<1日目ー4>
1997年3月12日 水曜日 釜山 晴れ
<ソウル荘旅館(ソウルジャンリョガン)>
見知らぬ婦人とのやり取りで、急に飛び込むことになってしまった「ソウル荘旅館」は、茶色の4階建てのビルで、一階が食堂(入口は裏)になっている。
右端の温泉マークにハングルで「ソウル荘旅館(ソウルジャンリョガン)」と描かれた扉を入って、階段の先の踊り場の様な中二階にフロントがある。
しかし誰も居らず、私が「Excuse me.」と言いながら二階まで上がると、薄暗い廊下の奥から黒いTシャツに黒いズボン姿の、痩せて頬骨の出た40代位の女性が出てきた。私を見て、いきなり日本語で「部屋?」と言いながら、入口にある「201」号室に案内した。
部屋は四畳半位のオンドル部屋で、くすんだ緑色のタイルが貼られた二畳ほどのトイレ兼浴室が付いている。オンドルの床は黄色いリノリュウムのようなものが貼られていて、暖かい。
部屋の三分の一位には昼間から布団が敷いてある。しかしそれが何となくきちんとされておらず、床にも食べ残しの様な細かいゴミが散らばっている。
私は疲れて、やっと辿り着いた安堵から部屋の床に腰を下ろしていたが、この違和感に駆られながらも「How much? One night?」と聞くと、W20,000(約2.800円)と指を二本立てて言う。
「Discount please!」と言うと「No discount.」といって首を横に振る。そしてもう交渉はお終いだと言わんばかりに宿帳を出し、名前、日本の住所、パスポートナンバーを書けと言う。
私はペンを取り出し書き出そうとしたが、ふとこの部屋は前の泊まり客が出たばかりで、まだ掃除もろくにしていないのではないかと思った。
「May I see the another room?」と言い、ここは通りに面していてうるさいと日本語で言い、再度「Another room. Please.」を連発した。
女性はあからさまにいやな顔をして、今度は辿々しいが日本語で他の部屋はないと言う。
私は宿帳を持って立ち上がり、もう一度「Another room.」と言うと、仕方ないというように暗い廊下に出て、奥へ歩き、突き当たりの「207」号室の扉を開けた。
そこは部屋の造りは「201」と同じだが、布団もきれいに敷いてあり、傍にタオルも重ねておかれていた。床もきれいだった。
明らかに「201」は先客が出た直後で、掃除もろくにしていなかったらしく、そのまま客を入れてしまおうとしたらしい。
あれほど他の部屋は無いと言っていた女性は、先ほどまでの渋面は何処へやらで、これでいいかと言うように、「207」だから割り増しだとも言わず、私が書き込んだ宿帳を持って行ってしまった。

<オンドルパン>
部屋に入り扉の鍵を何回も確認して閉めると、荷物を投げだし、コートを脱いで掛け、そのまま布団のうえに横になった。朝早くから続いた緊張から、やっと一息つけた気がした。
「207」のオンドルバンは四畳半程度の広さで、床がリノリュウムのようなシートが部屋一面に敷いてある。天井は日本の家とほぼ同じくらいの高さで、韓国らしいのは窓や引き戸のガラスに填っている格子模様だ。
引き出しが二段の低いチェストがあり、上にTVや古い鏡台、水差しなどがおいてある。
此処は通常の宿屋としてだけではなく、オフィス街の裏手にあるので、昼間のいろいろな意味での「休憩」にも使用されているのだろう。
浴室はタイル貼りで、洋式のトイレと、大理石模様なのかベージュが単に汚れて落ちなくなっただけなのか判らない様なバスタブと洗面台がある。
それはいかにも古びた様子で、私が電気をつけ戸を開けると、緑色のタイルの上を黒い小さなものがさっと部屋の隅に散った。料金からある程度のことは覚悟していたが、まだ3月だろうと苦笑してしまった。
17:00PMに夕食を食べに行こうと部屋を出た。
サブザックとコートは置いて、パスポート、帰りの航空券、T/Cは腹に巻くベルトの中に入れた。鍵はドアを閉めると自動でロックするオートロックだ。開錠するキーをまだ貰っていない。
廊下の途中に従業員の部屋があり、中を覗くと先ほどの女性がいたので、日本語で出かけてくると言うと頷いた。
階段の途中にあるフロントに主人らしい頭の禿げた男性がいたので、日本語で出かけてくると言うと、日本語で何号室かと聞くので「207」と言うと、頷いて、帰ってきたら私に言えば部屋の鍵を開けるからと言う。