歳をとっても旅が好き

海外ひとり旅の記録?いや記憶かな

インドひとり旅(1997年) <20> 11日目 初めで最後のデリー観光はクトゥブミナール

<11日目ー1
1997年11月22日 土曜日 ニューデリー(NEW DELHI)  晴れ

<クトゥブ・ミナール(Qutab Minar)
AM7:30起床。
AM8:30にシャワー。湯量が少ないが、寒いので温かいのは有難い。夜は寒いのでシャワーせず、日が沈む前か、日が出てからする様にしている。
荷物を纏める。昨日買ったものをザックの中に、洗濯物やお土産の紅茶などはビニール袋に入れる。
AM9:30、朝食。Receptionに行ってミールクーポンを貰い、Dining Roomに行く。
トースト、オートミール、コーヒー(ネスカフェ)、マッシュポテト、オムレツ、オレンジ゙が一つのさらに盛られてくる。
オレンジは外が緑で、小さな伊予柑の様だ。手で剥け、中は日本の蜜柑そっくりで、おいしい。
デリーに来てからは、いつもチャイでなく、コーヒー(ネスカフェ)を飲んでいる。なんとなく安心するのかな。それともカルカッタでチャイばかり飲んでいた反動かな(笑)。

AM10:20、チェックアウト。Receptionで荷物を預かってもらう。サブザックとお土産を入れたビニール袋を、日本から持って来た自転車用のチェーンロックで繋ぎ預けると、倉庫のようなところに入れて呉れる。

AM10:30、YWCAの前に、昨日どうしても「Central Cottage Industries Emporium」に行かず、夕方指を差しながら「I don`t believe you!」と言ったあのオートリキシャが停まっている、
私の姿を見ると、昨日のことなどまるで無かったような様子で、当然のように「乗るのか」と身を乗り出して来た。
しかし無視して反対の左に行き、Ashoka Rd.で通りかかったオートリキシャを拾った。

ドライバーは中年の落ち着いた感じの男性だ。
有名な観光地の、クトゥブ・ミナール(Qutab Minar)への料金を交渉する。Rs.70というがRs.60(約210円)で握った。

乗りこむと、オートリキシャはコンノートプレースを南に下り、大統領官邸からインド門まで続くインドの中央官庁街のラジパス通り(Rajipath)を横切って、鉄道の陸橋を超え、高速道路(?)の下を抜け、郊外に向かって走った。

YWCAからクトゥブミナール、更に空港へのルート

途中、乗っていたオートリキシャが急に止まった。降りてくれと言う。
どうもフロントタイヤがパンクした様だった。
ジャッキで車体を持ち上げて、スペアタイヤに交換するんだろうか。
どうするのかと見ていると、ドライバーが近くを通りかかった若い男性に声を掛けた。
すると声を掛けられた若い男性は、躊躇する様子もなくスタスタ歩み寄ると、ドライバーの指示で車体の前を持ち上げる。
車体の重心が後ろにあるからか、簡単に持ち上がる。
するとドライバーは、パンクしたタイヤ(ホイール)を外して車体の下に宛がい、浮いたフロントアクスルに、トレッドの山が無くつるつるのスペアタイヤ(ホイール)を嵌めて完成だ。鮮やかな手並みだ。

しかし何の関わりもない通りすがりのビーチサンダルを履いた青年は、手助けする理由を尋ねる訳でもなく、まして手伝った謝礼を受け取る訳でもなく、作業が終わると何事も無かった様にすたすたと行って仕舞った。

修理が終わったオートリキシャに揺られながら、思った。
今回の旅行で、海沿いの保養地プリ―でもここニューデリーでも、ガイドやホテルのreceptionやリキシャワーラーからは、一部の人を除いて、強欲、狡猾、厚顔無恥などの印象しか持てずにいた。
でもいま目の前で見た姿からは、いままでのあれは外国人に対する態度であって、インド人社会ではあの若者の様な、お互いを助け合う無私な行為が当たり前に行われているのかもしれない。

