ろして、これから向かうホテルへの道を探す。
iPhoneでGoogle Mapを見ると、表示は概略図だけ。えっ?ギリシアはGoogle Map、使えないの?
見るとまだトルコの「turkcell」の電波のままだ。

 

海岸沿いの道Neorionをしばらく歩く。いくつかのレンタカー会社、船会社の代理店などのオフィスの前を過ぎる。

まだ10:30を少し回ったところだ。ホテルを捜す前に少し休みたいと、港の前の「Pizza Palace」と言うタベルナ(taverna)に入る。食堂はもうロカンタではなく、タベルナだ。ロカンタの様に、店の前に出来上がった料理も並んでいない。
外のテラス席に座る。客はスマホをいじっているらしい若い男性ひとりしか居ない。目の前は港に面した埠頭になっていて、道路に沿って埠頭を隔てる石垣とフェンスが連なっている。途中には屋根の付いたバス停の様なものもある。此処からバスが出るんだろうか。港の中には青地に白のストライプ、ギリシアの大きな国旗が翻っている。確かに国境を越えて来たんだなぁと感慨が湧く。

小太りのおばさんが出てきて、ブレックファーストと言うメニューはどう?と勧める。壁に掛かったポスターに写真が載っている。それを頼む。
しばらくしてトマトと胡瓜とチーズとオリーブが載ったプレートと、目玉焼き、バゲット、そしてチャイが来た。セルチュクの朝ごはんと一緒だ。美味しいが、なんと9€(約1,200円)もする。いきなりユーロ圏の物価を目の当たりにしてしまった!
再びGoogle Mapを見ると、今度は普通の地図が表示されている。よく見ると電波は「COSMOTE」と表示されている。ローミングで今度はギリシアの電波を拾っている。なかなか凄い。
外を見ていると、ここのタクシーは赤色だ。

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9€の朝食

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ギリシアの電波をつかんでGoogleMapが使える様になった。


<今晩の宿を目指して>

11:30 レストランを出て、その脇の道Taitsekliを上に登って、ホテルを目指して歩く。周囲は白っぽい外壁の住宅で、庭先に咲くブーゲンビリアの様な赤い花が鮮やかだ。
猫が多い。首輪も何もなく、道端に沢山の猫がいる。歩いて行くと逃げるのもいるが、大方はゆっくり道を空けてくれる。
突き当りの道Zachariouを右折して、直ぐの角を曲がると、目指す茶色い外壁のホテル、フローリオ・アパートメント(Frourio Apartment)はすぐ見つかった。しかし扉は閉まったままだ。鍵も締まっている。
此処は所謂B&Bで、Booking.comで予約するとホテルからメールが来て、チェックインは何時か聞いてくる。私は13:00と回答していたので受付は開いて居ないのだろう。

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B&B「フローリオ・アパートメント」

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沢山の猫たち

 

仕方なく突き当りの角を左に曲がって、Agiou Georgiou Frouriouを左に少し歩くと中世の要塞Medieval Castleに続く広場があり、その手前にテラス席のカフェ「Kafenes」がある。

パラソルの下のテーブルに腰掛け、しばらく待つことにする。
カプチーノと水500mlを頼む。5€(約680円)。
時折横を、頭にスカーフを被ったムスリムの家族が通り、Medieval Castleの方に歩いて行く。この先に住居なんかあるんだろうか。
わたしもこのカフェで30分以上長居しているが、もっと長い人もいる。
トイレに入ってから、12:30 店を出る。

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宿に入れずテラス席のカフェで時間を過ごしている

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カプチーノ

まだ事前に連絡した13:00にはなっていなかったが、流石にもうバックパックを担いだまま行くところは無くなったので、ホテルの前で何回か「Excuses me!」と叫ぶと、看板の横のドアとは違う扉から若い男が出て来た。
そして改めてホテルの看板の横のドアが開けられ、そこから入り、部屋に案内される。二階で、確かにこのまま住めそうな普通のアパートメントだ。

饒舌に英語で色々説明してくれるが、よく分からない。しかし私が明日22時30分のフェリーだと知ると、それまで使って居て良い様なことを言われた。

石造りでバルコニーの付いたヨーロッパの家は良く見るが、実際中に入ったことは無かった。入ってみて、嗚呼こうなっているんだと妙に感心してしまう。バルコニーから外の路地を眺める。なるほど、住民はこんな風に下を見ているんだなぁ。ベッドと、Boschの冷蔵庫、洗濯機、TOYOTOMIの電子レンジ。

Boschなんて、ディーゼルエンジンのインジェクション・ポンプのメーカー位しか知らなかった。冷蔵庫も作っているんだと、妙に感心してしまう。TOYOTOMIトヨトミって、あの日本の石油ストーブのメーカー?そこが電子レンジ作ってる?でも描いてある「TOYOTOMI」のロゴには、アルファベットの上に4つコンマが打ってあるので、あのトヨトミだよね。
洗濯機を使いたかったが、使用法が分からない。仕方なく、また洗濯物を手で洗い、バルコニーに干す。

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ホテルの部屋。普通の住居だ。

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ベッドルーム

16:00過ぎ、お腹が減って来たので外に出る。海岸通りNeorionまで出て、明日チェックインするヘレニック・シーウェイズ(Hellenic Seaways)のオフィスを捜すが、見つからない。
今朝着いたフェリーターミナルの中にあるのかなぁ。しかしそれらしいものは無かったが。

ヒオスタウン(Chios Town)の港は海を囲むように「コ」の字型になっていて、ホテルから海岸に出たところにある「Pizza Palace」から時計と反対回りに港に沿って歩き始めると、「Port Café」の前で最初に左に直角に曲がる。その先の海岸沿いの道路はLeof.Egeouだ。
歩いていると次第に海岸から離れて、Medieval Castleに隣接したパブリックガーデン(Public Garden)のそばまで来た。あちこちでアフリカ系や中東系の人達のグループが集まっていて、通り過ぎる私を目で追っている。
嫌な感じを覚えて、来た道を戻りまた海岸通りにでた。

一転して、Leof.Egeouは港に面してレストランのテラス席が続く、欧米人が楽しそうに談笑する観光地だ。

 

ペリープテロ(売店)(Perry Peter)で1.5Lの水、缶ビール、ヒオス島特産のハーブの入ったマスティハ(Mastiha)のガム(2.2€)を買う。4.5€(約600円)。
朝ブレックファーストを食べた店「Pizza Palace」に行って、ギロピタ(Gyro Pitta)はないか聞くが、無いと。
仕方なく4種類のチーズのピザとコーラ、チャイを頼む。15€(約2,025円)。

ホテルに戻って、エアコンをつける。ここではスイッチが入った。