<1日目ー6>
1997年3月12日 水曜日 釜山 晴れ
<釜山の夕暮れ マクドナルド>
外は夕暮れになっていたが、コートを着ていなくとも寒くない。3月の韓国は未だ寒いと思っていたのに、意外なほどだ。
釜山は朝鮮半島でも最南端だから、日本とあまり変わらないのかもしれない。
少し歩いてみようと中央路まで出て、コンビニの角を南浦洞(ナンポドン)の方へ行くと、右手にマクドナルドがあり、その先に釜山中央郵便局が見えた。
初めての異国の地で、こんな時間にひとりで、こんな軽装で歩くことが妙に楽しくて、食後のコーヒーでも飲もうとマクドナルドに入った。
カウンターにいた制服の若い女性に「May I have a coffee, and Apple Pie. Please.」と言ったら、「この人突然何を言い出すの?!」と言わんばかりに当惑し、意味が判らない様子なので、自分の発音が悪いのかと、カウンター後ろに掲げられた品書きのパネルを指さしながらもう一度言ってみる。
すると今度は、頭髪を刈り上げて、レンズの小さな縁無し眼鏡をかけた白いワイシャツ姿の店長らしき若い男性が出てきて、「Coffee?」と聞く。
「Yes. and apple pie.」と言うと、やっとトレイに品物が並んだ。
コーヒーW700(約98円)、アップルパイW800(約112円)だった。
品物の載ったトレイを持って窓際の席に座り、店内を見渡すと、男女の二人連れが数組いるだけだった。
ここはオフィス街で、もう退社時間は過ぎている頃なのにと思ったが、近くに南浦洞などの繁華街があるので、人はそちらに流れているのかもしれない。
暫くコーヒーを飲みながら、外国の釜山の街で、こうして緊張せず楽に呼吸していられることがうれしかった。
窓の外では、キャップを被り、斜めに襷を掛けた中年の男性が、しきりに駐車する車に指示しているのが見えた。
この裏通りは、路の半分位を白線を引いた駐車スペースにしているらしい。それを見るともなしに眺めている。
車が来ると、襷掛けの男性が飛んできて来て、舗道に向かってバックさせている。
舗道には街路樹もあり、標識もある。駐車スペースは白線で囲んであるだけで、後ろにぶつからない様な車止めがある訳でもない。そこをバックさせるのだが、その男性は見ているだけで誘導する訳でもない。
ある車は正に後ろが街路樹で、そこにすっとバックしたので思わず危ないと思ったが、ぎりぎりのところで停まった。襷掛けの男性が注意したわけでもなく、停まった時まだ車はやや斜めのままだったので運転手の判断だったのだろう。
そこで驚いたのは、停まった車から降りてきたのは若い女性で、ドアを閉めると車の後ろも見ずに助手席から降りた年輩の女性と一緒にさっさと行ってしまったことだ。
すごい技術だと感心したが、では一体あの襷掛けの男性は何をしている人なのか不思議に思った。
きっと此処が駐車スペースだと教えているのか、ルール通り車を停めているか「見守って」いるだけなのかもしれない。いろいろなやり方があるものだ。
<コンビニで買い物>
マクドナルドを出て、角のコンビニに入った。
宿の風呂場にあった石鹸は先客が使ったものらしく、使いたくなかったので、このあと旅行中持ち運べるようにボディシャンプーと歯ブラシ、それに何か食べるものを買いたかった。
しかし入ったコンビニの店内は日本の3分の1位の広さしかなく、品数も石鹸で2、3種類、ボディシャンプーはなく、食べ物もスナックが数種類とチョコレート、ガム位しかない。
まだコンビニエンスストアが発展途上のような気がした。しかしそうであるのは、専門の小売業者のお菓子屋や雑貨屋が健在だと言うことかもしれない。私は言葉が喋れないので、黙っていても買えるマクドナルドやコンビニに来てしまうが、専門店が生き残っている方が文化的には健全なような気がする。
日本にコンビニが多くなったのは、同国人でも異邦人的な考えのひとが増えたからかもしれない。
緑色の固形の石鹸、歯ブラシ、チョコレート、黒一色のボールペンを買い、袋に入れてもらう。
「How much?」と聞くと、カウンターの女性は私が外国人と分かって、黙ってレジスターの表示を指さした。W4,500(約630円)を支払い、「カムサハムニダ」ありがとう、と言って店を出た。
ソウル荘旅館に戻り、階段を上がって中二階のフロントに行くと、折り目のなくなった様な茶のズボンに、白いワイシャツ姿のご主人が禿げ上った頭をこちらに向けた。
日本語で「207」と言うと、黙って鍵を渡してくれた。韓国では旅館で鍵は渡さないものなのかと思っていたので、意外だった。また、明日はどうするとも何も聞かない。
2階に上がり、従業員の部屋の前を通ったが誰もいなかった。
突き当たりの「207」の鍵を開け、電気を付けてもう一つの扉を開けると、黄色い床と薄い黄土色の壁紙の部屋に、出掛けたときと同じ様にザックが置かれて、衣類掛けには去年の父の通夜に着た、父の形見の茶色いコートがそのまま掛けられていた。何か荷物だけではない、今日一日やってきたことが裏切られなかったような、安堵感を感じた。
TVをつけ、浴室に行って歯を磨き、バスタブの中で買ってきた緑色の「竹石鹸」で体を洗い、日本から持ってきたシャンプーで頭を洗い、シャワーで流す。湯を溜めて、バスタブに浸かろうという勇気はなかった。
浴室を出るとTVでドラマをやっていた。他のチャンネルに切り替えても、ドラマかニュースしかやっていない。当たり前だが、すべて韓国語で、分からない。
黙って見ていたら、食事のシーンがあり、ご飯を箸(チョッカラ)でではなく、スプーン(スッカラ)で食べていた。明日からやってみよう。
目覚まし時計を7:00AMにセットして布団に入った。シーツも清潔で、床からの熱で布団も暖かく、知らぬ裡に寝入ってしまった。