歳をとっても旅が好き

海外ひとり旅の記録?いや記憶かな

インドひとり旅(1997年) <21 最終回> 11日目 帰国

<11日目ー2
1997年11月22日 土曜日 ニューデリー(NEW DELHI)  晴れ

<帰国のため空港へ
クトゥブミナールの見物を終えてYWCAに戻り、チェックアウト後なので、ロビーで宿泊客数人と一緒にスターTVのインド映画を見ている。
言葉は全く分からないが、殴られて頭から血を流している様なシリアスな展開のドラマが、途中で急に一変して楽し気な歌や集団でのダンスに変わる。
特にダンスは、西洋風のステップを重視したものと違い、上半身の腕や首、肩など身体のいろいろな部位を様々に動かす、一種官能的でコケティッシュな独特の振り付けで、しかもそれをリズムに合わせて群舞するのだから本当に楽しい。
PM2:00、 dining roomでチキンサンドウィッチ、コーヒー(ネスカフェ)、フルーツのデザートを食べる。Rs.70(約245円)。

YWCAの diningでサンドウィッチの昼食

PM3:00 少し前、receptionで預かって貰っていた荷物を倉庫から出してもらい、タクシーを呼んで欲しいというと別棟のtravel agentに行って呉れと。
敷地内の別棟にあるtravel agentで、「Could you call a Taxi for Me?」と聞いたら、YWCAの構内に停まっていた、老人のドライバーのアンバサダーのタクシーに連れて行ってくれた。

International空港までRs.200(約700円)と言われ、後席に乗り込むと、走りながら話をする。
ガソリンの価格はRs22/L(約77円)だと。プリ―でオートリキシャのワーラーが、道端のよろず屋の様な店でペットボトルに入ったガソリンを入れて貰っていたが、確かRs30(約105円) / Lと言っていた。場所や販売する店によって大分値段が違うのかもしれない。
アンバサダーの燃費は14Km/L。またアンバサダー自体の価格はRs.300,000(約1,050,000円)だと。

<ニューデリー空港で日本の現状を知る>
途中渋滞し、PM3:40インディラ・ガンディー国際空港(Indira Gandhi International Airport)に到着。
しかし、空港ビルの入り口には警備の兵隊が立っていて、air ticketを見せないと入れない。
見せると、出発の3時間前からで無いと入場できないと。仕方なく、向かいの建物Visitor RoomにRs.10(約35円)を出して入って待つことにする。

Visitor Roomの入場券

中の土産物店で、店先に吊るされていたインド国旗のプリントされたTシャツを買う。Rs100(約350円)。随分高いシャツだ。帰国前でなければ手を出さない様な値段だ。気持ちが緩んで、金銭感覚が狂ってきているなァ。

TVの前に並んだベンチに座って画面を見ていると、珍しく日本のNHKの海外放送だった。
サッカーの中継で、マレーシアで行われたワールドカップのアジア予選決勝でのイラン戦だった。延長戦に入って岡野が走り込んで決勝ゴールを挙げると、いきなり周り中で歓声が上がった。えっ?こんなに日本人がいたっけ?
でも画面をよく見ると「LIVE」ではなく、11/16日の試合のVTRみたいだ。私がまだプリーに居た時だ。

しかし見続けていると突然ニュースに変わり、「山一證券、自主廃業」のテロップが飛び込んで来た。びっくりした。
今年はバブル崩壊後の金融危機と7月のアジア通貨危機で、日本だけでなくタイ、インドネシアや韓国も大変なことになっている。しかし海外に旅行に出て仕舞うと、殆どニュースが入って来ない。山一證券の前には、三洋証券や北海道拓殖銀行も破綻している。日本は大丈夫かと、暗澹たる気持ちになる。
もちろん私に何が出来る訳ではないが、こんな中にインドをほっつき歩いていたりして。でも帰国してこれからその渦中に帰って行くかと思うと、複雑な思いだ。

