歳をとっても旅が好き

海外ひとり旅の記録?いや記憶かな

韓国ひとり旅(1997年) <20> 4日目ー2 大邱慶尚監営と大邱の工事

<4日目ー2

1997年3月15日 土曜日 大邱 小雨 

 

<中央路(チュンアンノ)>

いまの大邱はどんな町なんだろう。
歩き出す前に、今日すべきことをしなきゃと、七星南路(チルソンナムロ)という通りに面しているホテルを出て、目の前にある昨日着いた大邱駅に行く。
明日の大邱駅発ソウル行き列車の時刻表を見るためだ。

駅を出ると、周囲は到るところが工事中で、広範囲な部分を交通規制して、一部の道路は鉄板で覆われている。大規模な工事が行われているようだ。
そのまま線路の南側を南北に通る中央路(チュンアンノ)に出た。大邱の中心地は、こちら側らしい。

中央路は、片側2車線の道路であまり広くない。
しかし前述した森崎和江の「慶州は母の呼び声」の中でも、1937年(昭和12年)「七夕の夜、ろこうきょう事件が起こった。七月の二十日過ぎに、八十連隊も出征した。軍旗を先頭に大勢の将兵が出征するのを、わたしら小学生も中央通りの朝鮮銀行の四つ角に全校生が整列して見送った。日の丸の小旗をふり、万歳を叫ぶ中を、文ちゃんのお父さんも馬に乗って駅へ向かった」とある様に、「中央通り」(中央路)は、昔から大邱駅に向かう主要道路だったのだろう。

その道の車道の一部も、工事の跡か埋め戻されたようになっている。歩道部分の舗装も剝がされて、土がむき出しになっているので、雨に濡れて歩き辛い。足を踏み出すたびにぬかるんだ泥にはまり、踵を上げるとばらばらと泥が散る。
だいぶ大掛かりだけど、何の工事なんだろう。

通り沿いの商業銀行(サンオベン)で両替をする。
手持ちのウォンがW52,000(約7,280円)しかなかったし、明日は日曜日で銀行も休みになってしまうからだ。
¥20,000円のトラヴェラーズ・チェックで、W133,440だった。
釜山ではW142,992やW140,694だった。何故か、だんだんレートが悪くなる。

商業銀行での両替

 

<大邱慶尚監営>
小雨の中、歩き辛い中央路を少し横に入って、釜山の地下街で買った折り畳み傘を差しながら南に下っていく。
狭い小路の左右は煉瓦の塀で、ちょっと見ると屋敷町のように人が少ない。

右手に伝統的な韓国様式の門が現れた。
よく見ると、門自体は以前塗ってあった「丹青(タンチョン)」がすっかり剥げてしまっているが、軒端の反った瓦葺の屋根には、8体の雑像が並んでいる。
この雑像の数は、建物の権威に比例しているらしいので、もしかしてかつては重要な建物だったのかもしれない。
掛けられた扁額を読むと、「慶尚監営(キョンサンガミョン)」と描かれている。

改めて持ってきたガイドブックを開けて見る。どうも大邱のある慶尚道の道庁にあたる役所の跡らしい。森崎和江の著書にも載っていた場所だ。
しかし、今は「慶尚監営公園(キョンサンガミョンゴンウォン)」になっているみたいだ。

旧慶尚監営の門 屋根の上には8体の群像が乗っている


朝鮮時代、大邱はこの「監営(カミョン))を中心に、城壁や城門が築かれ、カミョンの東側が「東城路(トンソンロ)」、北側が「北城路(プッソンノ)」、南側が「南城路(ナムソンノ)」、西側が「西城路(ソソンノ)」で、確かに今の地図でも道路の角が直角ではなく緩やかに丸くなっている。
これが、森崎和江が書いた、日本に併合されると「またたくまに取りはらわれた城壁」の跡なのかもしれない。その外に三笠町などの日本人が造った新市街が広がっていた様だ。

その西の城外にあったのが「西門市場(ソムンシジャン)」だったらしい。
確かに、今の地図を見ても「西門市場」がある。

興味を覚えて、「監営(カミョン))跡の中に入ろうとすると、内には多数の車が停まっているが、人気がない。
奥には似たような建物やガゼボ(東屋)が点在しているのが見えるが、いたるところ地面が掘り返され、バックホーなどの建設用重機が小雨の中に置かれている。どうも改修工事中の様だ。立ち入って良いのかも分からない。

整備中の慶尚監営公園

 

<大邱郵便局>

仕方ないので、「慶尚監営公園」の裏手に当たる前洞(チョンドン)にある大邱郵便局(テグ ウチェグク TAEGU POST OFFICE)に行ってみる。ここでソウル行きの鉄道の切符を買おうと思ったのだ。

先ほど駅に行ったとき買えば良かったが、ガイドブックでは、特急などの指定券は、駅の他旅行代理店、街の中央郵便局でも扱っていると書いてあったのだ。
これは珍しい。韓国ならではの体験と思って、試してみたかったのだ。

監営公園の南側を東西に走る道「慶尚監営通り」(キョンサンガミョンーキル)沿いに、大邱郵便局があった。
ガイドブックによれば、この辺りは森崎和江が書いた、日本統治後に新たに設けられた憲兵隊や大邱警察署、殖産銀行などが集まっていた、当時の官庁街だった様だ。

入ってカウンター越しに、制服姿の受付の若い女性に「Excuse me. Can I have a ticket to Seoul station, please?」と言って、切符を買いたいと申し入れると、にべもなく此処では販売していないと。
しかし郵便局で鉄道の切符を求めるという的外れなことに、意外にもあからさまな否定と言う訳ではなく、どうも今まではやっていたけど今はやっていないというようなニュアンスなのだ。
逆に、鐘里一街にある「アリランTRAVEL AGENT」という旅行代理店を紹介された。しかも親切に、紙にそこへの道順まで書いてくれている。

若い彼女は英語が少し分かるようなので、こちらもnot goodな拙い英語で話しかけてみる。
「In Daegu,There are many construction sites?」大邱って、工事してるところが多いねと聞くと、書き掛けているメモから顔を上げると、「チハチョル(地下鉄)」と。
「Under 中央路(チュンアンノ)?」と聞くと、「ネー」ええ、と。
やはり駅周辺や、歩いて来た中央路の工事はそれだったんだ。

「When will it open?」いつ開業するの?と聞くと、「This year, Maybe.」今年、多分ねと。
「Oh,good!」と言うと、「However」と言って、2年前に工事現場で大事故が遭って、工事が「 delayed」しているらしい。
「アイゴー!!」と言うと笑っていた。

大邱は韓国第3の大きな都市だが、此処にもソウル、釜山に次いで地下鉄が作られようとしている。それだけ、急速に都市が拡大して、人も増えているってことだ。
この変化は、まるで1960年代の日本の社会の様だ。そう思うと懐かしい。


余計な事いろいろ聞いてくるから、上手く書けなかったわよとは言わなかったが、何故か自信なさげに道案内のメモを渡してくれた。
しかしその案内図を見ると、どうも書いた方も道案内には不慣れと見えて、目的の代理店は描かれているが、どこをどう行けば良いのか道順が分かりづらい。

しかし聞こうにもなかなか適当な英語が出てこないし、女性の方もあまり得意そうではなかったので、そのまま貰って「カムサハムニダ」ありがとう、と言って戸口に向かう。すると、追うように「カッカウォヨ」近くよ、と言ってから、慌てて「It’s near here.」と言ってくれた。
「Thank you!!」会釈して外に出た。

大邱郵便局で書いてもらった道案内図