歳をとっても旅が好き

海外ひとり旅の記録?いや記憶かな

韓国ひとり旅(1997年) <2> 1日目 はじめの一歩 出発 成田空港から韓国・釜山へ

<1日目ー1
1997年3月12日 水曜日 成田空港 晴れ、 釜山 晴れ

 

<成田空港から出発>

朝5:30に車で家を出て、東関道経由で成田に着く。
空港近くのパーキングに車を置き、送迎のマイクロバスで成田空港へ送って貰う。

第二ターミナルに着いて、持ってきたはずのコートが無いのに気付いた。自分の車の中にコートを忘れてきたのを思いだし、パーキングの送迎係りの人に、申し訳ないが依頼して持ってきてもらう。
初めてのひとり旅で慌てていたのか、これじゃこの先心配だなぁ。


成田空港第二ターミナルビルの内は出発の人で大混雑していたが、8:30、JALの団体カウンター、G-4「サザンクロスツアー」の窓口で、行きのボーディングパスと帰りの航空券をもらう。航空会社に預け入れする荷物はない。
荷物は、25LのMilletのサブザック一つを背負っていた。荷物はこれだけだ。

私の格好は、丸首の薄手のセーターの上に厚手のシャツを羽織り、下はチノパン。その上に先刻自分の車の中に忘れてきてしまった、フードの付いた厚手のコートを着ている。
東京では暖かくなってきているが、これから行くのは緯度が高く、まだまだ寒さが厳しいだろう朝鮮半島だ。暑ければ脱げば良いが、寒い時のことを考えての服装だ。
しかし空調の効いた成田空港では、人いきれの為か汗が流れてくる。

 

トラヴェベラーズ・チェック(T/C)を作ろうと思い2階の東京三菱銀行に行くが、まだ9:00前で開いていない。3階に戻り捜すと、住友銀行の窓口が開いており、その前にはひとの列ができていた。
申込書を書いて¥70,000のT/Cを依頼するが、¥100,000からしかないと。
財布の中の現金を数えながら、10万円のT/C(日本円)をつくる。

次に東京海上のカウンターで、海外旅行傷害保険の申し込みをする。疾病等はDCカードの付帯で付いているので、死亡のみ1億円を付保する。
¥5,000円。

 

この日の出国フロアは大変な人出で、二つの出国手続きの入口は長蛇の列だった。早めに並ばねばと思いつつも公衆電話を探し、家族にこれから出発すると告げた。

ボーディングパスとパスポートを手にセキュリティチェックの列に並んだが、少しずつ進むにつれて空港使用券を買うのを忘れたことに気が付き、横の学生に列の番を頼んで¥2,000円の券を買ってきた。

今度は入口で書いた出入国カードとパスポートを手に、イミグレーションで出国手続きを済ませ、E70ゲートからJAL957便に乗り込んだ。

釜山行きの機内は、ほとんどがビジネスマンか日本人や韓国人の団体で、若い人や個人旅行者の姿はほとんど見かけない。
JAL957便は、10:25AM成田を出発した。

上空で、私は前席のシートポケットに入っていた韓国のEDカードと税関の申告書を書き、到着予定の12:35を気にしながら、着いたらまずどうするのか手順を頭の中で巡らせていた。

成田空港→釜山のボーディングパス

成田空港の空港使用料



<釜山・金海空港に到着>

12:35PM、晴れの中、エプロンに軍用機が多数停まっている釜山(プサン)金海空港(キメコンハン)に着いた。
日本と韓国の間には時差が無いので、飛行時間は2時間10分だった。

タキシングしていた機体がターミナルビルの前で停止すると、まだシートベルトサインも消えないうちに人は立ち上がり、荷物を降ろし、通路に並んでは気忙しげに前を覗き込んでいる。

まるで通勤のバスが乗換の駅前に着いた時の様だ。随分せわしないなぁ。
シートベルトサインが消え、暫らく待つと、通路の列は少しずつ進み始めた。
私は預入荷物のピックアップも無く、待っている添乗員も無く、チェックインすべきホテルもない。
ひとり旅の特権は、自分のペースで動けること。だから周囲に流されることは無いと自分に言い聞かせながら、わざと人の波が引いた後から立ち上がり、ゆっくり歩き始めた。

入国審査、税関のチェックを済ませ、制限エリアから外に出る。
特段何も聞かれなかった。

韓国の出入国カード

韓国の税関申告書

釜山金海空港は、以前家族でツアーに参加して行ったソウルの金浦(キンポ)空港に比べると、全体に小さく、ひとも少ない。
いるかな、と思っていた客引きもおらず閑散としている。地味な地方空港といった感じで、ターミナルビル内を、銀行を捜して歩き始めたら、すえた様な臭いに気付いた。
ああ、日本ではないところに来たのだと思ったら体が震えた。初めてのひとり旅という思いが、急に実感として湧いてきた。