歳をとっても旅が好き

海外ひとり旅の記録?いや記憶かな

インドネシア・ジャワ島ひとり旅(2017年) <13> 5日目 ボロブドゥール遺跡に行く。

<5日目ー1> 

2017年 2月25日 土曜日 ジョグジャカルタは曇り。
ジョグジャカルタに着いて3日目だ。

 

<ボロブドゥール遺跡へ行く>

朝2:30起床。ボロブドゥール遺跡のサンライズツアーを申し込んでいたので、ホテルのロビーで待つ。暫らくすると迎えの車が来て、4:00 出発。

約1時間でボロブドゥール遺跡公園の敷地内にある、ホテル・マノハラ(Manohara)に着いた。

此処でRP450,000(約3,815円)を払い、「マノハラホテルのサンライズツアー」に参加することになる訳だ。と言うことはホテルの旅行代理店で支払ったRp.400,000(約2,390)円は車の送迎代だけか!

「マノハラホテルのサンライズツアー」のチケット

ボロブドゥール遺跡はジョグジャ(Jogja)市内から北西約40Kmにあるケドウ盆地にある。郊外のバスターミナルからも行かれるらしい。料金も今回の10分の1程度だが、流石にサンライズに合わせて運行はしていない。

<いよいよ真っ暗闇の中、遺跡を登って行く>
そこでドライバーと別れてひとりで出発する。

貸し出された遺跡公園エリアの略図と懐中電灯をかざしながら、ところどころに設置された案内表示に従って広大なホテルの敷地から遺跡へと進んで行く。前方の暗闇に、先を歩く人のか細い灯りが見える。次第に木々の間から真っ暗なシルエットで、巨大なボロブドゥール遺跡が現れて来た。

真っ暗闇の中、巨大な遺跡を懐中電灯の灯りで登って行く。

ボロブドゥール遺跡は、正方形の1辺が123mもある最下部を含めた4層の基壇の上に、更に3層の円壇が乗った、高さ34.5mの巨大な仏教遺跡だ。その上には無数の仏像、ストゥーパ(Stupa)が立ち並び、安山岩で出来た黒ずんだ基壇の側面には一面に仏陀の生涯を描いたレリーフが彫り込まれている。

その中を、蹴上がりの高い急な階段を遺跡の最上階層まで登って行く。登りながら、人が少なく何より涼しい夜間で良かったとつくづく思った。

 

ボロブドゥール遺跡は、8世紀から9世紀にかけて、仏教国シャイレンドラ王朝によって約50年の歳月をかけて建設されたが、完成後に王朝は崩壊し、代わってヒンドゥー教国の古マタラム王国がこの地を支配し、またムラピ山(Gunung Merapi 2910m)の噴火のためジャングルの中に埋もれてしまっていたという。

それが1814年、当時ジャワ島を支配していたイギリスのトーマス・ラッフルズにより発見され、1000年に及ぶ眠りから目覚めることになった。

<ボロブドゥール遺跡のサンライズ>
頂上部には既に日の出を待って、国籍も人種も違う人達が各々場所を取っている。私も東向きのストゥーパの横に腰を下ろして待つことにした。
東の空が茜色に染まって来ると、白い雲海の上に過去に何回も噴火を繰り返してボロブドゥールやプランバナン(Prambanan)を灰の中に埋めてしまったムラピ山が、細い噴煙をたなびかせた頂上部を見せ始める。
今日は曇りのため、5:43の日の出の時刻になっても周囲は明るくなるものの太陽自体が見えない。多くの人がサンライズを諦めて遺跡に目を移し始めた6:00頃、漸く太陽が雲の間から顔を出した。

遠く噴煙をたなびかせたムラピ山が見えて来た。

遺跡の周囲は密林の中だ。

夜が明けると、小山の様に盛り上がった遺跡が、森の只中に有るのが良く分かる。周囲一面は鬱蒼たる密林だ。

各回廊に刻まれた彫刻を見ながら、引き返すため遺跡を降り、出発地点のホテル・マノハラの敷地に戻り始めた。振り返ると、先生に引率された制服姿の子供達が、蟻の行列の様に遺跡を登り始めて居るのが見えた。

基壇の側面には一面に仏陀の生涯を描いたレリーフが彫り込まれている。

夜が明けると、巨大な遺跡の全容が見えてくる。

7:00にホテル・マノハラまでもどる。

ホテル内では朝食のビュッフェが並べられて、何人もが食べていた。この料金も「マノハラ・サンライズTour」に含まれていたようだ。

私は食欲が無くそのままドライバーの待つ車に向かった。
車でジョグジャカルタまで帰って来たのはまだ8:10だった。