歳をとっても旅が好き

海外ひとり旅の記録?いや記憶かな

ミャンマーひとり旅(2017年) <24> 8日目 ヤンゴンでHISに行き、航空券を購入

<8日目

2017年 5月29日 月曜日 ヤンゴン 雨 時々止む以外、ずっと激しい雨。
昨日モウラミャインを出発して、長距離バスで7時間かけてようやくミャンマー最大の都市ヤンゴンに着いた。

<雨の中、ヤンゴンのHISに向かう>
朝、昨晩チェックインしたHOTEL BAHOSIの頂上階にあるダイニングで、目玉焼きとトースト、フルーツを食べる。
これはホテル代に含まれる朝食だが、今一歩食欲がない。3日間殆ど食べていないので仕方ないか。
このホテルは、ヤンゴンのダウンタウンの西端辺りのアパートの立ち並ぶ地域にあるので、窓から周囲を見渡しても、無機質なコンクリート作りのアパートや倉庫や事務所の様な建物しか見えない。

ティシャツの上に薄いパーカーを羽織り、下はグレーの登山用ズボン。靴はいつものハイキングブーツに着替えて、肩からはくたびれた小さなウェストポーチを斜め掛けして出掛ける。
Receptionで呼んで貰ったタクシーで、日系の旅行会社「HIS」のオフィスに向かう。
昨晩ネットで調べたら、シュエダゴン・パヤー(Shwedagon Paya)の更に北側の地域、ミッドタウンにあるらしい、

旅の初めの計画では、この後予定しているヤンゴン(Yangon)からミャンマー第二の都市で古都のマンダレー(Mandalay)間、シャン高原にある避暑地インレー湖(Inle Lake)からヤンゴン間の2つの長距離移動は、バスか鉄道を使おうと思っていたが、体力的な面を考えて飛行機で移動することにしたのだ。
そのための航空券を、「HIS」で買おうと思っている。

ホテルの窓からは、アパートや事務所の無機質な建物しか見えない

ヤンゴンの市街地図 HISの事務所はミッドタウンにあるらしい


<ヤンゴンの悩ましい交通事情>

ホテルのある場所はダウンタウンの西なので、ミッドタウンまでは結構遠い。しかも雨が降っているし、道路は大渋滞だ。
タクシーのドライバー曰く、「Traffic jam every day, every time.」だと。タクシーの車体はニッサンの古いADバンで、ミャンマーの道路は右側通行だが、右ハンドルの日本仕様のままだ。
そのため時々車が、日本語で「ETCカードが入っていません」とアナウンスする。もちろんミャンマーにはまだETCそのものがないが。

しかしモウラミャインでもそうだったが、街を走る乗用車の殆ど全てが日本車で、それもみな中古車だ。日本製の車は頑丈で、中古車でも故障が少ないから大人気なのだそうだ。しかしいつからこんな状態になったのかと言えば、2011年の1月にテイン・セイン(Thein Sein)政権が出来てかららしい。
その年、1962年から50年間続いた軍政が終わって民政へ転換したが、9月に自動車の輸入規制を大幅に緩和してからのことだと。

2011年に約2万台程度だった日本からミャンマーへの中古者の輸出が、2012年には12万台、2014年には16万台にまで増えている。
2014年を頂点にそこからは減少しているらしいが、昨年2016年には12万台で、その年の日本からミャンマーへの主要輸出品目のうち、なんと64%が「乗用車・トラック」だった。

渋滞で動かないタクシーの窓から雨に煙る街並みを眺めているが、何か違う。
ヤンゴンの街はどこか東南アジアの町らしいゴミゴミ感が少ない。妙にすっきりしている、特に道路は。
車の渋滞は凄いが、その間をすり抜けてくる?あっ!そうだ。
トゥクトゥクが無い、バイクも無い!バイタクも無い!
路上は旧いが車ばかりなのだ。だから、私も何処に行くのにも「タクシー」を使おうとしているんだ!!
ようやく気付いた。急ぐ時や、街中の移動を安くあげたいときに強い味方の、トゥクトゥクやバイタクが無いのは辛い。
聞くと、2003年から政府の命令で、ヤンゴン市内にはバイクの立ち入りが出来なくなっているらしい。

雨足が激しい中でも傘を差して歩く人も多く、腰巻き姿のロンジーに裸足になって歩く人もいる。ヤンゴンは大都会だが、ロンジー姿が多く意外な感じもする。
ロンジーはミャンマーの民族衣装だが、年配の人ばかりか、若い人まで普段の生活着として着ている。
しかしヤンゴンの様な大都会で民族衣装を着て歩いているのは、他の国ではあまり見ない。アジア圏ではミャンマーのロンジーと、パキスタンのシャルワール・カミ―ズ(Shalwar Kameez)が双璧かなぁ。

