歳をとっても旅が好き

海外ひとり旅の記録?いや記憶かな

トルコからギリシア、イタリアへひとり旅(2018年) <52> まだ28日目 パンテオン、トレヴィの泉で私もコインを投げました(笑)!

<28日目ー2>

2018年 6月10日 日曜日 ローマ 晴れ 29度。暑い。
午前中、フォロ・ロマーノやコロッセオを観た興奮が、まだ冷めやらない。

<ラザニアの昼食、ローマの石畳>

お腹が空いてきたので、また歩き出す。
ヴェネツィア広場周囲は高そうなカフェやトラットリアが多いので、少しずつ離れながら手頃なカフェを見つけよう。
しかし今日は日曜日なのに、どこも店が開いて居る。今まで通って来たシチリアや南イタリアの街では、殆どの店が閉まっていたのでなんだか不思議な気がする。さすがローマだ。

途中、店の外にメニューを書いた看板を出している食堂があった。
メニューを見ると、定食の様なものを出していて、値段も手ごろそうだ。
入ってみる。
奥のテーブルに案内された。昼時を外れた時間帯のせいか、店内には欧米系の若い二人ずれの女性客しかいない。
頼んだのはセットメニュー。どんなものが出てくるか不安だったが、メインはシート状のパスタをチーズとトマトソースで煮込んだ様な、ラザニアみたいなもの。正直、いままでラザニア自体を食べたことがないので、多分だが(笑)。
これと薄いトーストの上に生のトマトが載った小鉢。それにコーラだ。8€(約1,080円)。

量が少ない。そうだ、ローマに来てから出てくる料理の量が少なくなっている。
トルコやギリシアの観光の中心地であるイスタンブールでも、アテネでも、もちろん地方都市でも、高級な店は量が少ない。しかし私が行くような安い食堂では、いつでも山盛りで、食べるのに苦労していたほどだ。それなのに、ローマでは安い食堂でも、量が少ない。
味は、まあ食べられる位で、特段美味しくはないかなぁ。

 

ヴェネツィア広場からプレビシト通り(Via del Plebiscito)を歩き、そこから路地に入って行く。多くの観光客が歩いている。この後をついて行けばどこかの観光地には行けるだろう。しかし今は、時々Google Mapを見ながら歩いている。

ローマの路は石畳だ。アスファルトやコンクリートの様に平らではなく、常に凸凹していて、お世辞にも歩き易い路とは言えない。朝から歩き廻っているので膝や踵が痛くなってくる。
しかし大通りはもとより、路地に入っても何処でも観光客が歩いて居る。これは凄い。南イタリアやシチリアの日曜日は、一部の観光地や大きな通りを除けば、普通の街の路地には怖い程人気(ひとけ)が無かった。

ローマの路は石畳だ。

 

<あこがれのパンテオン!!>

20分位で、ミネルヴァ通り(Via della Minerva)から円形のクーポラが見えてくる。

パンテオン(Pantheon)。いま残る、ローマ時代の最古の石の建築物。
実はここは、ローマで最も行ってみたいところのひとつだった。横から丸いクーポラの姿を見ただけで心が震えてくる。

建物に沿って前に回り込むと、塔と噴水のあるロトンダ広場(Piazza della Rotonda)に出る。正面にパンテオンのファサードが見える。
しかし凄い数の観光客だ。ロトンダ広場には沢山の人が集まっていて、パンテオンの入口も長蛇の列になって居る。
入場券を買う人の列かなと思って見ると、これはセキュリティチェックのためで、此処は入場は無料みたいだ。

正面のファサードは、ギリシアのパルテノン神殿風。
後ろの建物は基礎部分の上に直径43.2mの円形の堂が建ち、その上に半円球のドームが乗っている。床からドームの頂部までも43.2mと、建物の直径と同じらしい。

最初のパンテオンは今から2000年以上前の紀元前25年に、初代ローマ皇帝アウグストゥス(Augustus)の腹心で軍人のアグリッパ(agurippa)が作ったもので、ファサードに「M AGRIPPA L F.COS TERTIUM FECIT」と書いてある。
これはガイドブックによれば「ルキウスの息子マルクス・アグリッパが、3度目のコンスル(Consul)のときに建造した」と言う意味らしい。

