歳をとっても旅が好き

海外ひとり旅の記録?いや記憶かな

南インドひとり旅(1999年) <8> まだまだ3日目 マドゥライからカニャークマリへ、巡礼バスは行く 

<3日目ー3
1999年 2月22日 月曜日 マドゥライ 晴れ

<カニャークマリ行きの巡礼バス>
Hotel Chentoorの階下にあるtravel Agentで待って居ると、22:00に中型バスが裏道からやって来た。
これから、マドゥライ(MADURAI)からインド最南端のカニャークマリ(KANYAKUMARI)(ケープ・コモン)まで、この夜行BUSで移動する。多分距離は、250Kmくらいかな。

バスは年季の入った中型で、車体側面の窓にはガラスが無い。
薄暗い車内は既にインド人の男女で満席だ。小さな子供はいない様だ。皆暗い室内灯の下で黙りこんでいる。どうも普通の長距離バスと言うより、巡礼者の乗るBUSの様だ。このBUSに乗っている外国人は私ひとりだ。
カニャークマリはインド亜大陸最南端の地だが、女神カンニャークマリを祀る寺院のあるインドでも有名な巡礼地なのだ。

最後に乗りこんだので席が無く、此処に座るよう案内されたのが運転席の横の助手席だった。しかしここは座席と言うより物入れの蓋の上で、横に広いが背もたれがない。でも前はウインドガラスなので見晴らしが良いと初めは喜んでいたが、実はとんでもないことだった。

Travel Agentに貼ってあったカニャークマリのポスター

<大興奮の「INDIAN EXPRESS」>
HOTELの裏口から出発したBUSは、深夜のマドゥライの路地を、各ゲストハウスを回ってさらに客を集めていくが、もうバスは満杯で座るところが無い。

22:00、いよいよカニャークマリへ向けての本格的な出発となり、サンダル履きの運転手が床までアクセルを踏み込むと、BUSは一瞬遅れてディーゼルの大きなエンジン音を上げると、猛然と加速を始めた。

深夜といってもまだ人通りの多い町の中を、歩いている人やサイクルリキシャを左右にかわし、前を行く野良牛を促す様にクラクションを鳴らしっぱなしで飛ばす。
町の裏道は、舗装はあっても穴だらけなうえ、BUSの車体もスプリングが固すぎるのか、道路の凹凸をまともに拾う。激しい振動で、内臓が飛び出してしまうような衝撃が続く。
特に背もたれがなく、手すりをしっかり掴まっていないと、のけ反ったり背中を思いきり窓枠にぶつけてしまうので、手は疲れてくるし、背中が当たらないように捻ったままの体は痛くなって来る。
このままの姿勢で何時間耐えて行くのかと思うと、暗澹たる気持ちだ。

一体どうなってしまうのかと思いつつ、街を抜け郊外に出た。
すると、隣にいた助手が室内灯を消すなり、やおら棚からカセットテープを取りだして、BUSのくたびれたステレオ装置に押し込んだ。
するといきなり大音響で、車内いっぱいにインド音楽が鳴り響き始めた。あのうねる様な、リズミカルな旋律は、多分流行りの映画の音楽なんだろう。
しかし乗客は眠っているのか、殆ど話し声も聞こえてこない。一体誰に聞かせる音楽なのだろう。

ヘッドランプに照らされた範囲しか見えない前方の真っ暗な闇の中を、大音響を鳴らしたBUSが、南インドの郊外を、上下左右に間断無く大振動しつつ突っ走っていく。
ガラスの無い窓から容赦無く吹き込んでくる風の中には、郊外の濃密な木々の香りがする。なにか見えない周囲の深い闇の中に、大きな自然が感じられる。

私はインド音楽が始まった時、真っ暗闇の中ジェットコースターの様な疾走と官能的な旋律に、まるで銀河鉄道ならぬ「INDIAN EXPRESS」だと、エクスタシーさえ感じ、身体の辛さを忘れて密かに笑みが零れた。

BUSは漆黒の闇の中、サンスクリット語の「南」( dakshina)が語源だと言うデカン高原(Deccan Plateau)の只中を、インド亜大陸最南端の地カニャークマリ(Kanyakumari ケープ・コモンCape Comorin)を目指して、一路南下していく。

マドゥライからカニャークマリまで