歳をとっても旅が好き

海外ひとり旅の記録?いや記憶かな

ミャンマーひとり旅(2017年) <26> まだ9日目 ヤンゴンの環状線に乗るが・・・

<9日目ー2
2017年 5月30日 火曜日 ヤンゴン 雨時々曇り 涼しい。
雨模様の中、ミャンマー最大の聖地シュエダゴン・パヤーに参拝したあと、ミャンマー最初のショッピング・モール「ミャンマー・プラザ」に来た。

<ヤンゴン中央駅>
ミャンマー初出店と言われる「KFC」でチキンを食べてお腹は膨れたが、未だ14:30だ。
そうだ、明日にしようと思って居たヤンゴン環状線に、今なら未だ間に合うと思い立った。
ミャンマー・プラザからタクシーで、ヤンゴン中央駅まで5,000ks(約400円)。
ミャンマーのタクシーは未だメーターは無く、全部交渉制。ヤンゴン市内では距離より渋滞で時間が掛かる。

ミャンマー中央駅(Yangon Central Railway Station)は、ミャンマー国鉄(Myanma Railways)最大の駅で、駅舎は市街を南北に貫く道路のうちスーレー・パヤーRd.(Sule Paya Rd.)の1本東側のパンソダン・ストリート(Pansodan Street)に面して建つ、ミャンマーの伝統的建築様式の形をした巨大な建物だ。
寺院建築に多く見られる多段式の屋根(Pyatthat)を持つ、4つの尖塔が特徴的な「英緬折衷様式」と言うらしい。

もとはイギリスによってビクトリア様式の壮麗な駅舎が建っていたが、1943年イギリスがインドに撤退するとき、日本軍の攻撃目標になるので自らの手で破壊していったらしい。
現在の駅舎は、ミャンマー人技術者のウー・ティン(Hla Thwin)による設計で、1947年1月に着工し、1954年5月に完成、6月15日に開業したらしい。
現在この駅は、長距離列車として北部のマンダレー、シャン高原のタウンジー、タニンダーリ沿岸域のモウラミャインなどへ向かう列車の発着駅になっている。

ミャンマー国鉄(Myanma Railways)は、イギリスの植民地時代の1877年にヤンゴン⇔プローム間161マイル(159Km)に路線を敷いたのが最初らしい。
その後、英領インドの鉄道をメーターゲージ(1,000mm)から輸送量を増やすため広軌(1,676mm)に変更する工事が行われ、その余剰になった狭軌でビルマ全土に鉄道網を広げていった。
2014年現在では、全国に6,100Kmの線路、960駅を持っている。
しかし線路の老朽化が進み、1889年開通した中核路線であるヤンゴン⇔マンダレー線(622Km)では、時速60Km/hで15時間掛かっているらしい。
例えば日本の東海道本線の東京⇔大阪時間(556Km)は、新幹線の出来る前、1950年に走った最初の電車特急「こだま」では6時間50分だった。これをヤンゴン⇔マンダレー線(622Km)に置き換えて換算してみると、所要時間は約7時間35分で、ミャンマー国鉄の約半分になる。
私は体調を崩す前、マンダレーへは列車移動も考えて居たが、今の私では止めて良かったかな(笑)。

<駅の構内に入ったが・・・>
しかし今日は長距離列車に乗るために来たのではない。ヤンゴン中央駅からは、長距離列車ばかりでなく「ヤンゴン環状線」(Yangon Circular Railway)が発車している。

ヤンゴン環状線はその名の通り、ヤンゴン中央駅を発車して、市内中心部から郊外までを一回りしてまた中央駅に戻ってくる、全長45.9Km、全39駅の鉄道路線だ。
イギリス領インド帝国のビルマ州の頃、1877年ヤンゴン⇔ダニンゴン間で運行を開始し、独立後の1954年に現在の環状線になったらしい。

各駅停車で1周約3時間近く掛かるが、しかし車窓ばかりでなく、乗り降りする地元の人々の何気ない日常に触れることが出来るとガイドブックにも書いてあり、今回のミャンマー旅行でもこれに乗るのを楽しみにしていたのだ。

早速大きなヤンゴン中央駅の構内に足を踏み入れると、何か薄暗い、長い間使われていない倉庫に迷い込んだ様で、中は薄暗くガランとしている。立ち動くと、埃が舞い上がりそうだ。
しかし目を凝らしてみると、床や階段には何人かの人が座ったり横たわっている。
正面は長距離列車のホームだが、奥は薄暗く、上に架かった小さな行き先表示の電光掲示板の赤色だけが光って見える。