<HISで航空券をゲット>
ようやく「HIS」の入るビル「YUZANA TOWER」に着いた。

タクシーのドライバーに、3,000Ks(約240円)を払う。
ホテルでも店でもタクシーを呼んで貰うときは、店の従業員に行き先を告げると、店の従業員がタクシードライバーと値段を打ち合わせし、客の私にそれで良いかと聞いてから乗り込むシステムみたいだ。今回も予めホテルの就業員が、タクシーと値段を交渉してくれていた。

やや旧びたビルの裏手に着く。駐車場の出入り口の様だ。オフィスはこの2階のはずなので、エレベーターで行く。ミャンマーは1階がGround Floorで、「HIS」のあるはずの2階は日本の3階にあたる。
エレベーターを降りると、内装の殆ど無い薄暗くガランとした空き部屋の多いフロアの奥に、そこだけ明るく「HIS」の看板が見えた。

旅行会社「HIS」のオフィス

部屋に入ると、中は白い内装で明るく、オフィスらしくPCが何台も並んでいるが、在席者は少ない。
カウンター越しに声を掛けようとすると、そのうちの1人の若い日本人女性が立ち上がって出て来てくれた。
ミャンマーの国内線航空券が欲しいと言うと、直ぐ奥から別の日本人女性が出て来て、対応してくれた。
6月1日ヤンゴン12:30→13:55マンダレー air KBZ US$105。
6月10日インレー11:00→12:10ヤンゴン air KBZ  US$100。

合計$205ドルだった。クレジットカードで支払い、航空券を貰う。
モウラミャインで両替した銀行はKBZ銀行だったが、この航空会社もKBZ、同じ資本なんだろうか。
対応してくれた女性に、近くに日本食レストランが無いか聞くと、5分位の所にあると。

 

「YBS」(Yangon Bus Service)と表示された市営バス

<ヤンゴンで生姜焼き定食>
外に出ると相変わらずの土砂降りだ。しかも何時迄も止みそうに無い。5分位なら大丈夫だろうとShwegondaing Rd.を歩き出す。しかしホテルから持ってきた折り畳み傘があるから頭は良いが、シャツもズボンも濡れるし、至る所に出来た水溜りに靴まで濡れてくる。

これは堪らんと銀行の軒先で雨宿りしていたが、ついでに、このCB Bankでミャンマー・チャットの両替をすることにした。
ミャンマーの銀行では、通貨両替のカウンターは一般の窓口とは別の所にある。
US$200で、270,800Ks。US$1=1,354KsでモウラミャインのKBZ銀行と同じだ。
札束を財布に入れるとパンパンになる。ホテルで受取りを拒否されたUS$100紙幣も、問題なく使えた。
此処でもカウンターの女性に「Japanese restaurant is nearby ? 日本食レストランは近くですか?」と聞くと、5分位だと。

また雨の中を、水溜りを避け、直ぐ横を通る、正面の行先表示板に「YBS」(Yangon Bus Service)と描かれた市営バスが刎ねあげる泥水を除けて行くと、ようやく和食レストランに着いた。

「FURUSATO」と英字で描かれた看板に、赤い提灯がひとつ下がっている。
店内は木肌の見える日本の小ぎれいな定食屋の様な内装で、カウンターもある。他に客がいなかったので、手近なテーブル席に座った。
本当は焼き魚が食べたかったが、写真の載ったメニューを見てもそれらしいのが無く、下痢や嘔吐で苦しんだ後、最初に食べるにはどうかとは思ったが、豚肉の生姜焼き定食を注文する(笑)。
もちろんフリーWi-Fiのパスワードも聞いた。

生姜焼きは日本のそれと同じ様な味で美味しかったが、ミャンマーは何処で何を頼んでも量が多い。久しぶりの肉なのでゆっくり食べ、味噌汁も味わいながら飲んだ。ようやくまともな食事が摂れてホッとするなぁ。
料金は、7,000Ksにサービス料10%、税5%が付いて8,050Ks(約US$6 約645円)。

これから何処に回ろうかと考えたが、ボージョーマーケットは月曜で休みだし、シュエダゴン・パヤーはこの雨では洪水のようだろう。
何より濡れた衣服が店のエアコンで冷たくなって来ている。下痢の次は風邪にはなりたく無いので、店でタクシーを呼んで貰い、そのままホテルに戻った。3,000ks(約240円)だった。