歳をとっても旅が好き

海外ひとり旅の記録?いや記憶かな

韓国ひとり旅(1997年) <25> 5日目ー4 ソウルの夕食「アンニョンハセヨ!」

<5日目ー4

1997年3月16日 日曜日 ソウル 晴れ

 

<パゴダ公園は・・・>
一方、ソウルで「三・一運動」が起こった「パゴダ公園」がこの近くにあるらしいので、行ってみたかったが、釜山での韓国の人とのトラブルが頭に残っていて、またその公園で諍いを起こしてもいやだなとの気持ちで、足が向かなかった。

この「三・一運動」(「万歳事件」)とは、日本統治時代(1910年8月29日の日韓併合から1945年8月15日まで)の、1919年(大正8年)3月1日に起きた朝鮮の独立運動だ。
先に亡くなった大韓帝国初代皇帝高宗の葬儀が3月3日に予定されていたため、これに合わせ、この日京城(現ソウル)鐘路の「パゴダ公園」に、33名の民族・宗教指導者が集まって、「吾らはここに、我が朝鮮が独立国であり朝鮮人が自由民である事を宣言する」で始まる「独立宣言」を読み上げ、万歳三唱をしようとした。

 

実際に宣言文が読まれたのは、近くの仁寺洞(インサドン)の泰和館という場所らしいが、当初宣言文の読み上げが予定されていた「パゴダ公園」には、女子学生を含めた数千人規模の学生が集まり、集会後「独立万歳」と叫んで市内をデモ行進した。

日本の朝鮮統治機関である朝鮮総督府の官憲による弾圧にも関わらず、半島全土で100万人以上が参加し、数千人の犠牲者が出たこの出来事が、朝鮮独立運動が半島全体に広がる契機となったと言われている。

ソウル鍾路1925年(大正14年)の地図 
〇印は、左から普信閣、YMCAの場所、パゴダ公園

 

「普信閣」を出て、鍾路を左折。南大門路(ナムデムンロ)を南に向かって歩く。高架道路を過ぎ、乙支路(ウルチロ)の先にあるロッテデパートに行ってみる。
2年前、家族で来たときは新羅デパートに行った記憶があったからだ。その時はガイドさんに連れられて行ったので、それが何処にあったのかすら分からなくなってしまった。
ここでお土産のキムチを探す。
キムチ×4個。W6,500×4個=26,000(約3,640円)とお菓子W4,000(約560円)を買う。
結局、自分の宿代や食事代をいくら倹約しても、お土産となるとタガが外れてしまう。

 

<韓国最後の夕食>

一度ホテルに戻り、荷物を置いてから、夕食を食べにまた外に出た。
大衆食堂のような、入り易そうな食堂で夕食を食べることにする。
旅の最後位、ファストフードじゃなく、韓国の普通の人が食べている食堂で、本場の「大衆飯」(?)を食べなくちゃと、ちょっと意気込んで入った。

店内は、沢山のテーブルが並んだ日本の大衆食堂そのままの雰囲気で、既に人でいっぱいだった。そのテーブルの間を、料理の乗った盆を掲げた女性が、人をかき分けて通っていく。
何とか空いたテーブルに着いたが、側を通るウェイトレスの女性にどうやって声を掛けたら良いか分からない。

注文を伝えようとウェイトレスの女性を呼ぶつもりで、知らず「アンニョンハセヨ!」、「アンニョンハセヨ!」と、通りかかった女性に手を挙げながら呼び掛けた。
声に気付いたウェイトレスの女性は振り返るが、怪訝そうな顔をして、皆行って仕舞う。

何回か連呼しても誰も来ないので、韓国の食堂は随分客を邪険にするんだなぁなどと憤っていたが、少し冷静になって考えたら、「アンニョンハセヨ!」って、「こんにちは!」じゃないかと気付いた。
おじさんが手を挙げて、大声で「こんにちわ!こんにちわ!」って言っていたら、誰だって引いてしまうだろう。赤面ものだった。

あらためて「Excuse me!」と声を掛けると、漸く女店員が寄って来てくれた。
ここでも写真付き、ついでに日本語のフリガナ付きのメニューを見て、ユッケジャンを注文する。
ようやく注文が出来て、安堵する。でも、店員さんを呼ぶときって、韓国語で何というんだろう。
戦前は朝鮮人同士で呼び合うときに「もしもし」の意味で使っていたと森崎和江が書いていたが、今でも「ヨボセヨ」なのかなぁ。


しばらくすると、どんぶり(クックロッ)に入った真っ赤なユッケジャンスープに、ご飯、副食材の入った金属製の碗(グルッ)が運ばれてきた。
スプーン(スッカラ)で口に運ぶと、辛いが、熱くておいしい。ご飯が進む。
今度の旅行で食べた中で、一番うまかった。
W5,000(約700円)。

帰りにセブンイレブンに寄って、下着を買う。W6,600(約924円)。
今回の旅行では、結局一度も洗濯をしていないし、ランドリーにも出していない。流石に、手持ちの下着がなくなったのだ。