PM7:00に航空券を見せ、空港ビルに入る。
此処はカルカッタと違い、近代的なターミナルビルだ。セキュリティチェックを受けてから中に入る。
銀行窓口でAirport TaxをRs750(約2,625円)で買い、残ったRsインド・ルピーを米ドルに再両替をする。

しかしうっかりしていて良く数えず紙幣を窓口に出したものだから、Rs4,900(約$138ドル)あったはずを、Rs3,600(約$100ドル)しかなかったと言われて、$100しか遣さない。
こちらもRs4,900だったはずと頑張ったが、最初にきちんと数えていなかったのと、チェックイン時間が気になっていたので、あきらめた。
最初Calcuttaに着いて$50紙幣を両替する時は、あれほど緊張して、一枚の誤魔化しも見逃さないつもりで銀行員の手元を見ていたのにと自分が情けなくなった。
リキシャワーラーやゲストハウスが悪いと言うが、インドで一番気をつけなければならないのは、帰国時の空港の銀行だと思った。

Airport Tax

チェックインカウンターに並び、ボーディングパスを貰う。ちゃんとカルカッタでのリコンファームが有効だったようだ。

帰国便のエア・インディアのボーディングパス

出国カードを書きimmigrationに並び、出国のスタンプをもらう。
制限エリアに入り、空港内の免税品店で、お土産用の紅茶を4個($12×4)買い、袋だけ3つ貰う。
店内で荷物の詰め替えをしたとき、若い女性店員が私が持っていた安いタージマハール印の紅茶を見つけたので、ばつが悪かったが、市内のスーパーバザールで買ったと言って、拙い英語で暫く話をした。こんなにいろいろ話す日本人は初めてだと言っていた。

エア・インディア「AI308便」のBoardingゲートを通過する時、再度荷物をチェックされ、懐中電灯の電池を没収され、Boarding Passも取られてしまった。
どうなるのかと思っていると、それらは飛行機のタラップの上り口の横に置かれた、小さなテーブルの上に置いてあった。
私が「This is mine.」これは私のだと言うと、Boarding Passだけ返してくれた。電池はいつ返してくれるのだろう。

PM21:50離陸。座席は68A禁煙席。スチュワーデスの座る席の前。
離陸時やシートベルトサインが出た時など、着席しに来るサリー姿のスチュワーデスと目が合うと、はじめは鬱陶しかったが、何度か会ううち、自然に微笑みかけてくれるようになった。
この席は、前の席が無いので背もたれに付いているテーブルも無い。どうやって食事をするのだろうと初めての経験で興味があったが、周囲を弄っているうち座席のひじ掛けの中からテーブルが出てきた。何だか余り感動しなかった。
スチュワーデスが客席にジュースの入った紙パックを配って、機体後部の配膳室(Galley)に戻る途中、余ったジュースのパックを一つ余分に置いて行った。

<帰国の後>
1997年11月23日 日曜日 成田空港 雨のち晴れ
AM7:45(日本時間)雨の中、成田空港着。

到着時、インド滞在中下痢が続いていたので、空港の検疫所の健康相談室に行き、赤痢、コレラの検査をする。検便。
重篤な病気の菌を持ったまま、会社に出る訳にはいかないと思ったからだ。検査の結果、赤痢、コレラの疑いは無いことが判り、帰宅した。

後日、家に保健所から人が来て、赤痢、コレラ以外の検査を勧められ、保健所で検査を受けた。
結果、通常の下痢の原因の一つであるカンピロバクターという菌しか出なく、暫くして治ってしまった。

しばらく経ったころ、勤めから戻ってみると、あのMさんからカルカッタで投函された絵葉書が届いていた。
どうもカルカッタのLytton Hotelで別れたあと、彼はゲストハウスで一緒になった人とネパール迄足を延ばしたとのことだった。
僕が関東に出て行ったら、一緒に飲みましょう。また会える日を楽しみにしていますと綴られていた。
やっぱり彼の方が性根が座っているなァ。