歳をとっても旅が好き

海外ひとり旅の記録?いや記憶かな

マレーシアひとり旅(2024年) <15> まだまだ7日目 マラッカでの最初のお仕事は?

<7日目ー3
2024年7月28日 日曜日 マラッカMelaka 最高34℃ 最低27℃。
KLのTBSバスターミナルで、予約したバスが来ず、代替えバス(?)に押し込められてようやくマラッカのバスターミナル「マラッカ・セントラル」に到着。しかしGrabが使えないため、泣く泣くぼったくりで有名なタクシーに乗り込んだ。

<マラッカに到着したが>
タクシーに降ろされた場所は、オランダ広場に続くラクサマナ通りJl.Laksamanaの入口で、右手のマラッカ河沿いの建物の壁に、インドネシアの初代大統領スカルノ(Soekarno)が被っていたので有名な、ムスリムの黒い帽子ぺチ(Peci)を被ったマレー人の男性、唐傘を差した中華系とサリー姿のインド系の女性の絵が大きく描かれた、マラッカの観光ポスターに良く登場する広場だった。

マレー人、華人、インド人を描いたウォールアート(ミューラルMural)のある広場

日曜日のせいか、自動車が通行禁止になったラクサマナ通りJl.Laksamana

そこからキャスターの壊れたキャリーバックを引きながら、左右に赤錆色に塗られ、軒廊(こんろう)の付いた旧そうなショップハウスが続く狭い通りを進んで行く。
すると、思いがけず近くに、建物全体が赤錆色に塗られた教会が建つオランダ広場が見えて来た。
この風景は、ガイドブックやポスターなどでお馴染みなのですぐ分かった。
でも、あれっ?ホテルは?
ホテルは、オランダ広場の手前の筈だが、通り過ぎちゃった?
少し戻ると、狭い玄関の上の壁に「JonkRED Heritage Hotel」と描かれ、周囲と同じ赤錆色に塗られた3階建ての今晩からの宿があった。
住所は、16 Jalan laksamana ,Bandar Hilir, Melaka.

ようやく見つけた、ラクサマナ通りに面したホテル

入って直ぐのレセプションで、トゥドン(tudung)を被った女性に、スマホの画面の予約票とパスポートを見せてチェックインする。
意外にもデポジットをRM100とられた。
「トゥドン」とは、マレーシアで女性が被っているスカーフのことだ。アラビア語での「ヒジャブ」(hijab)、マレー語と言葉の似ているインドネシアでは「ジルバブ」(jilbab)と言う。
此処の料金は、ソニー銀行から引き落とし済だが、3泊で日本円で約15,761円。1泊当たり5,253円。

部屋は106号室。ルームカードを貰って、廊下をそのまま奥に行こうとすると、レセプションの女性が慌てて後ろから声を掛けてきた。
そこのエレベーターで上だと。そうか、此処はグランドフロアで、「1階」は日本の2階だった。
部屋の入口はルームカードをタッチして開錠する。
中はこじんまりしているが、清潔そうだ。セミダブルのベッドに白いシーツ。
洗面所のシャワーブースには扉が着いていて、シャワーの飛沫でトイレや洗面所が水浸しになるのを防いでくれる。
ボディーソープやシャンプーのアメニティもある。良いぞ!!

カーテンを開けると、窓は大きいが、隣の建物と密接しているのでイミテーションのつる草をコンクリートの壁に這わせているが、陽が射しこまず、照明を点けないと暗いままだ。
マレーの住居は、昔間口の広さで税金が決められていたらしいので、間口が狭く奥に細長い住居が多くなったと聞いたことがある。だから隣の家との境に余裕がないのだろう。まるで、京都の町家の様だ。
エアコンの設定が24℃なので、外から入ると気持ちいいが、汗ばんだ身体が次第に寒くなって来る。

窓の外はすぐ隣家の壁だ

清潔そうなバスルーム シャワールームにはちゃんと扉がある


<マラッカでの最初のお仕事は>

そうだ、まずランドリーを頼もう。
KLでは洗濯が出来なかったので、洗濯したい衣類が溜まっていた。ラックに置かれていた「Laundry ランドリー」と書かれたプラスチック袋に、キャリーバックから取り出した洗濯物を詰め込んで、グランドフロアのレセプションに持っていく。

カウンターの女性にランドリーを頼みたいと言うと、丁度各ホテルを廻って、シーツやタオルなどのリネンや、客から依頼の洗濯物などを大きな布製の袋に入れて集荷していたランドリー業者が、それを車に積み込もうとしているのを呼び止めてくれた。
私が洗濯物を詰め込んだ袋を見せると、紙を出して、これに記載しろという。
洗濯物の種類はティーシャツ、ドライかウォッシュか、アイロンは必要かなど、1品ごとに細かく分けられている。それによって価格も違うらしい。

