<新しい旅のはじめ>
<注記>
これは、2000年に行った旅行の記録です。
地名の表記などは現在と異なっていますが、あえて旅行当時のままにしてあります。
記載内容の事実誤認や誤謬は、全て筆者の勉強不足であり、他意はありません。
<1日目>
2000年3月9日 木曜日 成田空港 晴れ 20℃。
<成田空港から3度目のインドへ出発>
朝、06:30出発。
山手線の日暮里駅で、京成線に乗り換える。しかし予定していた07:15のスカイライナーに乗り遅れてしまったので、やむを得ず特急で成田に向かうことにする。途中佐倉駅で、成田空港行きに乗り換え。
09:00過ぎ、成田空港の第2ターミナルに到着した。
早速出発フロアの、JAL日本航空「H」Counterでcheck in手続き 。
「JL471便 52D席」のボーディングパスを貰う。
荷物は旅行のときいつも使っているMilletの30L程のサブザック1つで、これは機内に持ち込む荷物(Carry-on baggage)なので、預け入れの荷物(Checked Luggage)は無い。
帰国便の「JL472」には、リコンファームReconfirmが必要なのか聞いてみた。
これは、いま世界の主要なエアラインは、リコンファームが不要になりつつあると聞いていたが、これまでインド旅行で使った航空会社はみなリコンファームが必要だったからだ。
JALのグランドスタッフの女性は、「いいえ、必要ありません」と言った。
出発は11:30。飛行機の機体は、エンジンが3発のマクドネル・ダグラス(McDonnell Douglas)のMD11型。主翼下に2基、後部の垂直尾翼の基部に1基エンジンを搭載した「三発機」だ。
機内はインドへ向かう日本人の観光ツアーの人達で満席だった。
若い人は少なく、年配の人が殆どだが、婦人も多く、みな胸にツアーのバッジを着けている。
インドに観光旅行に行こうとするツアー客って、どんな人たちなんだろう。
凡そ欧州やアジア、ハワイなど殆どの観光地を廻って仕舞って、行き漏らしたか物珍しさでインドを選んだ人か、反対にインド美術や文化に憧れを持つ人か、あるいはちょっとした冒険心を満足させる場所として選んだのだろうか。
自分を他所に、そんな要らぬおせっかいな疑問を思い浮かべている間に、飛行機は飛び立った。
以前のインド旅行で使用した1997年のエア・インディア(Air India)、1999年のエア・ランカ(Air Lanka)とも、いずれもフライトは夜で、ひたすら真っ暗な闇の中を飛び続けていた。
それに比べ、今回は昼便でしかも窓側の席なので、飛びつづける先々で、眼下の雲海や、時折その隙間から覗ける曇の影を映した海、海岸線、緑の大地、そして次第に暗くなって行く中、大地に細い光が続く村や街までを眺め続けた。
<旅の準備は>
今回の旅は、インドとその隣国パキスタンを巡ろうと思っている。
1997年の最初のインド旅行以来、航空券などの手配をして貰っている西新宿の旅行代理店に、今回も航空券等の手配をお願いした。
当初の目論見では、3/9成田空港→ニューデリー(New Delhi)、 3/10ニューデリー(New Delhi)→アムリトサル(鉄道移動)、そこから陸路で国境を越えてパキスタンのラホール(Lahore)に入り、3/19イスラマバード(Islamabad)から成田に帰国というルートを考えていた。
しかし勤務先で取れる休暇の都合と、フライトの便が上手く合わず、一旦ニューデリー(New Delhi)に入ってから即パキスタンのラホール(Lahore)まで飛行機で移動し、帰りは陸路で国境を越えてインドに入って、ニューデリー(New Delhi)から帰国というルートに変更した。
旅行期間は、3月9日(木)から20日(月)まで、12日間だ。
それを踏まえて旅行代理店に以下の依頼をした。
①航空券 3/9成田空港→ニューデリー(JAL)、3/10ニューデリー→ラホール(PIA)、3/19ニューデリー→成田空港(JAL)。
②ホテル それぞれインド到着日の3/9ニューデリー(1泊)と、パキスタン到着日の3/10ラホール(1泊)。
③列車 3/18アムリトサル→ニューデリー間。
④上記の他に、インドとパキスタンのVISAの手配。
旅行代理店への支払いは、¥153,040円だった。
他に、旅行前の準備としては、海外旅行傷害保険に加入。¥13,760円。
また持って行くお金は、以前のインド旅行で使ったトラヴェラーズ・チェックと米ドルの現金。米ドルの現金は、富士銀行で両替した。
¥55,300円→US$50だったので、ドル/円のレートはUS$=¥110.6円だった。
あとは前回のインド旅行で残ったルピー札。
<3度目のインドに着いた!!>
成田空港を飛び立った飛行機の到着は17:40の予定だったが、30分遅れて現地時間18:10に、インド、ニューデリーのIndira Gandhi international Airportに到着した。
日本との時差は-3時間30分なので、飛行時間は10時間10分と言うことか。長かった。
空港のimmigration では、1997年の最初のインド旅行の際にはカルカッタ(Calcutta)の空港で大慌てで書いたので、今度は忘れずに機内で書いておいた「Disembarkation Card」とVISAのシールの貼ってあるパスポートを出すと、特に質問も無く入国スタンプを押してくれた。
荷物も、手荷物(carry-on baggage)として機内に持ち込んでいた30L程度のサブザック一つだけなので、預入れ荷物の出てくるのを待つこともない。
Customも税関申告書を出して簡単に済み、前回のインド・ルピー札Rs.2000が残っているため両替も不要なので、そのまま空港の制限区域の外に出た。
突然、匂いが鼻を突いた。あのインドの匂いだ。
何の匂いなんだろう。マサラ(masala)?
不快でなく、不安でなく、むしろ懐かしい様な匂い。以前の旅ではともすると不安が先に立って居たが、今回はむしろ、いよいよだなァという高揚する気持ちが沸き上がって来る。
制限エリアを抜けると、外では日本で手配をお願いした西新宿の旅行代理店の現地Agentの人が、手に私の名前を書いたカードを掲げて迎えに来てくれていた。
彼の車で、Maharaja Ranjit Singh Rdにある今晩の宿泊先、Hotel Ranjitに着いた。
そのままreceptionでCheck inする。
Hotel Ranjitは鉄道のニューデリー駅とコンノートプレースの中間位、やや東寄りにある、日本人ツアー客向けのEconomyなホテルと言う感じで、私の泊まった101号室も旧くて、良く言えば簡素だ。
TVの乗った台が傾いでいて、上に載ったTVも映った画像も歪んでいる。こんな家具が、そのまま置かれているホテルだった。