翻って自分は、昨日のオートリキシャといい、あんなリキシャワーラーの行為を柳に風と受け流し出来ずに、何でああも意固地になって自分の思いを通そうとしたんだろう。
結局後になってみたら、あのまま「Central」の付かない店でも大差なかったし。
馬鹿だなァとは思いながら、これもひ弱な自分の、インド世界に対する条件反射の様な防御反応なのかなァとも思う。
いつになったら「柳に風」になれるんだろう。でも、その猶予もない。この旅もあと僅か1日だ。

 

オートリキシャのフロントホイールの取替え。坐っているのが手助けしてくれた青年

その後約30分位でクトゥブ・ミナール(Qutab Minar)に到着した。
有名な観光地だけあって、クトゥブ・ミナールのある公園の前は沢山の人で一杯だ。オートリキシャのドライバーに「wait」と言ってちょっと待って貰い、ticketを買おうと売り場を捜す。近くの人に聞くが、それぞれが勝手なことを言い、判らない。
するとようやく、人混みの中に列の出来ている窓口を見つけ、Rs.10(約35円)のticketをやっと手に入れた。

そのままTicket売り場の脇の通路を通って中に入った。
クトゥブ・ミナール(Qutab Minar)は1200年ごろ、モスクに付随して建てられたインド最古のミナレットで、有名なユネスコの世界遺産だ。
ミナレット(Minaret)は、塔の上からイスラム教徒(ムスリム)に礼拝(サラートSalah)を呼びかけるアザーン(Adhan)が流される場所だ。
せっかくインドに来ても、余り興味がなくそれらしい観光地に行っていなかったので、旅行の最後に挨拶代わりに来てみたのだ。

間近で見るクトゥブ・ミナールはとにかく巨大だ。赤と灰色の砂岩で出来た塔は、高さが72m、直径は上に行くほど細くなるが、基底部は14mもあるらしい。
アザーンを流す塔なので、中には階段があって上れたそうだが、以前上っている人が折り重なるように倒れて死傷者の出た事故があって以来、今は中への立ち入りは出来ない様だ。

敷地の中は公園になっていて、学校の遠足なのかユニフォームを着た子供達や、外国人の観光客ばかりでなくインドの人もたくさん来ている。
観光客らしい人に「Could you take a picture for me?」と頼んで、クトゥブ・ミナール(Qutab Minar)の前と、有名な錆びない鉄柱(Iron Pillar「チャンドラヴァルマンの柱」)の前で写真を撮ってもらう。
この「錆びない鉄柱」とは、紀元415年頃に立てられた直径44cm、高さ7m、純度99.72%の鉄(純鉄)で作られた柱だ。表面にはサンスクリット語の碑文が刻まれている。
立てられてから1500年経過しても、錆が内部に進行していないことで知られた有名な柱で、クトゥブ・ミナールと共に世界遺産なのだ。

朝YWCAを出るとき寒かったので着ていたジャンパーが、暑くなって脱いで手にもって歩いたが邪魔で仕方ない。

園内には観光客ばかりでなく、学校の子供達も来ている

巨大なクトゥブ・ミナール

錆びない鉄柱(チャンドラヴァルマンの柱)

AM11:15頃、待ってもらっていた(?)オートリキシャに乗って、12:00少し前YWCAに戻った。
クトゥブ・ミナールの前では人が一杯で、何処でチケットを買って入るのか分からなかったため、ちょっと見てくるので少し待って居ての「wait」が、「return」の意味でとらえて、駐車場で待って居てくれたんだろう。
第一、行きの料金だって払っていなかったのだから、ドライバーにとっては私を待つしかなかったんだろう。申し訳ないことをした。

YWCA迄戻って、往復Rs.120(約420円)と駐車料金Rs.10(約35円)、あと僅かだがチップRs.10を支払う。ドライバーはにっこり笑い、喜んでくれた。