実は、海外でホテルや町中のランドリーに、洗濯物を依頼したことは何度もある。
インドネシアやミャンマーでは、袋に詰めて、重さを計ってそのまま出していたし、イスタンブールやシチリア島のシラクーサ、ローマでは「Dry or wash? 」と良く聞かれたが、いつも「Either is fine.」と言うか、それがどう違うか分からず困惑した様子を見せると、店の人がやれやれと言う顔で、そのまま何も言わずに引き受けてくれていた。

今回は、いかにも困惑した様子の私の顔を見て、初め彼女は、私が値段のことを気にしていて、価格が高いのを心配しているんだと思っていたようだ。
そこで、「Write down the type of laundry on this paper?」
「One by one?」
「Is it have to?」
これから洗濯物を袋から出していちいち記入するのかと、手真似を含めてブロークンな英語で聞くと、事も無げに「そうだ」と。

業者が待って居るレセプションの脇で、袋から取り出したTシャツ、ズボン、パンツ、ソックスを広げて、いちいち紙に書きだすなんて、そんな面倒なこと出来ないよー。
価格はOKなので、このまま持って行ってくれないかと聞くと、「No」だと。

それなら、ランドリーは結構、不要だと洗濯物の袋を差し上げて「No, thank you.」と言い、receptionの女性、ランドリーの業者に「Thank you for waiting.待ってもらってありがとう」と伝える。

そして業者が去ったあと、レセプションの女性に、「Is there a laundry near here? この近くにランドリーは無いか」と聞く。
するとホテルの前の道を右に行って、先でまた右に曲がれば在ると言う。
早口の英語で十分には聞き取れないが、身振り手振りで凡そ分かった気になって、お礼を言うと洗濯物の袋を持ってそのまま外に出た。

ホテル前のラクサマナ通りJl.Laksamanaを右に出て、東に進む。ショップハウスの下に続く軒廊(こんろう)の中を通っていく。
この通りを行って、更に右に曲がることは分かったが、問題は何処で曲がるかだ。

しばらく行くと聖フランシスコ・ザビエル教会(St.Francis Xavier’s Church / Gereja St. Francis Xavier)がある。
この双塔式のネオゴシック様式のグレジャ(Gereja マレー語でキリスト教の教会のこと)は、マラッカで最大、1856年に建てられたマラッカで3番目に古い教会でもあるらしい。残念ながら、いまは工事中なのか青いフェンスに囲われている。

その横に道がある。でもちょっと近すぎるかな。
ランドリーは2018年のヨーロッパ旅行でも良く行ったが、南アジアの人が営んでいる店が多かった。
更に進んで行くと、JL.Temenggong通りに出る。この通りは北に行くと直ぐにマラッカ川Malacca Riverに架かるチャン・クン・チェン橋Jambatan Chan Koon Ohengに達する。
この通りを境に、ホテル前のラクサマナ通りJl.Laksamana通りはJl.Bendehara通りと名前を変えて、インド人街に入っていく。多分こっちの方だろう。

この通りにも軒廊は続いていて、ショップハウスの下はインドの香辛料の匂いをさせた食堂や、ヒンドゥー教の仏具などの店が続く。しかし肝心のランドリーは何処にも見当たらない。
待てよ、ヨーロッパの街ではランドリーは南アジアの人がやっている店が多かったが、香港ではローカルの中国人、インドネシアでも地元の人が営んでいた。
何もインド人街にあるとは限らないんだ。此処はすでにホテルからは遠すぎるし、途中右に曲がる道も無かった。

再び来た道を戻って、今度は聖フランシスコ・ザビエル教会の脇道のJl.Banda Kaba通りに入って見る。ここは観光客の多い表通りとは異なって、殆ど人通りがない。時刻的には既に日が翳ってきて良いはずだが、陽射しは未だ強烈だ。

インド人街の通りにも軒廊が付いている

聖ザビエル教会

店らしい建物が無い。横の小路を曲がって見ると。店先にココナッツの実を山積みにしている小さな店舗がある。
喉も渇いているので、店に入ってインド人の主人に、「Excuse me, Can I get coconut juice here?」と聞く。するとおもむろに店先に転がっているココナッツをとってきて、鉈でカットして穴を開け、ストローを挿してくれた。
RM.5(約170円)

ジュースを飲む。美味い。乾燥した身体に慈雨の様に染みわたる。
飲みながら、この近くにランドリーは無いか聞いてみる。するとこの先を右に曲がった、その先にあるという。ヤッター!!