コンスルとは古代共和制ローマの最高職で、平時は内政の最高責任者、戦時は軍団の最高指揮官として戦争の指揮も取っていた。常時2名体制で、任期は1年。ローマ市民による民会で選出された。
古代ローマでは、その年を表すのに「何年」とは言わず、「誰と誰がコンスルであった年」と呼んでいたらしい。

実は子供の頃、家の居間にデッサン用の石膏像が置かれていた。その当時、家で絵を描いていた人は居ないので、子供心に博多人形などと同じ単なる飾り物と思っていたが、無骨な男性の胸像なので奇異な感じがしていた。
この男性像がアグリッパで、当時からその名前だけは知っていた。
しかしアグリッパがどういう人なのかは、ローマの歴史に興味を持ち始めてから初めて知った。
しかし、なんでデッサン用の男性の石膏像って、美男子でも、有名な初代皇帝アウグストゥスでもなく、何の変哲もないアグリッパが選ばれているんだろう。不思議だなぁ。

現在目にしているパンテオンの建物は2代目で、紀元128年に皇帝ハドリアヌスが再建したもので、それでも約2000年位は経って居る。

 

パンテオンの前

パンテオンのファサード

中に入ると円形の室内は意外に広く、頭上のクーポラの真ん中に開いたオクルス(Oculus)と言う直径9mの採光のための穴から、光の帯が床に立つ人びとの頭上に注いで、そこだけ輝いて居る。まるで無信心で騒がしいだけの観光客にも、天が等しく慈悲を垂れている様に見える。
喧騒の中に居るのに、何か神々しいものを見るような、幻想的な美しさだ。しばらく見惚れて佇んでしまった。

パンテオンはローマで信仰されていた全ての神々を祀った、いわゆる「万神殿」で、
此処には画家のラファエロや、あの初代イタリア王国の国王ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の墓があるはずだが、人混みの中で探しても分からなかった。

クーポラのオクルスから射す光

パンテオンの中の人々に射しこむ光



<ナヴォ―ナ広場(Piazza Navona)>

パンテオンを出て、ローマ市民の憩いの場所だと言うナヴォーナ広場(Piazza Navona)に行く。
路地をいくつか曲がり、コルソ・デル・リナシメント(Corso del Rinascimento)に出る。
Corso del Rinascimentoって、「ルネッサンス大通り」ってことだね。何故こんな名前なのかは分からない。
「ルネッサンス(Renaissance)」はフランス語で、「再生」や「復活」という意味で、14世紀から16世紀にイタリアから起こった文化運動だが、本家のイタリア語では「リナシメント(Rinascimento)」と言うみたいだ。

確かルネッサンスで最も有名な北イタリアのフィレンツェにあるデパートは、「La Rinascente ラ・リナシェンテ」と言う。
周辺のカフェなどのトイレでは、便器の便座が持ち去られたのか殆ど無くなっているが、このデパートのトイレには便座がある!と聞いたことがある。さすが「リナシェンテ」(復活!)だなぁ(笑)。

そこから商店の間を通ると、横に長い広場に出た。

ナボーナ広場

広場の中には3つの噴水がある。ネプチューンの噴水、ムーア人の噴水の真ん中にあるのが「四大河の噴水」だ。
オベリスクが立つ周りに、それぞれナイル川、ガンジス川、ドナウ川、ラプラタ川を擬人化したと言われる彫刻が配されている。
バロック時代のベルニーニ(Gian Lorenzo Bernini)の作らしい。ローマは何処に行ってもベルニーニ作が多い。

ちなみに、この広場が細長い長方形をしているのは、もともとこの地は古代ローマ帝国の第11代皇帝ドミティアヌス帝(Domitianus)が作った「ドミティアヌス競技場」と言う陸上競技場の跡地だったせいだ。2万人近く収容の、U字型のフィールドを持っていたらしい。


周囲にカフェも沢山出て居るが、ローマ市民と言うより、昼間は観光客の憩いの広場だ。ベンチも皆いっぱいで、座るところもない。
ヴィットリーノに登っても海は見えないが、ローマは海に近く、ここにもカモメが多い。近くで見るとカラスより大きい。
そしてオベリスクが多い。古代ローマはエジプトも支配していたが、そのためだけでなく、古代ローマ人はギリシア文化やエジプト文明など、先人の文化を好んでいたのかな。