大きな構内やその薄暗さは、以前行ったインド・カルカッタ(Calcutta)のハウラー駅(Howrah railway Station)を思い出す。
駅舎の大きさも構内の薄暗さも似ているが、しかし大きく違うのは、ハウラー駅はどこも足の踏み場も無いほど人がいっぱいで雑踏感にあふれていたが、ヤンゴン中央駅は立ち動く人の姿が少なく、駅機能のほんの一部しか使われていない様な印象だ。
入場するのにもセキュリティチェックは無い。

ヤンゴン環状線は7番のプラットホームから出るらしい。正面入口、左横の鉄格子の様なシャッターに小さな表示があるので、その間から入って階段を上り、跨線橋を通って6、7番ホームに降りる。

跨線橋を通って、環状線の停まる7番ホームに降りる。

プラットフォームには、ミャンマーと日本の協力関係を示した看板

 

<ついにヤンゴン環状線に乗った!!>
ミャンマーの駅には改札が無い。列車や電車の車内で検札をする。だからホームには列車や電車に乗る人だけでなく、物売り、此処に居ついている様な人が何もせず蹲ったり、真っ裸の子供がホームを歩いて居たりする。

切符売り場を捜して辺りを見渡していると、何処からか粗末なシャツを着た黒目がちの利発そうな小学生位の女の子が寄って来て、ホームの先にある小さな小屋を指さしてくれる。「thank you !」と言って小屋に行く。
中にいる相手の顔が見えない位小さな窓口に向かって、「circle、ticket、please」と言えば、ペラペラの小さな紙に「Circular From Yangon to Yangon」と印字された切符を渡してくれる。200ks(約16円)。

ホームにあるヤンゴン環状線の切符売り場

ヤンゴン環状線の切符

 

これで切符は取ったぞと思って振り返ると、思いがけず目の前に先ほどの少女が居て、「water」と言って1.5Lのペットボトルを差し出す。
「えっ?くれるの?」と意外な思いで受け取ると、「2.000ks」と言う。
一瞬「何?」と思ったが、少女は手を出している。
そうか!!
でも、今までホテルやレストランでペットボトルの水を買ったが、ミャンマーに入って売店で買ったことは無かったので、普通はいくらするか分からない。しかし2.000ks(約160円)は高すぎるだろうと思ったが、既にペットボトルを押し付けられてしまった。
しかも、切符売り場も教えて貰ったしと言う私の気持ちを見透かしたように、少女は猶も手を差し出してくる。

仕方なく1,000ks札2枚を手渡すと、あっという間にいなくなって仕舞った。
ホームの柱の下に据えられたベンチに座っていた物売りのおじさんが、「またやられたか!」と言うように面白そうに笑っていた。
私も何か「してやられた!」と痛快な気持ちになって、笑みがこぼれて来た。

また雨が酷くなり、ジメジメしてゴミの多いプラットホームが、吹き込む雨でずぶ濡れになる。
ようやくディーゼル機関車に引かれた長い連結の列車がきた。使い込まれた車両の横には、ミャンマーと日本の国旗が描かれている。現在ミャンマー国鉄の近代化に日本が協力しているらしい。
ミャンマーのプラットホームは低く、列車には三段の踏み段を上らないと入れない。しかも停車時間が短く、降りる人が終わらないうちに、我先にと乗り込むので大変だ。私も手にペットボトルを持って乗り込む。

ようやく来た、ディーゼル機関車に引かれた長い連結の環状線列車

長い連結の列車

走行中も開いたままの扉。隣の座席は雨戸が無く、雨が吹き込んで濡れている

車内の椅子は長いプラスチック製のロングシート。
雨が激しいので、本来開け放たれている窓が、格子状に空気穴が開いたステンレス製の雨戸でほとんど塞がれて居る。
時間的に未だ電灯も灯かないので、明かりは扉を閉めず、開け放たれたままの出入り口からの光だけなので、室内は薄暗いままだ。
目を凝らすと、殆どのシートは埋まって、立っている人は見当たらない。一部誰も座らないシートは、雨戸が無く、開け放たれた窓から雨が吹き込んでシートが濡れている。

外の景色はまるで見えない。
これでは何のために乗ったのか分からない。物売りだけが荷物を抱えて何人も通路を通って行く。
列車は路面電車より遅い速度で、左右上下に揺れながら進んでいく。

ヤンゴン環状線は、一周廻ると3時間以上掛かると言われている。
3時間掛かると夕方の大混雑に当たるかもしれないし、先に行ってから途中で降りると、今度はホテル迄戻るタクシー代が高くなると思ったので、乗り込んだばかりの環状線だったが、パヤーラン(Phaya Lan Train Station)という次の駅で降りて仕舞った。