<10日目ー2>
2017年 5月31日 水曜日 ヤンゴン 曇り 相変わらず暑い。
ようやく雨の上がったヤンゴンの街を、散歩している。
<スーレー・パヤーとヤンゴンの町割り>
マハバンドゥーラ通りの先に、黄金に光るスーレー・パヤーが見えて来た。
スーレー・パヤーはヤンゴンのダウンタウンのランドマークだ。
「スーレー」とは古代インドの言語「パーリ語」(Pali)で、「聖髪」を意味する様に、釈迦の聖髪が納められていると言われている。
「チャイク・アトク・ゼディ」とも呼ばれ、モン族の言葉で「聖髪が祀られているパヤー」の意味だそうだ。もともとヤンゴン(旧名「ダゴン」)は、モン族の村だった。
因みに、パヤー(Paya)とは仏塔ストゥーパ(Stupa)のことで、英語ではパゴダ(Pagoda)、ビルマ語ではゼディ(Zedi)とも云うそうだ。
スーレー・パヤーはストゥーパには珍しく八角形のモン族スタイルの塔で、高さは48mある。
そのパヤーの周りを、ラウンドアバウト(roundabout 環状交差点)の様に回って車が行き来している。
ヤンゴンはこのパヤー中心にして、ヤンゴン川の河辺から道路が碁盤の目の様に通る様設計された。
スーレー・パヤーは、南北を貫くスーレー・パヤー通り(Sule Pagoda Rd.)と、ヤンゴン河から北に3本目の東西を貫くマハバンドゥーラ通り(Maha Bandula Rd.)の交差点にある。イギリス植民地政府のヤンゴン政庁が、このパヤーを中心に町割りしたのが良く分かる。
因みにヤンゴンの街はエーヤワディー河(Aye Yar Waddy River)の支流であるヤンゴン川(Yangon River)から始まったと言われているが、地図を見ると、東西に流れるヤンゴン河岸の通りがストランド通り(Strand Rd.)、北に向かって2番目がマーチャント通り(Merchant Rd.)、3番目がスーレー・パヤーのあるマハバンドゥーラ通り(Mahabandoola Rd.)、4番目がアノーヤター通り(Anawrahta Rd.)、5番目がボージョー・アウン・サン通り(BoGyoke aung San Rd)だ。
<市庁舎とマハバンドゥーラ公園>
スーレー・パヤーの北隣りに建つ白い巨大な建物は、1936年に建てられたヤンゴン市庁舎(Yangon City Hall)だ。
ヤンゴン中央駅と同じウー・ティン(U Tin)設計の、西洋建築をベースに細部にミャンマー風意匠を取り入れた、いわゆる「英緬折衷様式」と呼ばれている建物だ。日本で言えば、さしずめ東京国立博物館や九段会館に代表される様な「帝冠様式」と言ったところなのかもしれない。
スーレー・パヤーの南隣は、独立記念塔の立つマハバンドゥーラ公園(Mahabandoola Garden)で、この周囲には旧イギリス植民地時代の建物が多い。公園の木々や外の屋台街越しには、高い時計塔を持つ旧最高裁判所(High Court)の赤煉瓦の壮麗な建物が望める。
ミャンマーの首都がヤンゴンからネピドーに移されたのが2006年で、最高裁判所も新首都に移転しているので、此処は現在、ヤンゴン地方裁判所らしい。
この旧最高裁判所の建物は、イギリス人建築家による設計で、1911年に完成している。
私が公園の前でタクシーを降りると、早速男が寄って来て「Where are you going?
何処に行くんだ?」「Where are you from? 何処から来た?ジャパン?チナ?コレア?」などと言いながら何処までも付いて来る。
面倒なので黙って歩く。公園の中は平日にも関わらず、家族連れやグループ、男女のカップルなど多くの人が憩ってる。多分ここは地方から来たミャンマーの人にとっても観光地なのかも知れない。黙ってずんずん公園の中に入って行くと、いつの間にか男は離れて行った。
暫く散策し、1948年にビルマ独立を記念して建てられた独立記念塔(Independence Monument)下の階段で、小さな子供を連れた若い夫婦や、カップルたちに混じって腰を下ろす。
雨季の最中なので、周囲の緑が瑞々しい。草の匂いが強い。久しぶりにホッとするひと時だ。
かつて、この塔が建てられた場所には、ビクトリア女王(Queen Victoria)の彫像が立っていたらしい。
インドのカルカッタには今もビクトリア女王の彫像が建っている。1947年にイギリスから独立したインドは、英連邦(旧名British Commonwealth 現Commonwealth of Nations)に加盟したが、ミャンマーは加盟しなかった。
この辺りにも、ミャンマー独立時の宗主国との経緯が関わっているのかもしれない。
しかし此処からはヤンゴン川は見えないなぁ。