4大河川の噴水


<聖イグナチオ・デ・ロヨラ教会(Chiesa di Sant' Ignazio di Loyola)>

前を歩く観光客に導かれるように歩いていたら、路の脇に地味な教会が目についた。
建物自体は変哲もなく、目を見張るほど大きくもない。殆どの観光客は中に入らず、先を急いでいる様だ。

気になったのは、教会のファサードに付けられていた紋章だ。「IHS」と描かれている。これって「イエズス会」(Societas Iesu)の紋章じゃない?!
此処はイエズス会の教会なんだ。急に興味をもって、入ってみることにした。

中央のファサードに「IHS]の紋章がある。


聖イグナチオ・デ・ロヨラ教会(Chiesa di Sant' Ignazio di Loyola)。
イエズス会と言えば、1549年日本に初めてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルはこの会派の宣教師だ。
この教会は、イエズス会の初代総長イグナチオ・デ・ロヨナに捧げられた教会の様だ。

イエズス会は16世紀の宗教改革の最中、1534年にイグナチオ・デ・ロヨナを中心にフランシスコ・ザビエルらパリ大学の学友7人によってフランスで創設された男子修道会だ。
会は、清貧、貞潔、教皇と会の長上への絶対的な服従を掲げ、高等教育、非キリスト教徒をカトリックの信仰に導くこと、プロテスタントの拡大に対するカトリックの防波堤となることを目指していた。
軍隊的な規律、いわゆる「ジェスイット(Jyesuit)的戒律」を持った集団で、「神の軍隊」とも呼ばれたらしい。
1540年ローマ教皇パウルス3世によって承認されると、世界各地への布教に積極的に取り組んでいく。その一環が、ザビエルによるインドのゴアに続いての日本への布教活動だった訳だ。

中に入ってみる。
さぞかし男子修道会にふさわしい質素な佇まいかと思ったが、意外にもここは白地の壁という壁、天井まで隙間が無いほど華麗な絵画や彫刻で埋め尽くされている。
この素晴らしいフレスコ画は、イエズス会の修道士で画家のアンドレア・ポッツオ(Andrea Pozzo)の作だ。

天井から壁まで一面に、これでもか!という様にフレスコ画が描かれている。

この建物にはドームは無いが、彼は17世紀に生まれたクアドラトゥーラ(quadratura)と言う遠近法の技法で、平面の天井にあたかもドームがある様な描き方がされている。ガイドブックなどでは「だまし絵」とも紹介されている。

ずっと同じ姿勢で天井を見上げていると、首が疲れてくる。
ところどころ通路に鏡が置かれているので、何だろうと近づいて覗くと、なんと天井の絵画が写りこんでいる。ああ、この技法で描かれた絵を見てくれと親切心で置いてあるのかな。

ドームがある様に描かれている。


しかし、中の何処を見てもイエズス会らしい?特徴のあるものは発見できなかった。単に私がイエズス会らしいもの?が何であるんか、無知だっただけかもしれないが。

今日は沢山歩いて居る。メトロかバスを使えばいいが、見に行きたいところへの移動がそれぞれ徒歩で約20分位と、交通機関を使う距離でも道順でも無い。ひたすら歩く。流石に脚が痛くなって来た。



<トレヴィの泉で、私もコインを投げました!>

観光客が先を急いでいた訳が分かった!!
コロンナ広場(Piazza Colonna)を通って、またクネクネと路地を抜けて歩く。普通ならGoogle Mapを見ていても迷うが、ローマでは観光客が進む方向について行くと、あった!
トレビの泉(Fontana di Trevi)だ。
周囲の石造りの建物に囲まれていたのが、急に水音がして、明るい空間と涼しげな水面が現れた。

泉は、トレヴィ広場(Piazza di Trevi)に背後のポーリ宮殿(Polazzo Poli)の壁と一体となって作られている。中央に水の神ネプトゥーヌス(ポセイドン)、左に豊穣の女神ケレース、右に健康の女神サルースの彫刻が置かれ、その前に半円形の池が巡っている。
その周囲は凄い数の観光客だ。もちろん私もそのひとりだが。

トレビの泉

トレヴィの泉は、もともとはローマの初代皇帝アウグストゥスが作らせたローマ水道のひとつ、「ヴィルゴ水道(Acqua Virgo)」の終端施設だった様だ。
このヴィルゴ水道は、アグリッパ浴場やネロ浴場のあったカンプス・マルティウ地区(Champ de Mars)まで引かれたが、ローマ郊外の水源の標高24m、終点のカンプス・マルティウ地区の中心の標高20mと言う中で、高度な技術で引かれた水道だった。
その後、教皇クレメンス12世の命令で、二コラ・サルヴィ(Nicola Salvi)の設計、ピエトロ・ブラッチ(Pietro Bracci)の制作で改造し、1762年に完成している。

暑い最中此処まで歩いて来て、水辺でホッとするのはいずこも同じで、池の周りの囲いに腰を下ろした人はなかなか動こうとしない。その周囲も十重二十重の人垣でなかなか近寄れない。
なんとか人の間を縫って池の側まで来て、池の淵に座った人が空いたら、年甲斐もなく軽い身のこなしで間髪入れず座る。ポケットから1Euro硬貨を取り出して、肩越しに後ろの池に放り投げた。
これで再びローマに戻って来られる、かな(笑)。

私もコインを投げました(笑)。

 

<ジェラート、メトロ、そして夕食>

路地を抜けて、一旦Via Quattro Novembreまで出る。
そこで観光施設の周囲ではない、変哲もない普通の通り沿いにあるジェラート(gelato)屋さんに入る。
マンゴーとピーチと洋ナシを注文。4€(約540円)。店内の少し薄暗いイートインスペースに座って食べる。美味しい!!暑く火照った身体に染みるなぁ。

やっぱりジェラートだね

 

歩き疲れたのでホテルに戻ろうと、今度は40分位歩いてメトロB線カブール駅(Cavour)なで行き、ここから地下鉄に乗る。次の駅がテルミニ駅(Termini)だ。
カブール通り(Via Cavour)を渡って、メトロにはある改札でRoma Passをタッチしてホームで待つ。
来た電車に乗り込んだが、ふと電車の先頭に「Laurentina」と書いてあった気がして慌てて飛び降りた。私の行くテルミニに行くのは「Rebibbia」行きの筈だ。「R」と「L」の違いで覚えていた。

トルコもギリシアもイタリアも、鉄道の駅のホームにはそこの駅名の表示だけで、次の駅の表示はない。電車の前面の行先標に書いてあるのは、行く先である終着駅の名前だ。日本で便利さに慣れた身には、なかなか大変だ。

間違ったのに気づいて反対側のホームに行こうと連絡通路subwayを探すが、無い。えっ、まさか、1回外に出るの⁈
結局そのまさかで、仕方なく1回駅の外に出て、またカブール通りを渡って、反対側の入口から入る。こちらはプレートがあって、「Rebibbia」と書いてあった。そのプレートに誰かが手書きで「Termini」と書かれていた。そう書いておいて欲しいと思う人はいるんだよね。

しかし私はRoma Passで何回でも乗換OKだが、普通ならもう一回切符を買い直さなければならないの?!。
そう思ったが、確かローマの地下鉄、トラム、バスは全てATACという会社が管理していて、切符も共通で、決められた時間内なら無料で乗換出来るんじゃなかったかな。そうじゃなかったら、駅内で連絡通路はないなんて不便な上、もう1回切符買いなおしだったら、お客さん怒るよなぁ。

 

テルミニ駅で降り、そのままランドリーに直行したら、洗濯物はできていた。有り難い。これでようやく洗濯した衣類を着られる。

一旦ホテルに戻り、18:00過ぎてから「新金州酒家」に中華を食べに行く。これが楽しみだ。
今日は違うセットメニューで、春巻き、豆腐と野菜の醤油炒め、白米。あとは暖かいお茶。これで6.9€(約930円)。

今日の夕食

テルミニの横にあるスーパーマーケットのCoopで、明日の朝食に食べるクラッカーとジュースのパックを買う。小さなパック3個入りだ。ついでにお土産を品定めする。そろそろ帰国の準備を考える時だ。6.59€(約890円)。